第5話 夏実、襲来。



 ノパソの前からは動かず、スーパーうどんハイスピードキータッチでカータタタタタタタタタタタタタタタタタターーーーーーっっ、アターーーーーーっっっ! と、オレの中にある物語を打ち込んでいく。


 ぴーーーーん、ぽーーーーん。


 2回目のドアベルが鳴った。


 3日前に上司の原力也が来た時は、ドアベルは一度だけ。後はさかんにドアを叩いて、いろいろと叫んでいた。すっごい迷惑だった。


 ……上司じゃないってことは? まさか?


 とある可能性に気づいたオレは、キーボードに向かって触手のように蠢くうどんを制止させた。


 マズいっっ⁉


 がちゃがちゃ、カチャリ。


 くるっ、きぃーーーーー。とん、とん。きいいいぃぃぃぃー、パタン。


「ケイちゃーん。いないのー?」


 夏実が来た⁉


 あいつ、合鍵だと⁉ どういうことだ? さては姉さんか!


 マズいマズいマズい。


 慌てて、ノパソのある仕事机から飛び降り、どこかへ避難しようと動く。


 ……この姿を夏実に見られる訳にはいかない⁉


 オレは必死に逃げようとした。したのは、した。したんだけど、無駄だった。


 ……この部屋、せまいんだよな。アパートだし。玄関からすぐここまでやってくるからさ。


「うわっ。何、この汚れ。床に白い、シミ、みたいな……えー。ケイちゃん、ちょっと、それはないよ。いくら独身だからって……」


 ……キッチンの床の白い汚れのせいでオレの人格に風評被害が⁉ 全部うどんのせいだ⁉ 尊敬できるおじさんだったはずなのに⁉


 ガラっ。


 玄関からキッチンを通り、夏実は部屋の引き戸を動かした。


 そう。1Kの部屋なんて、そんなもの。うどんのオレが逃げ出す隙など、なかった。ある訳がない。


「あれ? ケイちゃん? ……ほんとにいない……って。パソコン、ついてる。しかも、執筆中な感じだけど……って? なにコレ? うどん……みたいな?」


 オレは、逃げ遅れたため、仕事机の下に落ちたままだった。夏実がじっとオレを見つめている。


 ……動くな。動いてはいけない。動くとマズい。うどんはそもそも動かない。


 それにオレがうどんだとバレるのはマズい⁉


 オレが身動きしないように耐えていると、夏実は、何度か、ノパソの画面から仕事机の下へと視線を行き来させた。


「……パソコンの画面がここで、この、白いうどんみたいなのが、その下に……ちょうど何かを見ててって感じが……じゃあ、これって、まさか、ね? でも、夏実、本物は見たことないし……アレって、こんなにたくさん、出るのかな……? 色は白っぽいって聞いたことはあるけど……ちょっと黄ばんでるって話も……確かに色合いは聞いたのと似てる……」


 ……誰だーーっ! ウチの可愛い姪っ子に変なことを教えてるヤツはーーっ!


「ケイちゃんも男ってことかぁ。まあ、掃除はケイちゃんが帰る前に夏実がしとくとして……あ、でも、なんか、ソレに触りたくはないから、つかんだり、つまんだりするもの、探して……」


 ……うどんの身体のせいで夏実の中のオレがなんか変態っぽくなってんじゃねーか⁉


 うどんの姿のまま、動かないように耐えていたが、屈辱で全身がぷるぷると震えている。くっ、気づかれる訳には……って。ちょっと待て。


 掃除?


 夏実のやつ、掃除って、言ってなかったか?


 え?


 ……オレ、捨てられるんじゃないか?


 あ、いや。そりゃ、そうだ。今の、うどんの身体だと、ゴミ以外の、汚れ以外の、何者でもないのが、オレだ。


 ……なんか、長年、可愛がってきた姪っ子に、ゴミのように捨てられる人生って。


 それはもう全米のおじさんが泣くぞ。


 オレも泣けてきた。涙、出ないけどさ。うどんだから。


 とはいえ、捨てられる前提で考えて、ゴミ扱いから脱出できるか? ゴミ袋なら最初に入ってた袋みたいに破ることもできるのかもしれないけど……。


 ……いや。いくらうどんの身体になったとはいえ、他のゴミと一緒にゴミ箱とかゴミ袋に入れられるってのは、かんべんしてもらいたい。


 人間としての意識があるのに、その屈辱には耐えられない。たとえ身体はうどんでも。


 ……どうする? どうすればいい?


 オレはまだ、書籍化の夢を叶えてないんだ。あきらめたくない。


「あったあった。火ばさみ、はっけーん。よーし、これで……」


 キッチンで火ばさみを見つけた夏実が戻ってくる。カチ、カチ、と音を鳴らして、楽しそうにやってくる。こっちとしてはちょっと恐怖だけどな?


 ……覚悟を、決めろ。

 夏実を、信じろ。オレと夏実のあの日々を。

 あの時、オレは、夏実の父親になるんだって、誓ったじゃないか……。


 夏実がものすごく微妙な表情で、オレのうどんの身体に火ばさみを近づけてくる。


 オレは、2本のうどんを使って、夏実に見えるように、ペケの字を作った。


「ふぇ……?」


 夏実の動きがぴたり、と止まった。そして、そのまま、目が大きく見開かれていく。


「ケ、ケイちゃんのアレが、う、動いた……? あ、でも、そういえば保健で、一生懸命、夏実の中の1番奥を目指して動くって習ったような気も……」


 おらーっっ! 出て来い体育教師っっ! ウチの可愛い姪っ子に何を教えとるんじゃーーっっ!


 夏実の中の1番奥を、って、どういうことだ⁉


 許さん! 許さんぞっ! 保健の授業でウチの夏実に何をしやがったーーっっ!


 怒りに震えたオレはいつの間にか、うどんの全身をうねうねと蠢かせていた。


「わっ、すっごい生き生きしてる! ケイちゃんのアレがこんなに動くなんて……ケイちゃんって、実は……まだまだ若いんだね……」


 くっ。頼むから純真無垢なウチの姪っ子を今すぐ返してください……。






 この日、オレは最愛の姪っ子である夏実に、自分がうどんになったことを打ち明けた。


 心に、トラック転生並みの大きな傷を負いながら……。まさにトラウマ。





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