第12話

 都室と伊千佳に与えられたのは殺風景な鉄色の部屋だった。二段構えの寝台が二つ。定員は四名ということだろうが、四人もいたら窮屈だろうなと都室は思った。寝台に向かい合って座ると膝が当たるので、伊千佳とは位置をずらして座っている。

「思ったより良いもの食ってますね、黄亜の兵士は」

 伊千佳が言う。出された食事は、鹿の干し肉と焼き野菜と、爬虫類の血汁だった。西紅柿トマトは大の苦手だが、まさか残すわけにもいかず、都室は我慢して食べた。

「兵士がこれと同じものを食っているとは限らない」

 苦手な酸味に顔を顰めながら、都室はここまでに見た兵士らを思い返した。皆、痩せていた。甲斐連がいれんという中隊長も、骨格を考えればもう少し肥えていても良いような気がする。それに精悍な顔には、隠しきれない疲労が滲んでいた。

「そっか。俺たちは歓迎されてるってわけだ」

「ああ」

 正直、都室はまだ実感がなかった。海で殺されるんじゃないかと、本気で心配していた。

 だから甲斐連がいれんにねぎらいの言葉をかけられた時は、胸に熱いものが込み上げた。そして次の瞬間には、この男を自分は殺していたかもしれないという戦場の可能性に戦慄した。逆に、自分が殺されていたかもしれない。

「黄亜は、なぜ降伏しないんでしょう」伊千佳がポツリと言った。「ここは内地から四百里1600キロも離れてる。海に慣れた俺たちとまともにやり合って、勝てるわけないでしょう。どうしてそんな簡単なことがわからないんです? 黄亜軍は?」

「だが俺たちが勝つこともない。兵站ここを制圧することができたとしても、広大な黄亜砂漠を超えることはできない」

 だから海原での戦闘が十年も続いている。黄亜軍が座貫の本土に上陸することもなければ、座貫が黄亜砂漠に侵攻することもない。

「……交渉、どうなるんですかね」

「この戦争を終わらせるためなら、妥協は必要だろうな」

 甲斐連がいれんを思った。あの男は終戦を強く願っている。カミカゼなどという非常な手段を使う黄亜の兵士を、都室は恐ろしく思っていたが、話してみれば、彼らも自分と同じ、心のある人間と分かった。それが嬉しくもあり、苦しくもある。

「戦局は我が軍が優勢なんですから、妥協はいけませんよ、都室殿。黄亜に有利な和約を結んで、国に帰れるとお思いですか」

 伊千佳はそう言ったが、都室の心は決まっていた。黄亜の条件を飲んででも、この戦争を終わらせる。自分の命を差し出してもいい。

(なんとしても終わらせなければならない。ここには、父上がいるのだ)

 伊千佳が寝ついた後、都室はこっそり部屋を出た。危険なのは承知だが、じっとしていられなかった。

 間諜スパイと思われたらまずいので、自分は客人なのだと示すように、堂々と歩いた。

 黄亜の兵士らがこちらをチラチラと見てきたが、襲ってくる気配はない。都室は一つ息をつき、目が合った老兵に話しかけた。

「私はこの戦争を終わらせるために来た、座貫からの使いです」

 他の兵士らに聞こえるよう、普段より声を大きくした。サッと周囲に視線を飛ばす。みな息を呑んでこちらを見ていた。敵意は感じなかった。

「これは私個人の活動であり、座貫は関係ありません」

 前置きしたが、「飛鳥を沈めた軍人に会わせていただけますか」と聞くと、老兵は身を固くした。無理もない。

「どうこうする気はないのです。同じ軍人として、私はあの軍人を尊敬しているのです。どんな男か、一度この目で見てみたい。不調法な申し出であることは承知しておりますが、どうか」

 頭を下げる。顔を上げた時には、男は仲間に判断を仰ぐように周囲をキョロキョロとしていた。

「第七中隊隊長の、甲斐連がいれん殿です」

 外野の一人が答えた。

甲斐連がいれん……彼も乗っていたのか)

「もう一人乗っていたはずです」

 だが聞きたいのは、もう一人の方だ。都室が指摘すると、彼はバツが悪そうに俯いた。

「どうされた?」

 長い足で迫ると、男と、その周囲にいた者らは怯えるように後退った。

 威圧的だったか。都室は足を止め、人懐っこく微笑んだ。しかし焦燥感が込み上げる。父上に何かあったのだろうか。

 ふと、昔聞いた噂を思い出した。黄亜と座貫が戦争を始めるずっと前、異世界の日本人兵士がドッと黄亜帝国に流れ込んだ。その時日本人兵士が伝えたのが「カミカゼ」で、黄亜軍人は日本人に対して、恨みに近い感情を抱いている。

 ……もしかしたら父は、虐げられているのかもしれない。まさか暴行を受けているのか。

 それを俺に知られたら外交に影響が出ると思い、彼らは答えられずにいるのだろうか。

 都室は周囲を睨め付けた。男たちの表情から、やましい隠し事を感じとる。

(やはり父上は、虐げられているのだな)

 都室は目を閉じ、ゆっくりと開けた。声を張り上げる必要はない。余計な雑音はなく、周囲にいる者はみな、都室の言葉を聞き逃すまいと息を詰めてこちらを見ている。

「私は、あのような優秀な搭乗員の命が、この戦争で失われることを防ぎたい。もちろん、あなた方の命もだ。国のために果敢に戦うあなた方黄亜軍人を、私は心から尊敬している。近いうちに安穏な日々を迎えらえるよう尽力するつもりだが、その間も、我々は戦うことになるだろう。だからどうか、優秀な搭乗員を大切にしてほしい。私もいつか、あの搭乗員に直接会って、彼の戦果を讃えたい」

 そう言うと、都室は踵を返し、歩を進めた。男たちの視線が、いつまでも強く背中に注がれていた。



 やはり父が気になって、都室はその後も兵舎を見て回った。

 ふと、金髪の少年が目に留まった。15、6に見える。兵舎と兵舎の間、おそらく水汲み場だろう、筒状の穴の側で、男と向かい合って座っている。男の方は二十代前半くらいか。なぜか顔中アザだらけだ。

 金髪の少年は、男の顔を濡れた布で拭いている。男は痛みに片目を閉じる。

 戦闘で負った傷ではないだろう。彼も、虐げられているのだろうか。よく見れば顔つきが柔らかい。戦場で役に立たない能無しなら、それもいじめの原因となる。

 自分はさっき、なんと言ったか。都室は記憶を辿った。「優秀な搭乗員を大切にしてほしい」という言葉は、弱者への加虐を助長しないか……

 踏み出した時、「都室殿」と背後から鋭い声がした。振り返る。甲斐連がいれんがいた。咎めるような目と視線が合った。

「何をされているんです。勝手に出歩かれては困ります」

「申し訳ありません。喉が渇いてしまって」

「ではすぐに運ばせます。兵士らが混乱しますので、部屋へお戻りください」

 都室は視線だけで井戸の側にいる二人を見やった。

「何か?」

「戦場以外でも、あのように傷つく兵士がおられるのですね」

 都室の視線に釣られるようにして、甲斐連がいれんも二人を見た。いじめを認知しているのか、甲斐連がいれんは驚かなかった。当たり前のように二人を目に認めた甲斐連がいれんに、都室はひそかに落胆した。

(少し話しただけで、勝手な理想を彼に抱いていたようだ。彼も結局、下の者への思いやりに欠けた、普通の軍人ということだ)

「都室殿、部屋へお戻りください」

 こちらの言葉への返答がないことに、都室はますます気分を害した。

「あの少年はいくつです? 我が国では勉学に励む年頃に見えますがまさか、彼も戦場へ駆り出されているなんてことはないでしょうね?」

 わかっていて、厭味を言った。甲斐連がいれんがキリリとした眉を神経質に寄せる。

「あれはお兄さんかな? 離れるのが嫌で、ここにいるのなら微笑ましいが」

「彼らは、私の部下です」

「ほう? 甲斐連がいれん殿はあんな子供を引き連れて出陣しておられるのか。さすが黄亜軍人は強靭な精神をお持ちだ。俺はとてもじゃないが耐えられない」

 グッと甲斐連がいれんが詰め寄った。憤怒の表情は、さすがに迫力がある。しかし都室は怯むことなく、まっすぐそれを受け止めた。

 反論なら興味があった。都室は彼の口が開くのを期待して待ったが、やがて放たれたのは、「お戻りください」という、ひどくつまらない言葉だった。

 クッと眉根を寄せた都室に、甲斐連がいれんは絞り出すような声で言った。

「あなたは髪も肌も美しい。きっと、栄養価の高い食事を摂られているのでしょう。……あなたのような人間を、うちの兵士に見せたくない。どうか部屋へお戻りください。これ以上、彼らに惨めな思いをさせたくない」

 その言葉に、グッと心臓を鷲掴みされたような衝撃を覚えた。唇が勝手に戦慄き、足元がおぼつかない。彼の目を直視できず、たまらず逸らした。頬が、かあっと熱くなるのを感じた。

「……申し訳ない」

 かろうじてそれだけ言い、都室は足早に部屋へと向かった。

 黄亜の兵士らに向けられる視線が、帰りは痛かった。こっちを見るんじゃない、と怒鳴りたくなるほど、耐えがたかった。都室は前のめりに進みながら、自分の無神経さを呪った。


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