熱帯体育館

紫鳥コウ

熱帯体育館

 少女たちは裸足で体育館を駆け回り、ある一団は花一匁はないちもんめをはじめて、「あの子」を奪い合った。片方が「あの子がほしい」と言うと、もう片方が「あの子がほしい」と応じて、じゃんけんをはじめる。「あの子」は絶え間なく、ふたつの組の間を移動し、疲弊し、尻餅しりもちをついた。


 そして「あの子」は荒縄で捕縛されて、急拵きゅうごしらえの祭壇にくくりつけられた。涙を流しながら命乞いをしたが、「あの子」は太ももを燭台しょくだいにされて、溶けていくろうが肌に垂れるたびに悲鳴をあげた。


 しかしあの一団は、花一匁に打ち興じて、「あの子」のことなどもう忘れてしまった。月の光が届かない体育館は、「あの子」から半径数メートルだけは明るくなった。すると、まるで火取り虫のように、蝋燭の炎に誘われて、ひとりの少女が、暗やみからぬっと顔を突き出してきた。


 そして、詐欺師のように笑い、どんどん顔を近づけていった。蝋燭ろうそくは「あの子」の肌の上にしっかりと根を張って、段々背を短くしていく。あの一団の花一匁は、二組ふたくみが交互に足を蹴り上げて、「あの子がほしい」と反復して言うだけになっていた。


 詐欺師は、蝋燭の火に照らされた「あの子」を、いろいろな角度から検分した。「あの子」は、やみの奥で花一匁をする二組の「あの子がほしい」という声を、沈黙を守りながら聞いていた。


     *     *     *


 夏の夜に、体育館で花一匁はないちもんめをすると、ふるい制服を着た女の子が現れるという噂を聞き、少女たちは、放課後、周りにだれもいないことに気を付けながら、こっそりと忍びこんだ。このまま、夜を待とうというのである。


 刻一刻、陽は傾いていき、体育館は段々と暗くなっていった。少女たちは身体を寄せ合い、お互いを励ましあった。するとひとりの少女が、こんな提案をした。スマホのライトくらいなら、窓から明かりが漏れることはないだろうと。


 しかしもうひとりの少女が言った。警備員が施錠にくるまでは、こうして息を潜めて待たなければならないと。少女たちは、体育器具が収納されている物置の、十段に重ねられた跳び箱の後ろに隠れていた。それは、三人をかくまうには充分な大きさをそなえていた。


 内側から鍵を開けることができる以上、物置の扉が施錠されたところで閉じ込められる心配はない。むしろ、施錠されたということは、警備員が巡回しおえたことの証拠になりうるのだ。


     *     *     *


 十九時を回っても物置が施錠される気配はなかった。さすがに遅すぎるのではないかと思い、じゃんけんで負けたひとりの少女が、扉の隙間から外の様子をうかがうことになった。


 音を立てないようにそっと扉を開こうとしたが、少し押しただけで、きいいと鋭い悲鳴が響いた。少女は、とっさに扉を閉めて、内側から錠をかけてしまった。すると三人のうちのひとりが、物置が施錠されていると、警備員が中を細かく確認するに決まっていると、戻ってきた少女に注意をし、鍵だけは開けるようにと命令した。


 しかしこうなると、物置から外へ足を踏み出すために、くぐらなければならないこの扉は、三人には、開かずの扉と同然のものとなった。何時間もひそんでいるうちに、自分たちが、この学校の生徒ではなく強盗の一味のように思えてきた。


     *     *     *


 そして三人には、切実な悩みがあった。買い込んでおいたスポーツドリンクを、もうとっくに飲み切ってしまっていたのだ。ひとり二本ずつ自販機で購入したものの、狭苦しい物置に蒸し焼きにされ続けていることは、想像を絶する苦痛だった。


 このままでは熱中症で三人とも倒れて、死人に数えられてしまうかもしれない。そういう焦りを覚えたひとりの少女が、もう帰ろうと提案した。異論を唱える者はいなかった。


 すると今度は、この後ろめたい行為をひた隠しにしたいという気持ちが生まれてきた。そこで三人は、きしむ扉を慎重に押し開いて、出来る限り音を立てぬようにしながら、こっそりと体育館を抜け出すことで意見を一致させた。


 そのためにも、外の様子だけは確認しておきたい。もしかしたらいま、警備員が、体育館のべつのところを見廻っているかもしれない。ひとりの少女がそう考えたのだ。


     *     *     *


 今度は、この少女たちのうち、じゃんけんで負けたひとりが、慎重に扉を開いて、少しの隙間から外の様子を窺った。しかし、狭い視界で広い体育館を見渡すのは不可能だった。そこでひとりの少女が、スマホを外にだして写真を撮ればいいと提案した。


 だが、暗やみのなかで、隙間から手を伸ばしてシャッターを切るのは難しい。そこで、セルフタイマー機能を使うことにした。その役目は、じゃんけんで負けた少女が引き続き担うことになった。


 しかし、写真は真っ暗だった。少女たちは暗やみのなかで、鮮やかに写真を撮る方法を知らなかったのだろうか?――それはともかくとして、少女たちはあらゆる苦心を繰り返しながら、脅えるように、はばかるように、写真を撮り直していった。


 ようやく気付いたところによると、自分たちを撮ってみると、意外にもはっきりと、その姿が映るのである。ということは、レンズがなにかに当たってしまっているだけなのだろうか。では、一体なにがこの隙間の先にあるのだろうか。


 少女たちはもう一度じゃんけんをした。先ほど負けた少女は、今度は裸の手を、ぐっと遠くへ差し出すことになった。


     *     *     *


 恐る恐る、まるで、これからなにか盗みを働くかのように、扉の隙間から手を差し出すと、少女はふたりの方へと振り返り、微笑を送ったようだった。いや、少女は、微笑でもしなければ、心の平衡へいこうを保ち得なかったのだ。


 少女は手を引っ込めようにも、あちらから、何者かにぐいっと引っ張られて、思う通りにいかないのである。ふたりは少女に飛びかかり、その腕を握り大根を引っこ抜くように力をいれたが、びくともしない。


 そうしていると、不意に、知らない少女の声が聞こえてきた。「そっちは、どの子がほしいの?」――と。扉の向こうで、大勢の少女たちが花一匁をしている声が、どんどんはっきりと聞こえてきた。


 気付けば、蝋燭ろうそくの光が、扉の向こうから少女たちの方へ差し込んできていた。そして、どんどん少女は腕を引っ張られていった。残るふたりはそっと手を放した。どこかへ引きずられていく少女の悲鳴。…………

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