第5話
座貫はもとより海からの敵襲に備え、海岸に巨大な基地を構えていた。それは基地というより、都市と呼ぶ方がしっくりくるような、建造物の集合だった。軍人の家族のための住居や、独身のための遊郭まであるのだ。
兵舎があるのだから、出撃の前日くらいは大人しく兵舎で寝ろと思うのだが、自由を奪えば士気が下がると思い、
「
しかし直属の部下の胸元に鬱血の痕を見つけ、つい怒りのまま口にしてしまった。
だいたい、この栗毛の部下は将校のくせに軍服を
「誰も気にしません。昨夜は第二分隊で遊郭に行ったんです。みんな同じことですよ」
「
「くだらんことを言うな。出撃前に遊郭などに行く指揮官がどこにいる」
軍事力で言えば、座貫が圧倒的に優勢だ。けれどごく稀に、カミカゼと呼ばれる特攻攻撃を受けることがあり、これが厄介だった。
それに海上での戦いに勝ったとしても、広大な砂漠に侵攻するのは躊躇われた。だからこのまま、海上での戦闘を続け、黄亜軍の兵力が尽き、撤退するのを待つ。それが座貫の戦略だった。
(だが、もう四十年だ。いつまでこんなことを続けるつもりだ?)
「ハハ、
桟橋は数箇所から伸びており、下方では、任務を終えた兵士らが楽しげに基地へと降りていく。
「いいなあ、天気のいい日に休めて。花見でもするのかな」
ふとその時、視界の隅で何かがカサッと動いた。手すりに蜘蛛がいた。まるで
(こんなところに食い物はないぞ)
なんとか蜘蛛を掬い取り、
基地に降り立ち、目についた子供に声をかけた。子供は長髪の
「蜘蛛は平気か」
え? という顔で、少年が
「こいつをどこか、土のある場所に連れてやってくれないか」
少年はますます不思議そうな顔で
それでも少年はこっくりと頷き、
「ありがとう」
笑いかけると、少年は釣られるようにはにかんだ。
「
そこへ兵士がやってきた。
「息子が何かご無礼をしましたか」
少年は父親の帰りを待っていたらしい。駆けつけた兵士を見るなり、「父上っ!」と弾けるように笑った。けれど父親は、青い顔で
「謝るな。頼み事をしただけだ」
「蜘蛛を土のとこに連れてってって」
少年が言った。父親が怪訝な顔をする前に、「そういうことだ」と言って、
(俺は何をしているのか……これから、人を殺しに行くというのに)
強烈な自己嫌悪を感じながら、母艦に乗り込む。
鉄板が外され、基地から母艦が離れた。
「蜘蛛なんか助けてどうするんです」
いつの間にか
「触れようとすれば逃げ、殺されまいと死んだふりをする。生命の意思を目にすると、どうしても放っておけなくてな」
「彼らは生きていても辛いだけだろう。いっそ死なせてやった方が親切だ」
黄亜の兵士を見ていると、生き地獄、という言葉が過ぎる。こちらが充分な休息をとっている間も、彼らは戦い続けなければならないのだ。交代の母艦が見えた時の、彼らの絶望は想像に難しくない。
「……ですね」
「一息に死なせてやれ。半端に痛めつけるなよ」
母艦が戦線に近づく。海には戦闘機の残骸があちこちに浮いていた。座貫の戦闘機は少数だ。
その中を一機、猛スピードで進む敵戦闘機があった。
「カミカゼでしょうか」
「第二連隊は何をしているっ!」
まさか、交代が来たからと、全機、母艦に引き返したのだろうか。
「第二連隊は
「総員っ! 発艦準備っ! 急げっ! 母艦
声を張り上げ、待機中の戦闘機、
(カミカゼ……まったく、ろくでもないものを持ち込みやがって)
しかし、本物のカミカゼは飛行機だという。空を飛ぶ戦闘機……そう聞いても、
「第六連隊っ、総員っ、発艦準備っ! 準備ができたものは直ちに応答せよっ!」
全員の発艦準備を待っていられず、「
捨て身の兵士ほど、厄介なものはない。体当たり攻撃など、
(生き延びようと死んだふりをする蜘蛛の方が、よほど人間らしいではないか)
二人を乗せた
(考え直せ……貴様らの国は、兵士の命など、虫ケラとしか思っていない)
(なんて速さだ)
銃撃するが、まだ届かない。
「くそっ……このままだとっ!」
「母艦飛鳥、応答せよっ! 飛鳥っ! カミカゼが接近中っ! 応答せよっ! 飛鳥っ! カミカゼが接近中っ! ただちに迎撃せよっ! ……くそっ! 平和ボケしてんじゃないっ!」
一仕事終えた気でいるのだ。気付いたとて、気の緩んだ座貫の兵士に、あのカミカゼを止めることなどできないだろう。
二人の命が潰える瞬間を、この目に焼き付けるのだ。座貫の兵士の命も、多く失われるだろう。だがそれより、自らの命を投げ打ってでも敵艦に打撃を与えようとする二人の存在を、自分だけは覚えていたいと思った。
「……っ!」
母艦に体当たりするかと思われたそれは、その直前で急旋回した。一瞬の出来事だった。弧を描くことなく、超小回りで船首の向きを変えたのだ。
ドオオン、と爆音が轟く。母艦が大破し、鉄片や兵士がガラガラと音を立てながら激しく海に降り注ぐ。……だが、急旋回した
昂り、体が震えた。敵軍の兵士の操縦技術に、感銘を受けたからではない。
「父、上……」
かつて父親が見せてくれた旋回と、そっくりだったのだ。
(父上、生きておられたのですねっ……)
その
「あの
『
「
『お忘れですかっ! 今、この部隊を指揮しているのは俺ですっ! 第六連隊に告ぐっ! 俺に従えっ!』
『
「命令だっ! あの
母艦が崩れ、それによって生じた荒波に、
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