抵抗
「殺した」と飛燕に聞かされた時、頭の中が真っ白になった。
「嘘……でしょう」
「お前の秘密を知られたのだ。生かしておくわけにはいかなかった」
冷たい声。この人には心がない。佐了は項垂れ、「もう、こんなの嫌です」と言った。
嫌。今までどうしても言えなかった本音がするりとこぼれた。裕翔に「嫌だ」と何度も言われ、感化されたのかもしれない。
「あなたに従うのも、タンチョウ族として生きるのも、もう嫌だ」
飛燕の屋敷の庭だ。人に聞かれる恐れもあったが、もう、どうでも良かった。
「何を……」
顔だけを振り向けていた飛燕が、足先をこちらに向けた。グッと腕を掴まれる。グイグイと、庭の外れの蔵へと連れて行かれる。粗蛇の飼育部屋だ。反抗的な態度をとると、飛燕は決まって、佐了をあの部屋へ連れていく。柱に縛り付け、数十匹の粗蛇と放置するのだ。あの悍ましい生き物に全身を舐めまわされ、体の深いところまで弄ばれると、飛燕に取った態度を心の底から反省してしまう。そして助けてもらった時には、この人に従順になろうと心を替えてしまうのだ。
「嫌だっ!」
佐了は足を踏ん張るが、飛燕の力の方が強い。引きずられながら、結局蔵に連れ込まれた。四方を棚に囲まれた、暗い、湿気の多い部屋。棚には壺がびっしりと並び、その中をサーっと蠢く粗蛇の音が聞こえる。
その音を聞いただけで、佐了は胸が悪くなり、へたり込んだ。悪寒がし、両手で自分の体を抱きしめる。
「貴様はタンチョウ族っ……貴様のその軟弱な体にはっ、甲斐連様の血が流れているのだぞっ! タンチョウ族のためにその身を捧げずしてっ、生きられると思うなっ!」
「……では、殺してください」
「なんだとっ!」
「裕翔のようにっ、殺してくれと申しているのです。俺は……もう、あんな野蛮な民族とは、関わり合いになりたくないのです」
飛燕の殺気をひしひしと感じた。顔を上げるのが怖い。
「……兎斗を、見捨てるのか」
飛燕は佐了の後ろに回り込み、恐怖で硬直した佐了を柱に縛り付けながら、言った。
「俺が、このままタンチョウ族として活動したところで、兎斗が救われるとは思えません」
どれだけ砂漠を探しても、兎斗は見つからなかった。
「兎斗を送っては、くださらなかったのでしょう」
「まだそんなくだらんことを吐かすか」
「俺に、あの忌まわしい砂漠を探し回らせたかっただけなのでしょう。兎斗を連れて帰らなけれは、あなたには俺を責める理由ができる。あなたは日々の鬱憤を俺で発散するために、っ……くっ」
柱の後ろで、腕を捻じ曲げられた。刺すような激痛に顔が歪んだが、長年心に持ち続けていた感情は抑えられなかった。
「あなたはっ、俺をいたぶりたいだけだっ……俺が憎くて仕方がないからっ、いたぶりたいからっ、父上に俺を送らせたっ……いっ、うっ……」
「俺がいつ、お前をいたぶった? まさか連日の調練を、お前はいたぶられたと感じているのか?」
「何度も気を失い、死にかけました」
座貫に来たばかりの頃、飛燕は毎晩佐了を呼びつけ、騎射や剣術を指導した。飛燕は「調練」と言ったが、あれは拷問という方がしっくりくるような、命を削られるような時間だった。
「俺は、あれよりも厳しい調練を、甲斐連様から受けてきた。七つの頃からだ」
「信じられません。いくら父上が外道でも……っ」
外道、と言った瞬間、神経が破れるような痛みが走った。
「はあっ……」
あまりの痛みに、背中にブワッと汗が噴き出した。
「実の父親を、そんなふうに言うな」
怒りが込み上げた。あんたは、父親に犯される絶望を知らないから、そんな呑気なことが言えるのだ。息子を犯す父親が外道でないなら、なんだと言うのだ。
「あの人は外道です」
痛みを覚悟したが、縄でキュッと縛られただけだった。
「殺してください。俺はあの人の駒にはなりたくない。あなたの指図も受けたくない。……あなたに、乳を飲まれるのも嫌だ。ずっと嫌だった」
「自力で出すこともできないくせに、よく言う。嫌なら俺に頼らず、自力で出す努力をすれば良かったのだ」
簡単に言うなと、ますます腹が立った。結局、この人は他人の気持ちなど理解できないのだ。やらなかったわけじゃない。自力で出せれば、それが一番良いに決まっている。でも、何度やっても、できなかった。それが押し寄せてくると恐ろしくなって、手を止めてしまうのだ。
「……あなたには、女のように極めることがどれほど苦しいか、わからないのでしょう」
「反吐が出るな」
飛燕はフッと鼻で笑った。
「苦しいだけではないのだろう。わずかでも心地良い感覚があるはずだ。自力でやるなら、その感覚ともうまく付き合えたはず。なのにお前は『苦しい』などとほざく。そんなに自分を憐れみたいか」
どうしてそんなことを、この人に言われないといけないんだろう。俺と同じ思いをしたこともないくせに。
「奪う側のあなたには……俺の苦しみなど、わかりません」
「知るか」
飛燕は立ち上がり、扉へ向かった。粗蛇を放たないのだろうか。飛燕が何を考えているのかわからない。扉を開け、長い白髪を揺らしながら、飛燕は出ていった。
わからない。あの白髪の男がどうしてタンチョウ族に忠誠を誓うのか。このまま座貫の上級軍人として、タンチョウ族など見捨てて生きる方がよっぽど良いじゃないか。
黒髪ではないのだから、寝返ることは簡単だ。黒髪が伸びないよう、馬の糞尿を被る必要もない。部屋を出ていく飛燕の後ろ姿を思い出す。艶やかな、美しい白髪だった。自分のパサついた栗色の髪とは全然違う。
あの男は、「タンチョウ族だ」と名乗っているだけ。タンチョウ族の要素は、一つもない。にも関わらず俺をタンチョウ族に繋ぎ止め、外道の計画に加担させようとしている。
よそ者のくせにと、怒りが腹の底で渦巻いた。
俺を生かしてみろ。あんたの正体をバラしてやる。あんたを座貫からも、タンチョウ族からも追放してやる。
粗蛇の音が恐ろしい。佐了はカタカタと体を震わせながら、心の中で飛燕を罵った。
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