第4話

 甲斐連がいれん隊長は知っていたのだ。この国がなんのために戦争をしているのか。


「のこのこ帰ってきよって。貴様など男でないわ。死ぬのが怖いなら、潔くタマを取って女として生きればいいものを、天戯師てんぎしの知恵などつけおって」

 娼妓の太ももを撫で回しながら、芭丁義ばていぎが侮辱する。

 失った右目がキリキリと痛んだ。あまりにも痛むので、佐了は思わず目を押さえた。

「なんだ、天戯師てんぎしの仕事もまともにできないのか」

 自分の目を奪った男を睨むが、男はふん、と鼻で笑うだけだった。

「佐了、天天を読め」

 先輩の天戯師てんぎしに注意され、佐了は絵巻に目をやった。左目がカッ開く。

「なぜっ!」

 突如声を荒げた佐了に、視線が集う。

「どうした、佐了? 甲斐連がいれんが死んだか?」

 芭丁義ばていぎがニヤニヤと笑みを浮かべる。半分、合っていた。

 隊長の戦闘機だった。それが、信じられない速さで敵母艦へと向かっているのだ。

「七八号機、カミカゼ……」

 佐了が言うと、ドッとその場が湧いた。

「まさかっ!」

 芭丁義ばていぎが両目をひん剥いて立ち上がる。腰に下げた長剣がガチャンと鳴った。

「なんとっ! まことかっ!」

 カエル顔の、肥え太った男が満面の笑みになる。それを見た瞬間、毛穴という毛穴から、血が噴き出すような怒りを覚えた。

「おほほっ! 聞きましたかな芭丁義ばていぎ殿っ! 甲斐連がいれんがカミカ」

 ブシューッ、とカエル顔の首から鮮血が噴き出した。

 芭丁義ばていぎの腰から奪った長剣で、佐了が首を斬ったのだ。

陋劣ろうれつな貴族風情が、隊長の名を呼ぶんじゃない」

 佐了は静かに言った。大それたことをしておきながら、心の中はひどく静かに凪いでいた。

「いやあああああっ!」

 一瞬の静寂の後、娼妓が悲鳴を上げる。それに連鎖するように、貴族らがみっともなく騒ぎ出す。佐了は目を閉じた。(なぜです、甲斐連がいれん隊長……っ!)心の中で問いかけ、目を開けた。

「ぎゃあっ!」

 逃げ惑う貴族を斬っていく。元軍人は自分だけ。左腕が使い物にならなくても、俺に敵う者などいない。

 貴族らは見栄のために長剣を腰に下げているが、誰もそれを使わない。

 全員殺す。それが隊長への弔いだと、佐了は思った。兵士が命懸けで戦う中、賭博などしている腐った連中を、一人残らず殺すのだ。

 天戯師てんぎしと娼妓は逃した。

「うがあっ!」

「ぎゃうっ」

「ひぐぁっ!」

 カサ、と音がし、振り返った。惨状、と呼ぶのがふさわしい光景。華やかな長砲チャイナ服を血で染めた貴族らが、折り重なって倒れている。

 うつ伏せで倒れる芭丁義ばていぎの背中が、上下に揺れていた。佐了は歩を進めた。近づき、足を止めると、男の肩がビクッと震えた。

 長剣を振り上げる。身の危険を察したのか、芭丁義ばていぎが身を翻し、腰を抜かしたまま佐了を見上げた。

「た、頼むっ! 殺さないでくれっ!」

 胸の前で手をあげる。命を惜しむ姿に、余計に怒りが込み上げた。眼球が熱くなり、佐了は眉間に力を込めた。

 それを、失った右目が痛むと思ったのか、芭丁義ばていぎは服の中から、香り袋のような小さな巾着袋を取り出し、震える手に乗せ、差し出した。

「か、返す……だから、だからどうか命だけはっ……」

 失った右目からは血が、琥珀色の左目からは涙が溢れた。こんなくだらない人間の娯楽のために、黄亜の民は戦に駆り出され、虫ケラのように命を散らしていったのだ。

「こんなことをして、死罪は免れんぞっ……いやっ、貴様は死罪よりも惨い拷問を受けるのだっ! 簡単に母親の元へは行けないぞっ!」

 振り上げた腕が、止まった。芭丁義ばていぎの表情がホッと緩む。

「わ、わたしが救ってやろうっ……貴様がこれからも天戯師てんぎしとして働けるようっ……」

 気づけば、佐了は芭丁義ばていぎの身体を斜めに斬っていた。

天戯師てんぎしも、こいつらと変わらない。兵士の命を弄ぶ蛮人だ)

 揺らいでしまった心を正すように、血で濡れた刃を振り払う。足元に落ちた巾着袋が目に止まり、拾い上げた。

 右目が入っていた。自分のものと思えなかった。持っていても仕方がないが、誰かの手に渡るのも癪なので、袖に仕舞った。

 絵巻と天天は散乱し、もう戦況を読むことはできない。

甲斐連がいれん隊長……俺の敵は、あなたを殺したこの国です)

 佐了は部屋を出た。廊下に、腰を抜かした娼妓がいた。佐了に気づくと、尻で後退った。

「お許しを……私はただ、ただ呼ばれてここにいただけなのです……っ!」

 殺す気はなく、通り過ぎようとしただけだったが、女は「こ、子供がいるんですっ」と訴えた。その言葉に足を止める。

「なぜ産んだ」

 女は青い顔で、「それは……」と言ったきり、口をつぐんだ。

「娼妓の子供が幸せになどなるものか」

 佐了の母は娼妓だった。父は乱暴な客だった。『お前を見るとあの男を思い出す』と母はよく言った。

「そんなこと、考えなくてもわかるだろう……っ!」

 怒鳴ると、女は両手で顔を覆い、シクシクと泣き出した。胸が痛んだが、慰めの言葉をかけてやる気にはならなかった。スッと女の横を通り過ぎる。

「お待ちをっ!」

 ふり絞ったような声に、振り返る。泣いていた女がふらりと立ち上がり、自身の背後を手で示した。

「こちらに抜け道がございます。追っ手が来る前に、さあ早くっ!」


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