嫉妬

 タンチョウ族は全員が家族。女は皆で共有し、兄弟とて種が同じとは限らない。生まれた子供は基本、父親が誰かわからない。


 けれどそいつが六歳になると、大人たちは口を揃えて甲斐連の子供だと言った。甲斐連の端正な顔にそっくりだったからだ。そいつは知布ちふといい、甲斐連に寵愛された。


「立てっ! 伊千佳っ! 眠れば貴様を砂漠に埋めるぞっ!」


 伊千佳は昼夜問わず厳しく指導された。騎射、剣術、格闘……あらゆる武術を叩き込まれ、強くなることを求められた。それが「家族」のためになるならと、伊千佳は必死に期待に応えようとした。甲斐連は厳しかったが、伊千佳が立ち上がれば瞳をギラつかせ、口角を上げて喜んだ。伊千佳はそれが嬉しくてたまらなかった。父上……そう呼べたら、どんなに幸せだろう。タンチョウ族は父親が特定できない。だから「父上」という言葉が使われることはない。


 なのにあいつは。あいつだけは……


「ちちうえっ……一体何をっ……」


 知布だけは甲斐連を「父上」と呼ぶことを赦された。あいつの顔は歳を重ねるごとに甲斐連に似ていき、甲斐連はそれを何よりも喜んだ。二人が親子だと、誰もが信じた。


 これが血縁かと、伊千佳は腹が捩れるほどのショックを受けた。


「やめてくださいっ……こんなっ……こんなのっ……」


 知布が十五歳になると、甲斐連は家族を集めて知布を襲った。知布の困惑は計り知れない。あいつは六歳から特別扱いで、甲斐連と同じ布張りの小屋で夜を過ごしていた。真夜中、血の気の盛んなタンチョウ族の男たちが、仲間の乳で精力回復していることを、知らずにその日を迎えたのだ。


 伊千佳はてっきり、知布は特別待遇で、乳が出る体でも、それを免除させられると思っていた。だから夜は小屋に囲われているのだと。


 そう勘違いしていた時は辛かった。甲斐連は知布を愛している。掟を破るくらいに。乳の出る人間は、たとえ武術に優れた大男でも、仲間のために体を開かなければならない。……それを我が子可愛さに免除させるなんて。自分にはない血の繋がりが、羨ましくて仕方がなかった。


 けれど違った。甲斐連は知布にもそれをやらせた。その時、伊千佳は十七歳で、甲斐連と並ぶ騎射の技術と、武術の才能を開花させていた。タンチョウ族の一員として認められ、多くの者に慕われていた。居場所があること、家族がいること、座貫を滅ぼすという同じ志を持つ仲間がいる現状に、満足していたはずだった。


「やだっ……嫌だっ……離してくださいっ……」


 屈強な男たちに身包みを剥がされていく知布を、十七歳の伊千佳は少し離れた場所から眺めていた。なぜかブルブルと悪寒のように身体が震えた。知布はやめてやめてと泣き叫んでいたけれど、伊千佳は羨ましくて憎らしくて仕方がなかった。あいつは、どこまでこの俺に引け目を感じさせれば気が済むのだろうか。俺は血反吐を吐くような努力を重ねて、騎射も武術も身につけて、率先して危険に立ち向かってやっと、一員として認められたのに。あいつが一体何をした? 甲斐連に顔が似ているだけじゃないか。俺の方があいつより優れているのに……この疎外感はなんだ。


「やっ……あっ……んっ、んああっ……」


 十五歳の知布の喘ぎ声に、伊千佳はギリリと歯噛みした。


 特別待遇で、それを免除させられる方がよっぽどマシだと気づいた。皆に求められる知布を見るのが、こんなに忌々しいとは。


 タンチョウ族が皆、乳を出すわけではない。わかっていても気後れした。伊千佳の胸の奥には常に、「自分はよそ者」という意識がある。


「伊千佳、座貫軍に入隊しろ」


 いつの間にか隣に来ていた甲斐連が言った。


「座貫軍に……ですか」


「偉大なるタンチョウ族の先人たちは、寝首をかかれるように追放された。我々も同じことをしてやろうではないか。俺は気づいたのだ。この国を滅ぼすには、ただ戦力を鍛えるだけでは足りないと。中からも、じわじわと侵食しなければ」


「俺に……間諜になれとおっしゃるのですか?」


 甲斐連はかぶりを振った。


「父上っ……助けてくださいっ……はっ、う……父上っ!」


 仰向けで、股を大きく開かされた知布が、甲斐連を「父上」と呼んで、助けを求めた。甲斐連は唇の端をクイっと引き上げるだけで、息子の訴えには応えない。


 駿文すんぶんという、族の中で最も過激で、屈強な男が知布の中に入った。


「あ……うっ、あああっ!」


 ほっそりした知布の体が軽々しく浮き上がる。驚くほど体が柔らかかった。両手を頭の上で別の男に押さえつけられながら、正面からガツガツと突かれ、のけ反る。繋がっている部分は出血し、砂漠を黒く染めていた。泣きじゃくる息子を、甲斐連は穏やかな眼差しで見つめる。その横顔に、伊千佳は胸が苦しくなった。甲斐連にそんな表情をさせる知布が憎らしかった。


「いっ、ああっ……痛いっ……ひっ、やあっ」


 苦しめば苦しむほど、あいつは甲斐連に認められる、そんな気がして、落ち着かない。自分も甲斐連の気を引きたい。でも強くなる以外の方法がわからない。ない。


「お前の部隊を作り上げろ」


 甲斐連が言った。伊千佳は知布から視線を外し、甲斐連を見た。


「一万の兵を麾下にしろ。精鋭部隊だ。それを砂漠に連れ出し、我々に討たせるのだ。精鋭部隊を失えば座貫軍の士気は凋落し、我々は侵攻しやすくなる」


「……その計画が成功した場合、俺はどうなるのですか……座貫の兵士として、甲斐連様に首を切られるのですか」


「まさか。俺の補佐として朝廷改革を指揮してもらう。我々の帝国を作るには、座貫の国政を知り尽くした人間が必要だからな」


 一万の兵を麾下にし、国政を知り尽くす……一体、何年を想定しているのだろう。皆と離れたくないのが、伊千佳の本音だ。血の繋がりがないのに離れてしまったら、もう「家族」と呼べない気がする。


「うめえっ!」


 知布の両脇腹をガッチリと掴んで、乳首にむしゃぶりついていた駿文が、雄叫びのように言った。知布は四肢も男たちに舐められ、体の自由がない。長い黒髪も、端正な顔も、今は男たちの陰茎で擦られて、卑猥に濡れ光っている。


「いやか」


「……自信がありません。麾下を持つことはできたとしても、タンチョウ族のために動かせられるかどうか……」


「仲間を送る。お前がそれなりの地位に育った後だ」


「……それは、何年後ですか」


「お前次第だ。お前が決めろ。十年後と言うのなら、俺はその通りに仲間を送る。ただしお前と違って黒髪だ。何かあった時に救えるよう、お前はそれなりの地位に就いていなければならん」


「黒髪を送れば、即座に殺されます」


「馬の糞尿で色を抜く。栗色くらいにはできるだろう」


「誰を寄越してくださるのですか」


 甲斐連はフッと笑って、「やってくれるのか?」と楽しげに言った。


「五年後、知布を送ってください。それならやります」


 甲斐連は目を丸くした。伊千佳はその目をじっと見つめ、さらに言った。


「あなたが愛する息子を敵地に送り込むと言うのなら、俺は、タンチョウ族のためにこの身を捧げます」


 でも、知布を自分の手元に置いておきたいと言うのなら……


「よいだろう」


 甲斐連は迷うことなく答えた。実の息子でも敵地にあっさりと送るのだ。この男に父性はないのかもしれない。伊千佳は少しホッとした。


「五年でよいのだな」


「はい。五年で将軍になります」


 甲斐連は嬉しそうに目を細めた。伊千佳の肩をポンと叩く。


「頼もしいな」


「そう言っていただけて、光栄です」


「お前は我が子同然だ。俺がお前を拾ったのは、七つの頃だったな。あの頃はナナフシのように貧弱だったが、いい体になった」


 甲斐連に肩を撫でまわされ、伊千佳は触れられている部分が熱くなるのを感じた。落ち着かなくて、無意識に顔を伏せた。


「あっ……んあっ、ああっ……」


「我が息子は、いい声で鳴くな」


 甲斐連が言い、伊千佳の胸がドッと跳ねた。あいつの喘ぎ声なんて聞いてほしくない。俺の体をもっと褒めろ。あなたが鍛えたから逞しい。


 甲斐連の手がパッと離れた。知布の元へ行く。歩きながら自身の腰紐を外し、肩から麻布の長衣を落とすと、見惚れるほどの背筋があらわになった。


「ちちうえ……」


 甲斐連が近づくと、他の男たちは潔くそこを離れた。


 甲斐連が知布の前に膝をつく。知布は驚愕の表情でゆるゆると首を振った。


「父上……こんなのおか、ん……ぁあああっ」


 伊千佳は息をのんだ。甲斐連が知布を犯している。父性がないとホッとしている場合ではなかった。二人は親子を超えてしまった。自分が甲斐連に求めていたのは親子の繋がりなどではなく、肉体の繋がりなのだと気づいた。


(知布……お前は何度、俺を惨めにさせたら気が済むんだ)


 甲斐連が犯すのは女ばかりで、伊千佳が知る限り男はない。だから良かったのだ。甲斐連は女にしか興味がない。そう自分を納得させられた。なのになぜ……


「父上っ……」


 あの呼び名だってそうだ。タンチョウ族の女は複数の男に犯される。だから誰の子を孕んだかわからない。誰も「父上」と呼ばないから、伊千佳は甲斐連を「父上」と呼びたい衝動を抑えられた。


(俺が喉から手が出るほど欲するものを、お前はいつも易々と手にいれる)


「三年だ」


 伊千佳は呟いた。本当はすぐにでも知布を甲斐連から引き剥がしたいが、甲斐連の期待に応えるためには、三年は必要だ。でもそれ以上はやるものか。


 甲斐連が終わると、それまで大人しくしていた男たちがワッと知布に群がった。知布への陵辱は朝方まで続いた。


 男たちが去った後、伊千佳は砂漠に倒れる知布に近づいた。精液と血と尿の臭いに、伊千佳は思わず顔をしかめた。両手で大きな桶を持っているから、鼻を覆うことはできない。


 目を瞠った。死体と見紛うほどの酷い有様だった。全身に噛み跡や打撲痕があり、頬にはいくつも涙の線がある。まぶたは開いていた。虚な目が、伊千佳を捉えて怯えるように揺れた。


「喜べ。お前はこれから三日おきに、こうして仲間の糧となるのだ」


 知布はキュッとまぶたを閉じた。目尻から一筋の涙が落ちる。


「言っている意味が……わかりません。どうして父上は……こんなに酷いことを……伊千佳様。俺は、何か罪を犯したのでしょうか。誰も……教えてくれないのです」


 知布の声はひどく掠れていた。伊千佳は知布の肩を掴み、体を起こさせた。


「罪? なぜそう思う。お前は乳が出るのだぞ。この過酷な砂漠で生き抜くために、神が与えてくださった神秘の体だ。皆の役に立つことを、なぜ素直に喜ばないのだ」


「他の人も……伊千佳様も、同じことをされているのですか」


 カッと頭に血が昇った。唇が笑いの形に歪む。


「俺の髪を見れば、わかるだろう? 俺はタンチョウ族ではない。お前とは、体の構造が違うのだ」


 自分でも驚くほど低い声が出たのに、知布は伊千佳の怒りに気づいていないのか、悲痛に眉根を寄せた。


「では兎斗は、いつかこんな目に遭うのですか……こんな……悍ましい目に……」


 無知な男の言葉に、伊千佳の胸がグッと締め付けられる。


 なら変わってくれ。そう喉元まで出かかった。お前には血縁があるじゃないか。これ以上甲斐連の気を引かないでくれ。俺にできないことをやらないでくれ。


「嫌です……兎斗をこんな目に遭わせたくない……」


 伊千佳はぐずぐずと泣き出した。


 兎斗というのは伊千佳と同じ腹から生まれた子供だ。同じ腹の兄弟などいくらでもいるのに、二人は特別仲が良い。兎斗は知布に髪を切ってもらうのが大好きで、九歳になっても詰髪できない短髪だった。


「安心しろ。乳が出るのは第一子だけだ」


 知布は心の底から安堵するように、ホッと胸を撫で下ろした。


「伊千佳様……それは、なんですか」


 知布は側に置かれた桶に気づいた。


「馬の糞尿だ」


「……それを、どうされるのですか」


「髪の色を抜く。お前は三年後、座貫の兵士として出征するのだ」


「座貫を、滅ぼすためですか」


「そうだ。俺は先に行く。座貫の内部から、タンチョウ族のために尽くすのだ」


「……他には、誰が行くのですか」


「ひとまず俺とお前だけだ。馬の糞尿で髪の色素は抜くことができるが、根本からは新しい黒髪が伸びてくる。敵との共同生活でそれをうまく隠し通せると分かったら、他にも仲間を送ってもらう」


「……なら、兎斗がいいです」


 甘えるなと怒りが込み上げた。でも兎斗が来ると思えば、知布はやる気を出すかもしれない。自分だけが必死になっても、座貫を滅ぼすことはできない。知布を使える男にしなければ。


「分かった。だがお前の働き次第だ。お前の正体がバレるようなことがあれば、それ以上の危険を入れるわけにはいかない」


「はい」


 知布は馬の糞尿が入った桶を見た。


「これを被れば良いのですか」


「そうだ。一度では抜けないから、何度もやる必要がある。あれと同じように三日おきに行えば良いだろう」


 知布がブルっと体を震わせた。何を怯えているんだと、伊千佳はますます腹が立った。三日おきにお前は甲斐連に触れてもらえるのだ。乳で皆の喉を潤すことができるのだ。それだけ求められていれば、除け者にされないかと不安になることもないだろう。


 伊千佳は自分の思考に苦笑した。甲斐連にそっくりの知布が、そんな不安を感じるはずがないではないか。だいいち座貫を追われて結成された民族だ。仲間意識が強く、血縁の繋がりこそ正義だと信じている。除け者にされないかと怯えるのは自分だけだ。よそ者の自分は、女とまぐわうことさえ許されない。……もっとも女とまぐわいたいと思ったことは一度もない。初めてが男だったせいか、女をそういう対象として見られなかった。女は孕むから近づきたくない。


「あれを……三日おきに……」


 顔面蒼白で、ガタガタと体を震わせる知布の姿が忌々しい。お前なんか顔だけだ。肝心の強さや気高さは甲斐連から何も引き継いでいない。


 忌々しい。憎らしい。甲斐連に似ているその顔も、暴虐の痕跡が生々しく残ったその体もっ!


「ひっ……」


 気づけば伊千佳は立ち上がり、桶を知布の頭上でひっくり返していた。糞尿の臭いが辺りに広がる。重みで知布は項垂れた。黒髪も、痣だらけの白い体も、これで自分の前から消えた。


 伊千佳は桶をひっくり返しただけなのに、全速力で走った後のように胸を大きく喘がせていた。気持ちはどす黒く淀んだままだ。こいつの存在があるかぎり、自分の心が晴れることはないのだろう。すすり泣く姿さえ癇に障った。


「知布……?」


 背後から、幼い子供の声がした。


「知布をいじめるなっ!」


 兎斗だった。果敢に、伊千佳に飛びかかってきた。


「伊千佳様っ!」


 知布が叫ぶ。さっきまで項垂れ、すすり泣いていた男が兎斗のために声を張り上げたのだと思ったら、嗜虐欲が込み上げた。剣に触れたのは威嚇のつもりだったが、気が変わった。伊千佳は剣を引き抜き、兎斗の薄い体を斬った。


「兎斗っ!」


 兎斗はうつ伏せに倒れた。知布がすかさず兎斗に飛びつく。


「兎斗! 兎斗!」


 声をひっくり返して叫ぶ。皮膚を浅く斬っただけなのに大袈裟な奴だ。


「なんて酷いことをっ!」


 怒りのこもった目に睨まれてやっと、伊千佳は胸がスッとした。知布によって引き起こされる苛立ちは、兎斗を痛めつけて解消すればいいのだと、ひとつ良い発見をした。

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