第18話

 娼妓の館は座貫からの使者の話で持ちきりだった。

「それが綺麗な男でさ、雅って言うの? 二人とも立ち姿に華があるんだよ。あれじゃあ私らに用なんかないわね」

「でもひと月ご無沙汰なんでしょう? きっと溜まってらっしゃるはずだわ」

「バカねえ。あの人たちは黄亜の男とは違うんだよ。座貫の男は一人の女だけを愛する民族なのさ」

「はえー、座貫の女に生まれたかったわ」

「ほんとほんと。黄亜の男なんてみーんな色狂いのろくでなしだもの」

 そのろくでなしの中に、戦地の兵士が含まれていないことは、わかっている。

 わかっているからこそ、佐了は歯噛みした。含まれていない、というのは、忘れ去られているということだ。彼女たちにとって、戦地で戦う兵士は絵巻の上で踊る天天でしかない。生身の人間だと思っていないのだ。

「ねえ、何あの女」

 女がこちらを見た。

「生まれつき目が見えないんだとさ」

 佐了は両目を布で覆い隠し、腕に包帯を巻き、派手な着物を着て、娼妓の館に潜入していた。短い髪をかき集めて結い、同色の馬の尻尾を巻きつけている。艶がなく、綺麗な髪とはいえないが、それでも短いよりはマシだと考えてのことだった。

「前線賭博の接待に出すんだとさ」

「ええっ、あんな気味の悪い女を?」

「いろんな女を揃えろって指示さ」

「だからって盲目は役に立たないでしょう。どうやって色目を使うのよ。胸だってないし」

「でも鼻筋は通ってるし、唇も愛らしいわ。何も塗らないであの色なのかしら」

「そもそも目が見えないで化粧ができるの?」

 怜蘭れいらんが視界に入ったが、佐了は正座したまま、気づかないフリをした。佐了が目に巻いている布は、完全に視界を封じるものではなく、うっすらと様子を見ることができた。

李布りふ、空き部屋が見つかりました。案内します」

 怜蘭れいらんは言うなり部屋を出ていく。佐了は女たちの好奇の視線を感じながら部屋を出て、怜蘭れいらんの後を追った。

 扉の連なる廊下を、怜蘭れいらんは無言でスタスタと進む。全身から怒りの気を放っていた。逃げなかったことを、怒っているのだ。でも結局、こうして協力してくれている。

 怜蘭れいらんが足を止め、引き戸を開ける。布団を敷けるだけの狭い部屋。もっと良い生活をしているものと思っていた佐了は、その狭さに唖然とした。

 実際、自分は昔、もう少し広い部屋に住んでいたような気がする。

「みんな……怜蘭れいらんも、ここと同じ部屋に暮らしているのか?」

 後ろ手に扉を閉め、密室になると佐了は言った。

「ここは一番位の低い娼妓に与えられる部屋です。病にかかったり、妊娠したりしたら、ここに追いやられるんです。普通に働いていれば、もっと良い部屋に住めますよ」

 怜蘭れいらんが戸棚を開けながら言った。部屋自体は狭いが、収納は十分にありそうだ。

 元の住人の私物だろうか、棚には化粧品や着物がたっぷりと詰め込まれている。

「そうか、安心した」

 しかしすぐに灰色の気持ちが渦巻いた。母は病で死んだと聞いている。こんな狭い部屋で人生の最期を迎えたのだと思うと、胸がキツく締め付けられた。

「さりょ……ではなくて李布りふ、着てみてください」

 怜蘭れいらんが寝着を寄越した。相当時間が経っているのか、すえた臭いがした。

 よく見れば、棚にある化粧品は色がおかしかった。一体、いつから時が止まっているのか。

「やっぱり洗いましょうか。五年も経っているので、菌はないと思うのですが」

「五年?」

「ええ、だから安心なさってください。感染症が移ることはありません」

「感染症……この部屋の住人は、病で死んだのか」

 佐了は改めて部屋を見回す。窓もない狭い部屋。天井だって低い。こんな空間で、死を待つ。

 考えただけで血の気が引いた。母のことを考えずにはいられなかった。母の人生は辛いばかりではないか。

「はい、そう聞いています」

「……そうか」 

 佐了は寝着を羽織った。襟を揃え、頷く。

「うん、ちょうどいい。ここの物を使わせてもらおう。いろいろ揃っていて助かった」

 そう言ってにこりと微笑むと、怜蘭れいらんは痛ましげに眉根を寄せた。


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