中編

 リュシアンが遠征中も、度々セリエール侯爵家を訪れ花嫁修業に励むミリアは、家では着々と鱗の収集物コレクションを増やしていた。

 そんなある日、存在すら忘れかけていた婚約者から手紙が届く。


【大事な話がある】


 そう添えられたいつものお茶の誘い。

 一体何なのだろうと不思議に思いながらも、ミリアはセリエール侯爵家へ向かった。


「いらっしゃいませ、ミリア様。申し訳ありませんが、リュシアン様は少々立て込んでおりまして……。先に庭園へご案内するよう申し使っております」


 いつもは無愛想ながらも出迎えてくれるリュシアンの代わりに、家令が隙の無い笑みを浮かべて立っていた。

 いつもと違う様子にますます困惑しながらも、特に拒否する理由もないため庭園へと向かう。

 だがその後もいつもとは違うことが続いた。


「失礼致します。侍従殿に少々伝えておかねばならぬことがありまして……少々お借りしてもよろしいでしょうか?」

「え? ええ、姿が見える場所ならば良いと思うけれど……」


 家令の言葉を不思議に思いつつも、何か個人的に話したいことでもあるのだろうかと思い承諾する。

 花嫁修業の際にも付き従っているウェッジのことはこの家令もよく知っていて、たまに話しているのを見るから。

 護衛に支障がない範囲でなら離れていても問題ないだろう。


 紅茶を淹れてくれた侍女も離れていき、前回とはまた別の花々が咲き誇る庭園に一人残される。

 遠目にウェッジと家令の姿は見えるが、なんとも寂しい状況だ。


(こうなると、石像のような婚約者でもいるだけマシだったのかもしれないわね)


 しみじみとフレーバーティーの香りを楽しんでいると、近くの茂みがガサリと揺れた。

 気のせいと言うには大きな揺れで、何かがその茂みにいるのだろうことは疑いようもない。


 誰何すいかの声を掛けるべきか、それともすぐにウェッジを呼び寄せるべきか。

 迷っている間にそれは姿を見せた。


「――っ!」


 驚きで息が止まる。

 あり得ない。

 それは、このような場所にいるはずのないものなのだから。


 ガサリとまた音を立て、それは一歩茂みから出てくる。

 ミリアの倍以上あるその体の半分が見えた。

 青みがかった銀色の鱗で全身を包み、見ただけで力強さを感じさせる体躯は威圧感がある。

 爪は柔らかい地面を抉り、また一歩そのドラゴンはミリアに近付いた。


(ど、ドラゴン? ほ、本当に!? とても綺麗!)


 あまりにもあり得ない状況に、いつも口うるさく聞かされていたウェッジの言葉も頭の中からすっぽ抜けてしまう。

 ただただ目の前の美しいドラゴンに魅せられた。

 ミリアを探るようにジッと見つめてくる灰青色はいあおいろの目が、とても澄んでいる様に見えたのも要因だったのかもしれない。


 ミリアが動かないからだろうか。

 青銀の美しいドラゴンはゆっくりとまた一歩近付こうとしてくる。

 その様子にミリアは思わず制止の声を上げた。


「あっ、ダメ。それ以上来てはダメよ」


 言葉と共に、思わずその太い首に抱きつく。

 茂みはウェッジのいる場所からは死角になっているが、これ以上進んでしまうと見えてしまう。

 話に聞いていたドラゴンは凶暴らしいが、このドラゴンは少々様子が違うように見える。

 害はなさそうなのに、討伐対象にされてしまうのはかわいそうだ。


 グルゥ……


 小さく喉を鳴らすようなうめき声を上げたドラゴンは、たじろいだように一歩下がる。

 驚いたのだろうか?

 何にせよ近付いても襲ってくる様子は無い。

 やはり野生の凶暴なドラゴンとは違うようだ。


「あなたは優しい子なのね。もしかして、竜騎士様のドラゴンなのかしら?」


 あまりに大人しいのでその可能性が高い。

 だが、この国に竜騎士はいないはずだ。

 昔のように外国の使者が来ているという話も聞かない。

 何より、本当に竜騎士のドラゴンだったとしても何故この侯爵邸にいるのだろうか。


 疑問は絶えないが、抱きついたドラゴンの鱗の感触にまともな思考が出来なくなっていく。

 ひんやりとした質感。

 けれど生きているドラゴンの鱗からはその体温も感じ取れて、ミリアは感動を覚えた。

 欲が抑えきれず、思うままに抱きついている首を撫でる。


(素敵……ああ、こんなところで夢が叶うなんて! 私もう死んでも良いわ!)


 優しくドラゴンを撫でながら、ミリアの心の中は興奮で荒れ狂っていた。

 ドラゴンがジッとしているのを良いことに、そのまま頬をすり寄せてみる。

 収集物コレクションの鱗たちも素敵だが、生きているからこそ微妙に色艶が変わる鱗は格別だ。

 しかも青銀の鱗など見たことも聞いたこともない。

 とても貴重な体験に、ミリアは内心昇天してしまいそうだと思った。


 グル、グルルゥ……


 くすぐったかったのか、ドラゴンは笑うように呻き僅かに身を捩る。


「あ、ごめんなさい」


 慌てて体を離すと、澄んだ灰青色の目を見上げる。

 やはり凶暴さは欠片もない。

 人に慣れているドラゴンだ。


 見つめ合っていると、その綺麗な目が近付いてくる。

 今度はドラゴンの方から鼻先を近付け、ミリアの頬にすり寄ってくれた。


(ああ……ここは天国かしら?)


 もうすでに昇天してしまっているのかもしれないと思うほどの至福に、ミリアはうっとりとドラゴンの頭に手を添える。

 その愛しさに、つい口づけてしまった。


 ッ! グルゥ!?


 途端に悲鳴の様な鳴き声をするドラゴン。

 驚かせてしまっただろうか。


「ごめんなさい。キスはダメだった?」


 宥めるためにその首に抱きつき撫でると、徐々に鱗の感覚がなくなっていく。

 どうなっているのかと不思議に思っていると、ドラゴンの体自体も縮んでいるように感じる。


(え? な、なに? 本当にどうなっているの?)


 戸惑っている内に、ドラゴンは人の姿になっていた。

 しかも……。


「……すまないミリア。一度離れてくれないか?」


 その姿は、青みがかった銀髪に灰青色の目を持つ、恐ろしいほどに美しい婚約者殿だった。

 ……しかも全裸の。


「ぃ、いやぁあああーーー!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る