伊千佳に調教された鷹は賢く従順で、必ず甲斐連の腕に止まるのに、気の短い甲斐連は、鷹が来るのを待てずに弓矢を放つ。ぼとり、と砂漠に落下する鷹が、兎斗の目には伊千佳と重なって見えた。


 絶命した鷹を甲斐連が掴み上げる。鷹の足には、紙が巻きつけられている。伊千佳からの手紙だ。


「相変わらず、うまそうですね」


 兎斗は言った。


 伊千佳が飛燕と名を変え、砂漠を離れて十年が経つ。伊千佳はこうして毎月、甲斐連に手紙を寄越してくる。こちらの食糧不足を考えてのことだろう、伝書に使われる鷹は、それでよく空を飛べるなと感心するほど丸々肥え太っている。


「ああ、今回もよく肥えている。羽も赤みも強いし、これはうまいぞ」


 甲斐連は突き刺さった矢を引き抜き、傷口の匂いを嗅いだ。


「うん、素晴らしい。あれに礼を言わんとな」


 甲斐連は微笑んで、鷹をひょいと投げて寄越した。兎斗は咄嗟に両手で掴む。


 次に甲斐連は手紙を開いた。


 甲斐連を心底嫌っている兎斗が、こうして甲斐連のそばにいるのは、いち早く手紙の内容を知るためだった。


 大好きな兄……知布の近況が書かれてるかもしれないからだ。


 知布は伊千佳が去った三年後、砂漠を立った。兎斗が十二歳の時だ。


 知布と離れ離れになるのは辛かったが、それ以上に、タンチョウ族の男たちに犯される知布を見る方が、耐え難かった。


 けれど知布を選んだのは、甲斐連ではなく、伊千佳の希望だと聞いて、途端に不安に駆られた。伊千佳が知布を選んだのは、虐めるためとしか思えなかった。


 タンチョウ族の目が届かない場所で、あの男は陵辱以上の酷いことをしているかもしれない。そう思ったら気が狂いそうになった。知布……次は僕が行くから、どうかそれまで、無事でいてくれ……この六年間、兎斗は毎日欠かさず知布の無事を願った。


「兎斗」


 手紙を襟の中にしまいながら、甲斐連が言った。


「お前は兎斗だ」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 けれどすぐさま「座貫に行け」だと理解し、全身に血が巡るのを感じた。


「……僕は、名を変える必要がないのですか」


 甲斐連は頷いた。


「お前は俘虜となり、宮廷の牢に入るのだ。処刑はあれが止めてくれる」


 手紙で、伊千佳が一万騎の麾下を持つ将軍であること、宮廷に屋敷を持つ衛尉に上り詰めたことは知っている。悔しいが、あの男は有能だ。


「それは……タンチョウ族として、囚われろ、ということですか」


「ああ。だから知布のように髪色を変える必要はない。拷問くらいは受けるかもしれんが……ふふ、お前なら耐えられるだろう」


 胸の古傷が、ズキリと痛んだ。


「囚われの身で、僕に何をしろと言うのです」


 甲斐連の目が鋭くなった。


「わからないか? あれは一万騎の精鋭部隊を作り上げた。我々とまともに戦えるのは、その部隊だけだ。そいつらを討てば、座貫は我々の手に落ちたも同然。一気に内地へ攻め込み、あの国を乗っ取る。もう、準備は整ったというわけだ。お前は混乱の最中、牢を抜け出し、王族の血を引く人間を一人残らず殺すのだ」


「……我々が勝利すれば、座貫の朝廷は我々の思うまま……わざわざ混乱の中で、それをやる必要がわかりません。制圧した後で、邪魔な人間は処刑すれば良いのでは?」


「混乱の中でしかできないことがある」


 兎斗は首を傾げた。


「伊千佳の殺害。それがお前の真の役目だ」


「は?」


 すっ頓狂な声が出た。


「伊千佳様を……殺すのですか?」


 甲斐連は形のいい唇を引き上げた。


「あれは慕われているからな。殺せば波が立つ。だから秘密裏に始末するしかないのだ」


「なぜ……殺すのですか。あんなに有能な人を……」


 伊千佳を褒める言葉が自然と出た。伊千佳は騎射も剣術も一級だ。一対一で、あの男とやり合えるのは甲斐連くらいではないだろうか。


 しかしそれも、十年も前の話だ。今、伊千佳は二十七歳。甲斐連は四十二歳。もしや甲斐連は、自分よりも強くなったであろう男を恐れているのだろうか。


 甲斐連が苦笑いし、兎斗は自分の考えに自信を持った。


「……虫唾が走るのだ」


 甲斐連が言い、兎斗は怪訝に眉根を寄せた。


「あれは、俺のことが好きなのだろう。乞うような目を向けてくる。この手紙を読んでみろ」


 差し出された手紙を受け取る。


「俺は敵の情報だけで良いと伝えているのに、あれはお体はどうだの、食糧は足りているかだの、くだらん事ばかり書いて寄越す。鬱陶しくて仕方ない」


 確かに手紙の半分ほどは、甲斐連を気遣う内容だ。いつも手紙の内容は甲斐連から口頭で聞かされるだけだから、これは知らなかった。


 一致しない。あの冷酷男と、ここに書かれた甲斐連を思いやる内容が。


 甲斐連にはこんな態度を取っていたのかと、憎しみが増した。あいつは知布をいたぶったその手で、甲斐連に媚を売っていたのだ。


「確かに、虫唾が走りますね」


「だろう。だから用が済んだら始末する。我々の国を作る上でも、白髪の存在は邪魔だからな」


 わかります、というふうに、兎斗は頷いた。


「承知しました。伊千佳様を、この手で必ず殺します」


 伊千佳を殺す。これ以上の褒美はない。


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