第3話

 黄亜帝国には巨大な宮殿があり、国庫があった。民衆と呼べるだけの人々が暮らし、しかしその民衆が食っていけるだけの肥沃な大地はなく、国土のほとんどは砂漠だった。亜鉄と呼ばれる鉱物が豊富に採れるその国は、主要な都市も宮殿も全て亜鉄で造られていた。

 黄亜の宮殿はいくつもの門に厳重に囲まれている。都市ほどの広大な敷地の中には、中心部から王族、貴族、上級官吏、上級軍人、女官が住まう宮が散在している。亜鉄を建築材料としているため、建物は鈍色だが、その周りは美しい庭園に囲まれている。

 貴族の宮。亜鉄で造られた無機質な、だだっ広い部屋には、上等な袍服を着た貴族らが、向かい合うようにして座っている。彼らの間には長い絵巻が広げられ、戦線が描かれたその上には、碁石のようなものが幾つも動き回っている。

 それは今現在、戦線で活動している戦闘機の分身あり、呼び名を天天てんてんという。

 この国には、天天の動きを正確に読み取る天戯師てんぎしと呼ばれる職がある。天戯師はどの機体がどれほど敵を撃墜しているのか、またどれほど敵陣に迫っているかを天天の動きによって素早く読み取り、顧客に伝えるのだ。

 知識のない者が天天の動きを見ても、戦況を知ることはできない。佐了さりょうもこれを習得するのに二年掛かった。顧客は大金を賭けているので、間違った判断をすれば、刑罰が与えられる。天戯師てんぎしは高給だが、危険な職でもあるのだ。

「三七六号機、二六零号機、六八号機、河西にて撃沈」

 佐了が言うと、はあっ、と落胆の声が上がった。

 カエルのような醜悪な顔立ちの、肥え太った男は、バンッと床を叩いた。

 側に置いてあった陶器の器がカタンと音を立て、中を満たしていた酒がこぼれた。側にいた娼妓が絹で拭く。

李広りこう殿、もしや全滅ですかな?」

 床を叩いたカエル男の正面、キツネ顔の男がニヤニヤと言った。隣にいる娼妓が、アーンと切った果実を差し出す。キツネ顔は大口を開け、果実を舌先で受け取った。

「まだ……まだ甲斐連がいれんが残っているっ!」

 李広と呼ばれた男はつばきを飛ばした。

「ふん、甲斐連が残ったところで、配当など知れとるでしょう。儲けたければ雑魚に賭けなければ……ああ、その雑魚が今撃沈したのですな。お可哀想に」

 キツネ顔がクックと肩を揺らす。

「撃沈するなら、潔くカミカゼで散ればいいものをっ……」

 李広が唸る。この賭博には何通りもの賭け方があり、中でも『カミカゼ』は高配当がつきやすい。

「ははっ、李広殿はカミカゼを買っておられましたか。いやはや、恐れ入った。よっ! 勝負師っ!」

 佐了の胸に激情が込み上げる。こいつらは、兵士を賭博の駒としか思っていない。兵士にも感情があり、家族がいることなど、想像したこともないのだ。そして自分は、その賭博に従事している。こんな低俗な職のために、二年も費やした。戦線に出るための訓練は、たったの二ヶ月だというのに。

「黄亜軍人は腰抜けですぞ。お国のために死ねる者など滅多におりません。そうであろう? 佐了」

 キツネ顔が、佐了を名指しし、視線が一挙に集まった。佐了の指先が怒りに震える。

(俺は、こんな腐った者共の為に、命を懸けて戦っていたのか。右目も左腕も失って)

 佐了は濃密な黒色の髪で、失った右目を覆い隠している。左腕は義手が失われた分を補っているが、機能としては頼りない。戦闘機を操縦するのは困難だ。

 もっとも、最後の出撃の時すでに、佐了に左腕はなかった。その前の出撃で撃ち抜かれたのだ。命からがら帰還した佐了に、カミカゼを持ちかけたのが、キツネ顔の男……芭丁義ばていぎだった。

 まさか戦争で賭博が行われているなど夢にも思わなかった佐了は、芭丁義ばていぎがカミカゼで大金を得ようとしていたことも当然知らなかった。

 芭丁義ばていぎは、指定した日にカミカゼを行えば、金をくれると言った。国から入る金なら向こう十年。けれど芭丁義ばていぎの分も合わせれば、母は二十年楽ができる。

 佐了は母と二人家族。どうせこんな身体ではいずれ死ぬ。だったらカミカゼを選んで、母をあの仕事から救いたい。

 義手はなかった。佐了は肩に麻縄を巻き付け、その先を操縦桿にくくりつけた。

 死ぬつもりだった。けれど佐了の覚悟を察した隊長に、発艦直後、行く手を阻まれた。

『佐了っ! 貴様カミカゼをやるつもりだなっ!』

 機体に備え付けられた無線器から、甲斐連がいれん隊長の声が聞こえてきた。

 佐了は身を反らすようにして、操縦桿を操作した。

『どいてください。甲斐連がいれん隊長っ!』

 機体が加速し、前を進む隊長の機体を小突く。

『俺はもう戦えません。行かせてください』

『母親はどうなるっ! お前が死んだら悲しむぞっ!』

『悲しみません』

 佐了は即答した。

『俺は、早く死んでこいと言われて送り出されたんです。カミカゼで死んで初めて、俺は孝行息子になれるんです』

『何が孝行息子だ。生きて帰ることが孝行だ』

 思わず、渇いた笑いが漏れた。

『この戦争が終わると…………座貫ざかんを落せると、甲斐連がいれん隊長は本気でお考えですか』

 国土のほとんどが砂漠の黄亜帝国と違い、座貫には豊かな耕地と、水源がある。血税も徴兵もなく、信じられないことに、軍隊は志願制だという。カミカゼで散らなければ大金を得ることができない黄亜の兵士と違い、座貫では、兵士になるだけで、家族の生活まで保障されるという。大した戦果を上げずとも、戦死すれば手厚く葬られ、遺族には大金が入るという。これも信じられない話だ。座貫の兵士は、いいなと思う。

『上の者に進言できる立場に、出世すればいい。俺はそのつもりだ。あと二つ階級を上げれば、宮殿に入ることができる。俺は上級軍人となって、この戦争を終わらせる』

 隊長もわかっているのだ。座貫に勝つことなどできないと。

 ……わかっていない者などいない。座貫は海を超えた先にあり、地図だけ見れば距離は近いが、黄亜帝国軍が海に出るにはまず、広大な砂漠を横断しなくてはならない。

 いちおう、黄亜砂漠の最南端、海に面した場所には兵站へいたんがある。兵站へいたんとは、作戦に必要な物資や、負傷した兵士を救護する設備が入った軍事施設だ。けれど仮設に過ぎない。兵站へいたんは常に負傷者に溢れ、食糧は本土からの輸送部隊を待つしかないので、不足している。そんな環境で長期間、戦いに駆り出され、仲間を失っていく黄亜の兵士らは、体力も精神も底をつきかけていた。

『佐了、お前は腕を失った。戦線を退いても許されるんだ。本土に戻って、新しい職につけ。お前の頭ならきっと見つかる。そんで母親に会いに行け。お前はきっと誤解している』

 諭すような優しい口調に、涙が込み上げた。

『誤解なんかじゃありません。母様は、俺を忌み嫌っているんです。俺の……父親譲りの黒髪を……』

『だったら死ぬな。そんな母親のために命を捨てるなんて馬鹿げてる』

『たった一人の肉親です。……それに、ある貴族と約束したんです。今日、カミカゼをやれば、その貴族は母様に大金を渡してくれる』

 無線機から、隊長の唸り声が聞こえた。

『お前、本気でそんなものが守られると思ってるのか?』

『えっ?』

 佐了は血の気が引いた。疑いもしなかった。腕を失い、憔悴しきっていた時に、持ちかけられたのだ。

『八百長だ。口約束なんじゃないのか。そんな、話を持ちかけるような人間が、守るわけねえだろうっ……』

 隊長の声は苦しげに震えていた。

『引き返せ。操作不良と言えばいい。そもそもお前、どうやって今操縦してんだ』

『縄を……くくって』

 言葉にすると、自分の姿が、ひどく滑稽なものに思えた。

『お前が死んだら、俺はお前の母親に洗いざらい全部話すぞ。腕の代わりに、縄で操縦桿と体を繋げて、配当金目当てに特攻したってな。あの優秀な男が、子供騙しの罠に引っかかって死んだってなっ!』

『やめてくださいっ! 腕のこともっ、金のこともっ……母様には言わないでくださいっ!』

『お前が貴族の口車に乗ったと知れば、お前の母親は国から貰える金だけじゃ満足しないだろうな。配当金の一部も貰わないと気が済まない』

(さっきから、隊長は何を言っているんだ。配当金とか、八百長とか……)

『俺は言うぞ。『カミカゼの手当てとは別に、配当金は貰えたか』ってな。そうしたらお前の母親はがっかりだ』

『がっかり……』

 せっかく死んでも、母をがっかりさせてしまう。そんなのは嫌だと思った。母を喜ばせたくて死を決めたのだ。

『……甲斐連がいれん隊長、帰郷をお許しください』

 絞り出すように言った。

『許す』

 隊長の機体が、スイッと加速し、佐了を引き離した。あまりにも呆気なく遠ざかるので、佐了は違和感を覚えた。

 佐了は麻縄と繋げた操縦桿を見た。身体は目一杯倒して、全速のつもりでいたが、操縦桿は半分も倒れていなかった。


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