第16話

 草原が見えてきた。長い旅もそろそろ終わりかと思ったが、そこからが長かった。集落を三つ超えるのに、馬を使ったのだ。迂迫うはくは砂漠に乗り捨てた。

 砂漠の移動も過酷ではあったが、集落も同じようなものだった。砂漠と違って湿度が高く、寒暖差が激しいため、身体が馴染まず、むしろ砂漠よりも体力を消耗した。伊千佳は三度も熱を出した。都室も一度身体を崩し、旅の進行を止めてしまった。

 そうして何度も甲斐連がいれんに迷惑を掛けながら、やっとの思いで都に着いたのは、兵站を出発してひと月後のことだった。

 座貫の人間にとって、黄亜の都は未知だった。貧しく、文明の遅れた街を想像していたし、期待していたが、まるで違った。

「はあ、あの中で人が生活しているのか」

 壮大で堅牢な亜鉄の街は、都室と伊千佳を圧倒した。一体、いくつ住居があるだろう。小さな穴の開いた無機質な箱の集合体を住居と聞いた時、都室は思わずため息が出た。

「信じられない……これはどこまで続いているんだ。宮廷は……まだ先か?」

「距離としては遠いが、ここからは寝台車が出ているから三日で着く」

「三日っ!」

「ずっと、この景色が続いているのか?」

 都室が聞く。

「いや、ここは密集しているが、中心部へ行けば庭付きの屋敷が増えていく」

 その言葉通り、列車に揺られて半日が過ぎる頃にはガラリと景色が変わり、同じ国でもこうも違うのかと、都室は気の遠くなるような思いと、得体の知れぬ恐怖を感じた。

 広大な砂漠、寒暖差の激しい湿った大地、無機質な箱の集合体……その全てに人が住んでいるというのが、信じられなかった。この国を侮ってはいけない。健康な男を遥か遠くの浜辺へ追いやり、国のために戦わせているのだ。尋常じゃない統治力だ。

「俺の故郷だ」

 窓を眺めながら、甲斐連がいれんが言った。

 個室車両で、甲斐連がいれんと都室は向かい合って座っていた。伊千佳は頭上の寝台で寝ている。

 都室が一方的に質問するばかりで、甲斐連がいれんから話すのは珍しかった。都室は身を乗り出し、窓を見た。夜に沈んだ街はところどころが明るく灯っている。風情のある屋敷が並び、馬小屋らしきものも見えた。

「どれも立派な屋敷だが……使用人としてか? 黄亜の徴兵は金で免除されると聞いたが」

「親父は手広く事業を営む商人だった。こう見えても、昔はお坊ちゃんだ。庭には桃の木や池があった。親父は成金趣味だったからな」

 甲斐連がいれんは自嘲するように笑った。

「そう……だったのか。ではどうして……」

 聞きながら、事業を広げすぎたのだろうと、勝手に答えを想像した。

「賭博に溺れたんだ。全財産を注ぎ込んだ」

 都室は瞬きした。座貫でも賭博は行われているが、大した金は動かない。遊びの範疇だ。

「賭博? 黄亜では、なにが流行っているんだ?」

 甲斐連がいれんの横顔が引き攣る。答えていいのかと思案するような間のあと、彼は「前線賭博」と言った。

 都室は小首を傾げる。

迂迫うはくに賭けるんだ。一番わかりやすい賭け方は、生き残る迂迫うはくを的中させること」

「……そんな賭博、どうやって成立させるんだ」

迂迫うはくには特別な装置がついている。本土にいる人間は、進んだ距離や撃沈数までも把握することができる」

「信じられない……」

 その技術も、軍人の命が賭博に使われているということも。

「黄亜軍人は知っているのか?」

「俺のように賭博を見てきた者なら知っているだろう。だが少数だ。それに、そういう者は自分の育ちをひた隠しにするから、まず漏らすことはない」

 甲斐連がいれんは嘲るように鼻で笑った。

「親父は馬鹿だから吹聴していたけどな。でも、誰にも信じてもらえず、元金持ちを理由にいじめられるようになった」

 都室は目を見開いた。

甲斐連がいれんのお父上も、戦争に?」

「ああ、親父も弟も。みんな仲良く地獄行きだ」

「弟がいたのか」

 甲斐連がいれんは苦笑いし、頷いた。

「弟は狭いところが大の苦手でな。迂迫うはくの蓋を閉めたら気分が悪くなって吐いちまうんだ。もちろん戦闘なんて不可能さ。でも出撃は待っちゃくれない。一日でも長く生き延びてほしい一心で、俺はあいつを黄亜砂漠へ追いやった」

 驚いて、甲斐連がいれんの顔をまじまじと見つめてしまった。自分はなんと言ったか。こんな過酷な環境に生き物がいるなんて信じられない。そんなようなことを言わなかったか。

「……すまない。そうと知らずに、俺は……」

 甲斐連がいれんはかぶりを振った。

「それが普通の感覚さ。俺だって生きてるなんて思っちゃいない」

 でも、毎晩見張りを欠かさなかった。あの真剣な眼差しで、甲斐連がいれんは弟を見つけ出そうとしていたんじゃないのか。

 タンチョウ族を怪物と呼びながら、弟もそうであってほしいと願っていたんじゃないのか。

「親父は死んだ」

 都室が黙り込んでいると、甲斐連がいれんはポツリと言った。

「笑えるだろう。最後は自分が駒になって死んだんだ。あいつが生き残ったら高配当になっただろうに、一度目の出撃でお陀仏だ」

 太ももが震えた。都室が殺してしまった可能性もゼロではないのだ。

「高配当なんて……やめろ。不謹慎だ」

「ハハッ!」

 常に冷静な男の弾けるような高笑いに、都室は不覚にもビクッとした。

「ああ、すまない。不謹慎……そうだな、不謹慎だった」

 甲斐連がいれんはククッとおかしそうに肩を揺する。それは発作のように、しばらく続いた。


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