乗っ取り

 乳首は腫れ上がり、長時間の責めでぽっかりと開いた後孔からは、男の体液が溢れている。


 飛燕は息も絶え絶えだった。広がった長襦の上でぐったりと、汗にまみれた体を無防備に広げている。体のどこを探しても、起き上がる力は残っていない。


「まだだよ」


 男が弾んだ声で言い、上衣を脱いだ。贅肉のない引き締まった体を目の当たりにし、飛燕は思わず息をのんだ。


「っ……」


 心臓がドクドクと波打った。これは幻だろうか。晒された男の胸には、斜めに刻まれた古傷……十年前、自分が兎斗につけたものと全く同じものがある。


「ふふ、なにビビってんの。本番はこれか」


「兎斗……」


 男の言葉を遮り、飛燕は言った。


「お前……兎斗……なのか?」


 男は「えっ」と戸惑う。


「胸の傷……どうしたんだ」


 男は己の体に刻まれた傷を見た。


「え……なんだこれ?」


 男が傷に触れ、説明を求めるように飛燕を見た。


 飛燕は頭を整理するのに忙しい。何も言わないでいると、男は自身の頬に手を触れた。次に鼻筋、唇……ハッと目を見開く。


「どうした」


「転移じゃない……転生だ……」


 飛燕は怪訝に首を傾げる。


「……いや、憑依か?」


「憑依?」


 確かに顔は兎斗に似ているが、中身は別人だ。憑依なら納得できる。


「お前、もっとよく顔を見せろ」


 言うと、男は素直に飛燕の上にのし掛かってきた。迫った顔を、飛燕は注意深く観察する。胸元の傷も……


 間違いない。


「兎斗……お前は、兎斗だ」


「兎斗……」


 男が声を震わせた。


「兎斗……それって、佐了の弟なんじゃないのか」


「そうだ」


 男の喉仏がゴクリと上下に動いた。


「そんなの……佐了に……お、俺がっ……大切な弟の体を……乗っ取ったって、知られたら……」


 不安に駆られる姿に愛しさが込み上げた。男の黒髪を撫で、胸に抱き寄せる。


 なんて卑しい心だろう。後ろ暗い感情を持つ者に、惹かれるなんて。


「なら、まだ気づかれてないのだろう」


「そう……だけど」


「このまま黙っていればいい。俺は言わない」


 男は首を横に振った。


「嘘を貫く自信がないか?」


「ない……だってこの体は……俺のものじゃないっ……いつか、バレる……そうなればっ……」


 抱きしめる力が強くなる。佐了の大切な……兎斗の肉体だと思ったら、余計に胸がはやった。


「貫け」


「無理だっ……佐了に……本当のことを言うっ……」


「言ったらあいつが傷つくぞ」


 腕の中の体がビクリと震えた。


「やっぱり……俺はここにいたらダメなんだ。俺はっ……この世界の人間じゃない……」


「世界? さっき、家族はいないと言ったな」


「いない……俺、違う世界から来たんだよ。……よくわかんないけど、心だけ……それで、兎斗の体を乗っ取った」


 違う世界……この男の緊張感のなさや、独特の雰囲気は、それが理由かもしれない。


 それにしても違う世界とは……自覚できるほど、元いた世界と異なるということか。


 だとしたら男の孤独はどれほどだろう。その上、肉体は別人。男の絶望を思うと胸が詰まった。孤独な男が、どうしようもなく愛おしい。


「乗っ取ったのではない。お前は引き受けたのだ。兎斗は……もうこの世にいない。いなくなった魂の代わりに、お前が入り込んだ。それは乗っ取りとは言わない」


 飛燕の声も上擦った。どうしても男と自分を重ねてしまう。自分は異物だと自覚しながら、けれど居場所は他にない。孤独で、心細い気持ちは、変わらないのではないか。あの頃、自分はなんと言って欲しかったか、何を求めていたか……飛燕は男の頭を撫でながら、言葉を重ねた。


「なにも、心配することはない。お前はそのままでいい。いきなり別の世界から来て、不安だったろう。もう……大丈夫だ」


 男がハッと顔を上げ、水っぽい目を向けてくる。その目が苦しげに細められた。


「なんか……」


 男は言葉を切って、飛燕の胸に顔を埋めた。甘えるような仕草に、守ってやらなければと柄にもない感情が芽生えた。


「あんた……すごく生きにくそうだ……」


 男は呟くと、力尽きたようにまぶたを閉じた。


(生きにくそう……)


 手を、男の頭から背中へ移動する。抱きしめ、男の体温と鼓動を感じながら、その言葉の意味を、飛燕はいつまでも考えていた。

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