第11話

 夕暮れの浜では、第七中隊の兵士らが、健斗から全速旋回を教わっていた。

 新しい技術の習得に、兵士らは真剣に取り組んでいる。笑顔の者もいた。とにかく、みな生き生きと楽しそうだった。これが賭博のための戦争であると、誰も知らないのだ。

 甲斐連がいれんは離れた場所でそれを眺めながら、目が覚めるような思いがした。

(俺は、間違っていたのかもしれない)

 甲斐連がいれんはこれまで、積極的に戦果を上げようとはしなかった。これが賭博と分かっていたから、危険を冒す気になれなかったのだ。

 だが彼らは違う。この戦争は、敵を降参させたら終わると信じている。彼らが求めていたのは、「生き延びろ」ではなく、「一機でも多く撃て」と命じられることだったんじゃないか。

 彼らは戦果を上げようと、必死に訓練している。遠目でもわかる士気の高さが切なかった。全速旋回が、戦局を逆転させる切り札だと思っているのだ。

 兎斗ととがこちらに気づき、駆け寄ってきた。全身びしょ濡れだ。

甲斐連がいれん隊長っ! 俺っ、できそうですっ! まだ転覆してばかりですけど、なんていうか、コツが掴めてきたんですっ!」

 兎斗ととは無邪気に報告する。甲斐連がいれんは思わず目頭が熱くなった。眉間に力を込め、微笑む。

 今なら、彼の欲しい言葉を言ってやれる。

「お前は黄亜軍の切り札だな」

 兎斗ととの勝ち気な顔が一瞬キョトンとし、ぱあっと明るくなった。

 その反応に、甲斐連がいれんはますます胸を痛めた。

(間違っていた。俺は、ずっと間違っていた……どうしてこんな簡単な言葉もかけてやらなかったんだろう。彼らには戦うことしかないのだ。彼らにとっての喜びは戦果を上げることしかないのだ)

兎斗とと、カミカゼをやりたいか」

 兎斗ととの頬が紅潮する。

「は、はいっ!」

 甲斐連がいれんは頷いた。

「なら、あの技術をものにしろ。確実に成功できるように」

「はいっ!」

 兎斗ととはピンと背中を伸ばして言った。

「だが、報酬には期待するな。敵艦を沈めても、カミカゼの報酬は入らない。あれは、死ななければ意味がないんだ……」

「えっ……」

 兎斗ととの瞳が困惑に揺らいだ。俯き、唇をキュッと噛み締める。

「……酷い話だろう。嫌ならやめろ。強制するつもりはない」

 兎斗ととは黙り込んでいる。甲斐連がいれんはさらに言った。

「だがあの技術は身につけろ。旋回技術は高い方がいい」

 やがて兎斗ととは顔を上げ、挑むような目つきで言った。

「……俺はやってやりますよ。甲斐連がいれん隊長は飛鳥を沈めたじゃないですか。俺だって……あのくらいの戦果を上げたい。この戦争を終わらせるには、俺たちが頑張るしかないんですから」



 甲斐連がいれんはその日の夜、庵奴あんどという補佐官を呼び出した。

 本土へ戻ることになった経緯を、彼には話そうかと悩んだが、かつて佐了と親しくしていたことを思い出し、黙っていることにした。

 心配させたくない。ただでさえ、「俺の代わりに第七中隊を指揮してくれ」と、急な頼み事を引き受けてもらうのだ。

「左様ですか。では、佐了と会えるかもしれないですね」

 庵奴あんどは隊長に任命されたことよりも、甲斐連がいれんが本土へ戻ることの方が気になるらしい。強面の男が嬉しそうに「佐了」と口にし、甲斐連がいれんはたまらなくなった。

「もし会えたら、俺が謝っていたと、伝えていただけますか」

 甲斐連がいれんが小首を傾げると、庵奴あんどは照れくさそうにはにかんだ。

「喧嘩別れしたんです。輸送車に乗り込む直前で、やっぱり残ると駄々をこね出したので、ふざけんじゃねえと。何発か殴って、倒れたところを無理やり輸送車に押し込んだんです」

 そうだったのか。てっきり、すんなり本土へ戻ったものと思い込んでいた。

(やはり佐了のことは言えない。宮廷で佐了が犯した罪を知れば、この男も自分を責めるに違いない)

「わかった。あいつに会ったら伝えよう」

 甲斐連がいれんは懸命に笑顔を作った。

 庵奴あんどへの引き継ぎを済ませると、兵舎へと向かった。健斗に会うためだ。健斗はこの世界のことを何も知らないので、兎斗ととに世話を頼んだ。

 しかし兵舎にも食堂にも、健斗の姿はなかった。

 どこへ行ったのだろう。亜鉄の地面を踏み鳴らしながら、他の隊の兵舎も見て回る。

 兵士が一人しかいない兵舎を見つけ、足が止まった。唯一そこにいた中年兵が、甲斐連がいれんを見てギョッとする。

「他の者はどうした」

 問うと、男は露骨に困った顔をした。

 その時、ガン、と鋭い音が、男の背後の壁から聞こえた。

「あっ、甲斐連がいれん殿っ!」

 甲斐連がいれんは急いで兵舎の裏側へ回った。男たちが群れていた。

「日本人が何しにきたっ! また俺らを殺す気かっ!」

「脱げっ! これは貴様のような死に損ないが着るものじゃないっ!」

 やはり、その中心にいたのは健斗だった。地面に伏せ、無抵抗の彼の服を、男たちは引っ張って剥がそうとする。

「こんなものを着てっ、黄亜軍になったつもりかっ!」

 それは、甲斐連がいれんが与えた黄亜の兵服だ。怒りが全身に満ちた。一歩踏み出し、口を開く。

「やめろっ!」

 甲高い声が、甲斐連がいれんの言葉を遮った。兎斗ととがびゅっと駆けていく。

「健斗から離れろっ! 勝手なことをするなっ! こいつは飛鳥を沈めたんだっ! カミカゼをやったんだっ! すごいんだぞっ! 黄亜軍の切り札に手を出すなっ!」

 兎斗ととがわめきながら男たちを退かしていく。そうしてできた空間に、兎斗ととと健斗の二人だけが残った。

 健斗を抱え上げ、兎斗ととがなおも訴える。

「こいつは今までの日本人と違うっ! 死なずにカミカゼを成功させたんだっ! みんながあれをできるようになればっ、この戦いを終わらせられるっ!」

 兎斗ととの視線が、甲斐連がいれんを見つけた。

 その瞬間、身を切り裂くような罪悪感に襲われ、甲斐連がいれんはサッと目を逸らした。逃げるように、その場を後にした。

(俺は、ここにいてはいけない人間だ)

 健斗に別れの挨拶をするのはやめた。彼には兎斗ととがついている。

 今夜中にここを立とう。甲斐連がいれんは自室へ戻るなり、身支度をした。



 内地へ行くには、砂漠用に改良した迂迫うはくで向かう。迂迫うはくがずらりと並んだ発着場を歩いていると、庵奴あんどがやってきた。

「隊長! 甲斐連がいれん隊長っ! お待ちくださいっ!」

 甲斐連がいれんは足を止め、振り返った。

「どうした? 何かあったか?」

「出発を三日延ばせとの指示ですっ」

 なぜだ。甲斐連がいれんは怪訝に眉根を寄せた。

 庵奴あんどは呼吸を整えると、射るように甲斐連がいれんを見据えた。相当な理由があるようだ。

「……座貫が、使者を寄越すと」

「使者?」

「外交です。飛鳥を沈められたのが痛手だったのでしょう。交渉をしたいという旨の文が、つい先ほど軍部に届きました」

 甲斐連がいれんは体ごと庵奴あんどを向いた。

「交渉……本当か」

「罠かもしれませんが」

「罠なものか。座貫は我々と和平を結びたいんだ」

「我が国がそれに応じるでしょうか」

 庵奴あんどが鋭いことを言う。この戦争は、黄亜帝国から仕掛けたものだ。戦力は圧倒的にこちらが不利なのに、いつまでも降伏しないから、座貫は痺れを切らして外交に踏み切ったのだろう。

「だが、使者は本土へ向かわせるんだろう」

「はい。甲斐連がいれん隊長が連れていくように、と」

 甲斐連がいれんは頷いた。

「わかった。座貫の使者が来るのを待とう」

 声が上擦った。甲斐連がいれんはまだ見ぬ使者に対して、「頼むぞ」と強く思った。



 伏匐天下ふくふくてんげが二機、停泊場に止まった。降りてきたのは長髪の美しい男と、栗毛の軽薄そうな男だった。

 使者というから文官が来るものと思っていたが、見るからに軍人だ。それもかなりのやり手と思われた。挙動が洗練されているのだ。

 長髪の男が丁寧に頭を下げた。艶やかな、健康的な髪がストンと揺れる。

「寛大なご配慮、感謝いたします」

 聡明さの漂う、凛とした声だった。自分はこんな男と戦っていたのかと、甲斐連がいれんは虚をつかれる思いがした。男がゆっくりと顔を上げる。

「都室と申します。こちらは伊千佳」

 伊千佳と紹介された男はジッと甲斐連がいれんを見つめ、微笑みもしなければ、頭を下げることもしない。これから外交をするのにその態度はどうなのだと思ったが、彼が軍人であることを思えば、仕方がないのかもしれないとすぐに思い直した。

 それに、たった二人で敵国に足を踏み入れたのだ。強靭な精神を持っていようと、怖くないはずがない。交渉決裂となれば、殺されるかもしれないのだ。ここへ来るまでの航海も、精神をすり減らしたに違いない。

 そう思うと、甲斐連がいれんは二人に対して、感謝の気持ちが湧いてきた。気づけば深々と頭を下げていた。

「第七中隊隊長、甲斐連がいれんです。まず、ここまで来られたお二人の勇気に感謝を申し上げます」

 顔を上げた。

「お疲れのことと存じます。今夜はここで、ゆっくりとお身体をお休めください。黄亜砂漠は広大で過酷です。休息が十分にできたら出発しましょう」

 甲斐連がいれんが心を込めて言うと、都室は安堵するように微笑んだ。ハッとするような、美しい微笑だった。

 伊千佳の顔からは剣が消えた。キョトンと瞬きし、都室を見やる。都室は伊千佳に向かって頷いた。大丈夫だ、と安堵させるような優しい眼差しに、甲斐連がいれんは激しく狼狽えた。

「では、部屋までご案内します」

 動揺を悟られないよう、甲斐連がいれんは踵を返した。足取りが重かった。自分が敵だと思って戦っていたのは、生身の人間だった。わかっているつもりで、わかっていなかった。直視して初めて理解したのだ。





 

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