第13話

 兵站を出発して三刻6時間、灼熱の太陽に都室と伊千佳は疲弊していた。

 移動は、砂漠用に改造された迂迫うはくを使った。操縦は簡単なので、都室と伊千佳はすぐに乗りこなすことができた。しかし起伏と風のある黄亜砂漠は、想像以上に過酷だった。また伊千佳が遅れつつある。びゅっと風が吹き、黄砂が機内に吹き込んだ。甲斐連がいれんを見失ったら大変だ。都室は「甲斐連殿っ! 速度を落としてくださるかっ!」と声を張った。

『承知しました。一刻ほどで日が暮れます。もう少し進んだら、寝場所を探しましょう』

 甲斐連がいれんの声が聞こえ、安堵した。これが命綱だな、と都室は通信機を見やった。

 しかし、簡素な設備だ。こんな張りぼてのような戦闘機で黄亜軍は戦っていたのだと思うと、都室は背筋が冷たくなった。軽量化を最優先に造られた胴体はわずかな起伏も衝撃として搭乗員に伝え、常に緊張感を強いられる。

 それに時間を示すものはない。甲斐連がいれんは一刻で日が暮れると言ったが、都室はどれほど砂漠を進んだのか、今が何時かも定かではない。

(ここが戦場になったら、壊滅的な被害が出るだろうな)

 甲斐連がいれんが「休みましょう」と言うまで、都室は必死にその後を追った。

 小高い砂丘に囲まれた場所に迂迫うはくを停めた。

 甲斐連がいれんが、三機の迂迫うはくを基礎として屋根を作り、簡単な寝屋を作ってくれた。

 寝床ができるなり、伊千佳は断りも入れずに横になった。寝顔にも疲労が色濃く浮かんでいる。こんなに疲れ切った彼を見たのは初めてだ。

「都室殿もお休みください。明日は今日より風が強い。進める距離はわずかでしょう」

 そう言う甲斐連がいれんは、全く休む気配がない。あぐらをかいて座り、長剣を鞘からわずかに引き抜く。穏やかではない音に、眠りかけていた伊千佳が飛び起きる。

甲斐連がいれん殿は、休まれないのですか」

 剣呑な空気にならぬよう、伊千佳が剣を取る前に、都室が聞いた。

「あ……申し訳ない。これでは休まれませんね。紛らわしいことをしました。どうかお気になさらず。俺は外の様子を見に行くだけです。夜になると活発になる生き物がおりますから」

 甲斐連がいれんは短く頭を下げ、寝屋を出ていく。

 都室は慌てて追いかけた。太陽は沈んだが、迂迫うはくの明かりが届く範囲はうすらと明るい。甲斐連がいれんはその明かりを超え、更に先へ行こうとしていた。

甲斐連がいれん殿っ!」

 甲斐連がいれんが振り返る。

「夜になると活発になる生き物とは、何なのですか……俺はここに……こんな過酷な黄亜砂漠に、生き物がいるなんてとても信じられません……現に四刻の間、俺たちは何にも出会わなかった」

 甲斐連がいれんは周囲に目を馳せながら、答えた。

「……うとです」

「え?」

 甲斐連がいれんは苦笑し、「いえ」と言った。

「戦地に出たくないからと、砂漠に逃げる兵士がおりますが、そのほとんどは干からびて死にます」

 兵士……都室はゾクリと寒気がした。

「ほとんど……と言いますと、生き延びる者もおられるのですか」

「わずかですが、存在します。彼らは本土から出ている輸送車を襲ったり、鳥を食って生活しています。我々はタンチョウ族と呼んでいる」

「タンチョウ族……」

「元は軍人。しかも炎天下の黄亜砂漠を生き抜く怪物です。数日前にも輸送機が襲撃され、兵站に届くはずの食糧を奪われた」

 そうだったのか。都室は初めて知る情報に驚き、言葉を失った。自分と伊千佳に振舞われたのは、やはり貴重な食糧だった。

「そんな大変な時に、我々のために食糧を分けてくださったのか」

 自分たちのために、誰かが我慢を強いられたかもしれない。申し訳ない、と続けようとしたのを、「それはいいのです」と甲斐連がいれんが遮った。

「客人に振る舞うものは、我々とは別にあります。食糧庫には上級軍人のための食糧と、我々兵卒のための食糧が分かれているのです」

 返す言葉を探していると、甲斐連がいれんが続けた。

「それに輸送車が襲われたのは、我々にとっては好都合でした。一番怖いのは、飢えたタンチョウ族です。満たされているうちは襲ってこない。ゆっくり眠っても、問題ないでしょう」

 都室も砂漠に目を凝らした。砂漠で生きるタンチョウ族……にわかに信じがたかった。

 だが実際に、輸送機が襲撃されている。でもこの砂漠でどうやって、人間が生き延びられるというのだろう。

「俺は……三日で疲労困憊しているというのに」

「慣れない迂迫うはくでの移動です。無理もない」

 甲斐連がいれんの慰めに、都室はゆるゆると首を振った。

「俺たちはひ弱なのです。現に、甲斐連殿は全く疲れた様子がない」

 甲斐連がいれんはそれには答えず、「休みましょう」と言って、寝屋へ行く。

甲斐連がいれん殿」

 中に入る直前で、呼び止めた。甲斐連がいれんが振り返る。

甲斐連がいれん殿は、連日の出撃の方がお辛いのでしょう」

 都室が言う。甲斐連の横顔が引き攣った。都室は片足ずつ膝をつき、うやうやしく頭を下げた。

「先日の無礼な態度、改めて詫びたい。俺はあなたの立場も考えず、人として最低のことを言ってしまった。一番辛いのはあなたでしょう。本当に、申し訳ありません」

 甲斐連がいれんが狼狽えるのが気配で分かった。

「ちょ、なんだいきなり……謝る必要なんかない。顔を上げてくれ」

「俺は酷い人間です。軍人が上の命令に逆らえるはずがないのに、まるであの少年を引き連れての出撃は、あなたの意思であるかのように言ってしまった」

「もういい、分かったから、顔を上げてくれ」

 肩に手を置かれた。

「許してくださいますか」

「許すも何も、怒ってねえよ。あんたらが来てくれただけで感謝してるんだ」

 都室は顔を上げた。今なら、言ってもいい気がした。

「甲斐連と呼んでも構わないか」

 男盛りの精悍な顔が、驚いたように眉を上げた。

「俺のことは都室と。俺たち年が近いじゃないか。堅苦しい会話はやめて、仲良くできないだろうか」

 言った側から羞恥心が込み上げた。まるで子供だ。甲斐連も戸惑っている。

 失敗したと思った。俯き、前言撤回しようと口を開きかけた時、「甲斐連」とかすれた声がした。寝屋から、伊千佳が顔を出していた。

 都室と甲斐連は、同時に伊千佳を見やった。

「都室殿、そういうのに断りはいらないんですよ。いい大人なんですからね。言われた方だって気恥ずかしい」

 伊千佳の言葉に、ワッと体温が上がった。

「都室殿は変なところで律儀というか、要領が悪いというか、純粋というか、ズレているというか」

「伊千佳、ちょっと黙ってくれないか」

「都室殿、お忘れですか。俺はあなたへの忠誠だけでここにいるんですよ。本来ならあなたの後釜として、二千の麾下を従える隊長となるはずだった。それを蹴って、こんな、いつ殺されるかもわからない危険な任務に付き合っているんです」

 それを言われると、都室は何も返せない。「すまない」としおらしく頭を下げる。

「どういうことだ? 本当は都室だけで来るはずだったのか?」

 甲斐連が聞く。都室、と名だけで呼ばれたことに、ほのかに胸が弾んだ。

「四十年も戦闘状態の敵国へ行くんだ。上の人間は『自殺行為』と認識している。都室殿は死んでもいいと判断された捨て駒なんだ。実際、俺がついて行くと申し出たら、上の人間に止められた」

 甲斐連が目を見開いた。

「一体どうして……何か罪を犯したのか?」

 伊千佳は、それはあなたが答えるべきだというふうに、都室を見た。

「俺は、飛鳥を沈めた迂迫うはくを、見逃したんだ」

「いえ、あれは援護です。俺を撃ったんですからね」

 伊千佳がキッと都室を睨んだ。「すまない」と、都室はまた頭を下げる。 

「あの伏匐天下ふくふくてんげに乗っていたのは……お前だったのか、都室」

 甲斐連はポカンと開いた口から吐息をついた。

「なぜだ。なぜ撃たなかった」

「あの迂迫うはくには、俺の父上が乗っていた」

「ええっ?」

 伊千佳がすっ頓狂な声を上げた。

「甲斐連、お前も乗っていたんだろう。操縦していたのは、俺の父上だ。父上は昔、あの旋回を俺に見せてくれた。小猿のように、腰を上げて荷重を操るんだ」

「待て、都室、それは勘違いだ」

 都室は力なくかぶりを振った。

「いいや、間違いない。あのような旋回を見たことがあるか? 父上は俺にだけ見せてくれたんだ。俺にだけ……あれができるのは父上だけだ。甲斐連、父上はちゃんと食事を摂られているか」

「聞け。操縦していたのは日本人だ」

「俺の父上は日本人だ。名を室町綾都という」

「なら違う。あれに乗っていたのは青山健斗。23歳のボートレーサーだ」

 都室は小首を傾げ、眉根を寄せた。

「あいつはあの日、異世界からやってきた。戦闘中に拾ったんだ。残念だがお前の父親じゃない」

 信じられなかった。あの旋回は、父上しかできないはずだ。「これは俺の技だ。俺しかできない」と、誇らしげに言っていた。大きくなったら、自分も教えてもらうはずだった。

 さあっと血の気が引いた。23歳? 父上が失踪したのは、俺が5歳の時だ。

 たどり着いた結論に、脈が早まった。

(父上は、異世界に戻られたのだ。そして、新たな子供を作った。その子供に、あの技を伝授したのだ)

 灰色の霧が全身を満たしていくようだった。どこまでも沈んでいきそうな気持ちを、腹に力を込めて堪える。

「都室殿?」

 伊千佳が気遣うような視線を向ける。彼は一見淡白だが、本当は人一倍思いやりの強い男だ。

「……勘違いしていたようだな」

 都室が言うと、伊千佳の瞳に哀れみが浮かんだ。都室は大丈夫、と伝えるように微笑んだが、それもぎこちないものとなった。

(何を狼狽えているんだ)

 もう、親に執着する年でもない。それに、父上が生きていると知れただけでも良かったじゃないか。黄亜には、戦争で親を亡くした子供がたくさんいる。悲惨なのは彼らの方だ。

(やはり甘いな、俺は)

 いつの間にか、あの搭乗員が父ではなかったことへの動揺は薄れ、胸の大半を自己嫌悪が占めていた。


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