伊千佳から飛燕と名を改め、座貫軍に出征した。宣言通り、飛燕は三年で将軍の座についた。約束通り、知布は佐了と名を改め、髪を栗色に脱色してやってきた。


 三年ぶりに見る知布……佐了は背が伸び、男らしさが増していた。他の兵士と並ぶと美しさが際立っていた。飛燕はその美しさに興味を持った体で佐了に近づき、自分の側に置いた。


 髪が伸びたら脱色しなければならないし、乳は定期的に搾り出さなければならない。他の兵士とひとつ屋根の下で生活させるのが心配だった。佐了に何かあれば、責任を問われるのは自分だ。


 将軍になれば一人部屋が与えられる。佐了が将軍として人の上に立てるよう、飛燕は騎射と剣術を叩き込んだ。


 そして佐了は五年で将軍になった。飛燕の推薦と、タンチョウ族の小部隊を討ち払ったという功績(タンチョウ族が協力した)によって。


 計画は上手くいっていたのだ。一月前には、「兎斗を送ってほしい」と甲斐連に手紙を出した。甲斐連からの返事は、「兎斗は黒髪のまま送る。俘虜とし、宮廷内の牢で飼え」というものだった。


 甲斐連には、座貫の国政や宮廷事情を逐一報告していた。そのため甲斐連は砂漠にいながら、宮廷の見取り図から皇族の恋愛事情まで把握している。


 兎斗を座貫兵として育てるのではなく、宮廷内の牢で飼う。決戦が近づいているのだと、飛燕は身の引き締まる思いがした。


 飛燕の麾下一万騎が砂漠でタンチョウ族と戦う最中、兎斗は暗殺者として、帝やその血縁者を殺害するのだ。


 飛燕は佐了にそれを伝え、砂漠に行かせた。


 なのに連れてきたのは兎斗ではなく、正体不明の黒髪の男だった。兎斗と間違えたのは百歩譲って仕方がないとして、問題はその後だ。佐了は正体不明のその男に乳を飲ませた。正気の沙汰じゃない。開いた口が塞がらないとはこのことかと思った。


「愚か者っ! 自分が何をしたのか分かっているのかっ! そいつが座貫の間諜だったらどうするっ! 染髪している可能性を考えなかったのかっ!」 


 その日、佐了の乳の出が悪かった。問い詰めるまでもなく、兎斗に似ている黒髪の男に吸わせたのだと確信した。


「あ、あの男はっ、間諜などではありませんっ……んっ……馬に乗ったことも、槍を持ったこともないようなっ……あっ、軟弱なっ……男です……っ」


 飛燕は佐了を縛り上げ、粗蛇そじゃを放った。無防備にさらされた佐了の穴に粗蛇が突き進んでいく。


「演技かもしれないだろうっ……」


「演技っ……などではっ……ひっ、んぁっ……」


「軟弱な男がっ、砂漠でどうやって生き延びられるっ! 座貫の罠ならっ、貴様も俺も命はないぞっ!」


 危機感のない男に猛然と腹が立った。人の積み重ねてきたものをなんだと思ってる。お前の今のその地位は、俺の努力によるものなのだぞ。


「罠……ではっ……うっ、くっ……」


「俺は兎斗を連れてこいと命じたはずだっ! なぜ兎斗を探さず、正体不明の男だけを連れて戻ってきたっ! 貴様は兎斗を殺す気かっ! 兎斗は今もあの広大な砂漠で、お前に見つけられるのを待っているのだぞっ!」


「あっ……いま、せんっ……俺はっ、探し、ましたっ……何度もっ……ですがっ、兎斗の姿はっ、んああっ……ど、……どこにもっ……なかっ……ひあっ」


「それは貴様の探し方が悪いのだっ! 目的を果たさず帰るものがどこにいるっ!」


「ほんとっ……にっ……兎斗、をっ……送って、くださったのですかっ……」


「なんだと?」


 佐了は快感に堪えるような顔をした。


「本当、はっ……兎斗……ぁあっ……送って……ないのでは……っ……俺、をっ……がっかり……させる、ためにっ……嘘をっ……ひ、んっ……」


「ふざけるなっ!」


 思わず佐了の髪を鷲掴んだ。馬の糞尿で脱色された髪は、艶もコシもなく、ゴワゴワと触り心地が悪い。俺がそうした。こいつの髪に何度も何度も糞尿をぶちまけ、甲斐連の見た目から遠ざけた。


「貴様はっ……」


 怒りで唇が戦慄いた。体中の毛が逆立っているようだ。


「甲斐連様の計画をっ……なんだと思っているっ……十年かけてっ……俺はタンチョウ族のためにこの国の情報を必死にかき集めたのだっ! 尽くしてきたのだっ! それがあと少しで報われるという時にっ……貴様を落胆させるためにっ、そんなくだらん嘘をつくものかっ!」


 飛燕は無意識に首を横に振っていた。両目がギラついて熱い。


「貴様を選んだのが間違いだった。もっと忠誠心のある人間を選んでいればっ……この計画は、あと三年は短縮できていたっ……わかっているのか、佐了っ! 貴様が有能ならっ、麾下はとっくに一万を超えていたっ! それがたったの二千だっ! 全てお前の力量不足が招いた結果だっ!」


「……兎斗をっ……連れて、こなくて……良かった……」


「何だとっ!」


「俺はっ……あなたに兎斗を会わせたく、んっ……なかった。あなたはっ……兎斗にっ……ひどいことばかり、してっ……いたからっ……」


「こんな時に俺への恨み言かっ……やはり貴様は、自分が何をしたのか、わかっていないようだなっ!」


 ふと、佐了は兎斗と会ったのではないかと思った。けれど佐了は命令に背いて「お前は来るな」と兎斗を逃した。「お前にこの任務は危険だから」などとのたまって。


 いや、それはない。飛燕はすぐさま思い直した。兎斗がそれに応じるとは思えない。兎斗は佐了を兄のように慕っている。自分が甲斐連を父のように慕うように。父のように慕いながら、密かに恋心を飼っている。佐了が咎められるような行動を、たとえ佐了に求められたとしても、あの弟控ブラコンが応じるはずがなかった。


「兎斗……」


 佐了がつぶやく。もはや会話する気もないらしい。


 はあっと深く息をつき、飛燕は佐了の髪を手放した。カクンと佐了が項垂れる。「兎斗……兎斗……」と繰り返す姿から目を背け、飛燕は部屋を出た。


 ともかく、一刻も早く、秘密を知る黒髪の男を始末しなければ。


 飛燕は部下に、正体不明の黒髪の男を連れてくるよう命じた。


 殺す寸前のところで、邪魔が入った。芭丁義という、呂帝の側近だ。


 宮廷には三つの派閥があり、飛燕は芭丁義の派閥に属している。実力がものをいう軍社会と違って、宮廷は後ろ盾と揚げ足取りがものをいう。手柄を上げる機会が滅多にないから、競争相手の失敗をつつくしかないのだ。


 芭丁義の言葉を素直に受け止め、飛燕は呂帝の元へ向かった。呂帝は王族の血筋だけが取り柄のぼんくら国王で、三十歳。傍若無人で性欲が強く、正室の他に側室が二十六人もいた。全員十代で、年齢を偽っていた女は妊娠中だったが処刑せよと命令が下った。


 要するに色欲狂いのアホ。無能の猿。ただし王族の血筋とあって、見た目はハッとするような美男だった。


 黒髪を追放した永亭の時代、霊媒師は他にも言葉を残していた。


「けして王族の血を引くものを絶やしてはなりません。王族の血を引かぬものを、王の座につけてはなりません」


 座貫は忠実にその教えを守っている。


 呂帝が幼い頃、後継者争いが激化し、王族の血を引く子供は次々と殺された。


 だから今、王の座に相応しいのは、傍若無人で無能な呂帝しかいない。


 妾の扱いは悲惨だった。一日の大半を蔵のような湿った狭い空間で過ごし、呂帝に呼ばれた時だけ外へ出る。寝台で乱暴な目に遭っても、懲りずに呂帝の元へ向かうのは、呂帝の子供さえ孕れば、皇族の仲間入りができるからだ。


「…………ですので、あの男を生かしておくのは非常に危険です。処刑許可を頂きたく存じます」


 贅を尽くした品のない宴会場で、飛燕は呂帝の前で頭を垂れた。宴会場には着飾った娼妓の他に斜奪しゃだつの姿があった。三大派閥の一人だ。呂帝と並ぶ色欲狂いで、加減ができずに十六人の娼妓を殺している。歳は四十近いはずだが、強靭な肉体と常に血色の良い膚は、実年齢よりもずっと若々しく見えた。あぐらをかいた太ももは、両隣に座る娼妓の腹回りよりも太い。


 鼻筋は少し曲がってはいるが高さがあり、形の良い大きな唇はどこか猫科の獣を思わせた。個々はけして端正とは言えないのに、なぜか男前に見える、不思議な魅力を持つ男だった。


「一体何があった? 軍議の時と、言ってることが真逆だぞ」


 予想通り、斜奪が突っ込んできた。昨日の軍議で飛燕は、「黒髪の男は軍略に利用できるから、生かすべき」と言って、処刑派の意見を封じ込めた。その時は兎斗と思っていたから、生かそうと必死だったのだ。


(余計な手間をかけさせやがって)


 心の中で佐了に毒づき、飛燕はゆっくりと顔を上げた。


「一晩検討し、考えを改めたのです。やはり黒髪の人間を、呂帝に近づけるべきではないと」


「うむ、朕もそう思う。よい。黒髪の男の処刑を許可する」


 呂帝がアホで助かった。斜奪は訝しげな表情をしているが、呂帝さえ丸め込めたらそれでいい。飛燕は深々と頭を下げ、立ち上がろうと膝を立てた。


「待て」


 呂帝が言った。


「せっかくだ。お前も飲め」


 すいっと娼妓が両脇についた。平たい皿に酒を注ぎ、差し出してくる。


「頂きます」


 内心面倒だなと思いつつ、恭しく皿を受け取り、口に含んだ。辛い。一瞬で喉が焼けるように熱くなった。


「さっき、お前の話をしていたのだ」


「私の話……ですか?」


 自然と斜奪に目がいった。俺の話……ろくな話であるはずがない。呂帝は猥談にしか興味がないのだ。


「お前は佐了以外の体を抱いたことがあるのか?」


 くだらない。飛燕は呆れが顔に出ないよう、無表情を意識した。娼妓が腕に絡みついてきて、飛燕の肩にくたりと寄りかかる。女から発散させられる甘ったるい匂いに気分が悪くなった。腕に当たる胸の膨らみも忌々しい。


「ありますが、随分と前です」


「女か?」


「いえ、男です」


 斜奪が「ハハッ」と大笑いした。娼妓らも「ふふふ」と笑う。


「そんなに良いのか、男は」


 アホ帝だけが真顔で聞いてきた。とうとう男にも興味を持ち始めたのだ。まったくもってろくでもない。


「私は女が嫌いなのです」


 皿が空になるなり酒を注がれ、半分ほど飲む。何か……違和感を感じた。酒を持つ手が痺れてきた。


 まさか毒でも盛ったかと、飛燕は斜奪を見た。目があっても、確信は得られない。


 だいいち斜奪にとって自分は厄介者に違いないが、殺される理由はない。殺して得られる利益より、損害の方が大きいからだ。斜奪は色狂いだが、一大派閥を作り上げた男だ。こんなところで俺を殺すようなアホじゃない。


 ならこれはと、飛燕は酒を継ぎ足す女を見た。にっこりと愛想よく微笑んでくる瞳に、怨恨らしきものはない。


「ほお、女が嫌いとは珍しい。お前は男の体のどこに惹かれるのだ?」


 冷や汗が噴き出した。


「水をくれるか」


 別の女に頼んだ。


「飛燕、どうなんだ。呂帝が聞いておられるだろう」


「さあ……わかりません。私はとにかく、女の体つきが不快なのです」


香李湖こうりこ、今日はお前だ。飛燕を楽しませろ」


 名指しされた女が薄い絹の長襦を肩から落とした。豊満な胸と、立派な乳首が目に入り、飛燕は思わず顔を背けた。


 別の女が「お冷です」と器を差し出してきた。舌先で転がし、安全が確認できるなり、一息に飲み干した。


 その間に、香李湖にズボンを脱がされる。払い除けようと手を伸ばすが、力が入らない。


「無駄な抵抗はよせ。呂帝がお前のために宴を開いてくださるのだ」


「女とできないと、子を成せないだろう。お前は有能だ。斜奪のように子をたくさん作れ」


 体が熱くなってきた。いかがわしい薬はバカ殿による指示か。こういう遊びを、呂帝は頻繁に行っているのだ。


「私は……子供など……」


 香李湖が飛燕の股間に顔を埋める。陰茎を口に含まれ、ゾワっと鳥肌が立った。


「どうだ、飛燕、女の口淫は。やはり男の方が手練れているか」


 言われ、口淫は初めてだと気づいた。それをさせる必要性を感じたことがなかった。佐了を絶頂させるには、指や陰茎で中を擦るだけでよかった。


「呂帝……やめさせてください。無意味です」


「ふん、不能なのではないか」


 斜奪がせせら笑う。


「女、離れてくれるか。わかったろう。いくらやっても無駄だ」


「どうなんだ、香李湖? 飛燕のそこは」


 強く吸い上げられ、裏筋を器用に舐められ、わずかに快感の波紋が立った。香李湖はここぞとばかりにその動きを続ける。


「っ……」


「よいか、飛燕?」


 飛燕はかぶりを振った。


「不快です」


「そう意地を張るな。香李湖は根っからの淫乱でな、喉奥を男根で擦られるだけで下を濡らすのだ」


「はあん、ひふぇんさまあ……」


 香李湖が飛燕の陰茎を口から離し、うっとりと見つめてきた。片手で自身の股ぐらを弄る。くちゅくちゅという水音に、吐き気が込み上げた。ウッと口を覆うと、香李湖がギョッと目を剥いた。


 香李湖が退いた隙にズボンを元通りにし、飛燕は立ち上がった。


「呂帝……申し訳ございません。私には、このようなっ……」


 喉奥から逆流するものに言葉を遮られた。ヘコっと頭を下げ、よろよろと出口へ向かう。


「ふん、情けない」


 背後から斜奪が言ったが、無視して逃げるように部屋を出た。薬の影響か、脂汗が止まらない。屋敷に戻るのに普段の倍時間が掛かった。


 衛尉として、飛燕が与えられた屋敷は奥に長く、庭に面して三つの部屋が並んでいる。


 佐了と正体不明の男を監禁しているのは一番奥の部屋だ。廊下には見張りの勇保がいる。飛燕が監禁部屋へ行かず、一番手前の自室に入るつもりとわかるなり、勇保は慌てて駆け寄ってきた。


「飛燕殿っ……」


「なんだ」


 苛立ちから、ついぞんざいな口調になった。体中が発汗していて、服が張り付いて気持ちが悪い。今すぐ風呂に入りたかった。


「飛燕殿……具合が悪いのですか?」


「なんだと聞いているっ!」


「はっ……黒髪の男が、自分はタンチョウ族だと申しております。タンチョウ族の情報を持っているから、自分を殺すのは悪手だ、生かすべきだと」


「連れてこい」


「えっ……」


 今日は疲れているから、処刑は明日でもいいかと思ったが、気が変わった。今すぐに殺してやる。タンチョウ族? ふざけやがって。どうせ佐了の入れ知恵だ。タンチョウ族を愛するこの俺を、よくも騙せると思ったな。


「ここに奴を連れてこいっ! 俺が首を刎ねるっ!」


 飛燕が感情を露わにし、勇保がたじろいだ。彼は大柄で逞しいが、まだ十七歳の若造なのだ。彼の前で感情的になったのは、初めてかもしれない。抑えようとしても無理だった。妙な薬を盛られ、女に股間を舐めまわされ、斜奪にせせら笑われたのだ。それも全て佐了のせいだ。


 ふと、佐了の前で黒髪の男を殺そうかと思った。兎斗に似ているあの男を、憎らしい佐了の目の前で殺したらどんなに胸がすくだろう。


 危険な想像を、首を横に振って断ち切った。ダメだ。俺は今、腹が立って仕方がないのだ。勇保の前で声を荒げてしまうほどに。


 今、佐了に会いに行ってはダメだ。きっと歯止めがきかない。想像がつかない。薬による体の火照りが、怒りを増幅させている。


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