開かずのロッカー

よし ひろし

開かずのロッカー

 俺の高校には、開かずのがある。


 本校舎の三階、一番端にある一年一組の教室前にあるスチール製二段の灰色のロッカー。その右上の角がその開かずのロッカーだ。

 一年前、一年一組になって一番最初に担任に言われたのが、そのロッカーは開けるな、ということだった。理由など何もなく、ただ絶対に開けるな、触ることも禁止だ、と強く言われた。

 開けるな、と言われれば開けたくなるのが人の常だが、漏れ聞こえてくる噂によれば、開けたら後悔する、だの、開けたせいで学校をやめた奴がいる、だの、ひいては、自殺した者もいた、とかいう話まで聞こえてきたので、みなビビッて開けるものはいなかった。

 俺も何度か開けてみたいという衝動にかられたが、結局、一年間、ロッカーの扉に触れることさえしなかった。


 今日から新年度が始まり、開かずのロッカーから離れた教室に移ることになるので、もう気になることもなくなるだろうと思っていたのだが、逆に余計に気になって仕方なくなった。人間とは本当に厄介なものだ。

 明日の入学式を終えれば、新しい一年一組の生徒があの教室を使う。あのロッカーを開けるには、今日しかないのでは――そんな思いにとらわれてしまった。


 始業式を終え、新しいクラスメイトとの顔合わせを終えるだけでその日はみな帰宅。部活などで残るものもいるが、一年の教室がある辺りには人気ひとけがなくなる。

 辺りに人がいないことを慎重に確認し、問題のロッカーの前までくる。ちなみにこの前まで俺が使ってたロッカーは、三つほど隣だ。ロッカーを使うたびに気になってはいたのだが、こうして正面に立ってじっくり観察するのは初めてだ。

 当たり前だが、造りは俺が使っていたものと何ら変わりはない。


「……」

 無言のまま、そおっと手を伸ばす。


 指先が取っ手にかかる。


「……よし」

 自分に気合を入れ、扉を引く。が――


 開かない。


「ん?」


 鍵は各自が用意した南京錠やダイヤルキーを掛けておくタイプなので、扉自体に鍵は掛かっていない。見た限り鍵のようなものは掛かっていないので、取っ手を引けば開くはずなのだが――


「おかしいなぁ…」


 少し力を込めて引く。と、ロッカー全体がガタガタと音を立てて振動したので、慌てて扉から手を離した。

 中に荷物が入っていないので、重量が軽くなっているのだろう。無理に開けようとすると、ロッカー全体が倒れてしまうかもしれない。


「くそ、開かないのか――。あれ、もしかして、開かずのロッカーって、故障していて開かないロッカーってことなのか?」


 無理に開けようとして事故が起こると困るので、開けるな、触るなと強く言っていたのかも――そんな考えが浮かぶ。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉もある。学校の怪談っぽく語られた開かずのロッカーの話も、真実はこんなもんなのかな、と思い、ほーっと大きく息を吐きだした。


「はぁ…、帰るか」

 少し落胆しながら、踵を返そうとした時、


「私のロッカー、中がそんなに見たいの?」


 背中からかけらる女性の声。


「えっ?」

 驚き、振り返る。するとそこに、女生徒が一人。


「君は――」

 見たことない顔だ。が、ブレザーのリボンの色から、自分と同じ学年だとわかる。それに今、自分のロッカーだと…


「一年一組にいなかったよね、きみ?」


「そうね。あなたの知っている一年一組にはいなかったかしら」

 小首をかしげると肩まで伸びたサラサラの黒髪が揺れる。よく見るとすごく可愛い子だ。一度見たら忘れようがない。


「どういうこと? 君は一体――」


「私のロッカー、ずうっと気になっていたのに、一年も開けないなんて、あなた、根性なしね。それとも慎重派なのかしら?」


「何を言って…、え、どういうこと?」


「せっかく開ける気になったんだから、ちゃんと中を見ていってよ」


 彼女がつっと詰め寄り、俺の手を取ると、ロッカーの扉へと触れさせた。

 途端にその扉が勢い良く開く。


「えっ! 何?」

 ロッカーの中には――何もない。


「私が使うはずだったけどね――、結局使えなかったのよね」


「何を言ってるの? え、――?」

 頭の中に疑問符がいくつも浮かぶ。まるで状況がつかめない。


「君は誰なんだ?」


「知りたい? じゃあ、自分の目で確かめて!」

 言い終わると共に彼女が俺の背中を押す。


「え、あっ!」

 バランスを崩し、ロッカーへと頭から突っ込む。中の棚か壁にでもぶつかる、かと身構えたが、何故かそのままロッカーの中へと吸い込まれていった。


 そして――……



 が舞っていた。

 ハラリハラリとピンクの小さな花びらが舞い散る。

 ずらりと並ぶ桜並木、そこを自転車で進んで行く。

 結構大きな通りで、すぐ横を車が多く走り抜けていた。

 進む道路上にも桜の花びらが多く落ち、ピンクの絨毯になっていた。


 ふーっと少し強めの風が吹き抜ける。


 ぶわっと舞い上がる桜の花びら。


「うわ~、すごーいっ!」

 自分じゃない女の子の声で感嘆の声が上がる。


 その時、突然聞こえるブレーキ音。


 ハッとなりそちらを向くと、反対車線からこちらに向かってくるトラックが――


「!?」

 えっと思う間もなく全身を襲う衝撃。


 痛み、痛み、痛み――


 道路に背中から落ち、仰向けに倒れる。


 見上げる空。

 ピンクの花びらが青い空に舞っていた。


「あ、綺麗……」


 それが最後の言葉。

 そして、すべてが闇に落ちた。


 彼女は、死んだ。


 十年以上も昔の四月、入学式を終え、今日から授業が始まる――そう期待に胸躍らせて学校に向かっていた途中で、彼女、阿井佳純あい かすみは十五年の短い人生を終えた。一年一組、後に開かずのロッカーと呼ばれるあのロッカーを使うことなく……



「……」

 気づくと、例のロッカーの前に立っていた。扉は閉じている。

 首をめぐらす。彼女、阿井佳純の姿はない。


「……そういうことか」

 ロッカーの扉にそっと右手を当てる。もう恐れはない。


 学校に通うことができなかった彼女の魂は、いまだにこのロッカーに残っているのだろう。学校側もそれを知っているのかどうか――とにかく、開かずのロッカーの謎は解けた。


「はぁ…、それにしても、可愛い子だったなぁ……」

 先ほど見た阿井佳純の姿を思い浮かべながら、安らかに、と心で祈りを込めてから、その場を後にした。



 翌日、入学式も終わり、一年一組の教室には新たな生徒たちが入った。担任にいきなり開かずのロッカーの話を聞いて、みな驚くだろうか? そのうちの何人が興味を持ち、ロッカーを開けようとするか?


 二年になった俺は、すぐに通常通りの授業が始まった。うららかな春、窓際の席になった俺はすでに葉桜になっている外の桜を見ながら、ふと彼女のことを考えた。


 目を閉じる――


 すると、の裏に映る舞い散る桜の光景…

 そして浮かぶ、黒髪の可愛い少女の顔――


「ねえ、君、そういえば、名前、聞いてなかったね?」

 耳元で囁く彼女の声。


 ハッとして目を開けると、そこに阿井佳純の姿が――


「えっ!?」

 思わず声をあげ、周囲の視線が俺へと集まった。


「どうした、酒井。質問でもあるのか」

 先生の問いに、

「いえ、ちょっと虫が――」

 そう言ってごまかす。

「そうか、しっかり聞いてろよ、授業」

 そこで、皆の注目は黒板へと戻る。


 そう誰も俺の机の横に立つ彼女には気づいていない。彼女の姿が見えるのは自分だけ――


「酒井くんっていうのね。で、下の名前は?」

 可愛らしい顔をこちらに近づけ訊いてくる。


 彼女は幽霊――でも、何故か恐ろしさは微塵も感じなかった。


「……ここは一年一組じゃないぞ」

 口だけ動かすほどの小声で囁く。


「そんなことより、名前、教えてよ」

 クリクリの大きな目を見開き、しつこく訊いてくる。


「……雅樹まさき。酒井正樹だ」


「そう、ふふふ、知ってると思うけど私はね、阿井佳純。私、あなたのこと気に入っちゃった。学校にいる時だけでいいの、私と付き合ってよ!」



 こうして俺は幽霊にとり憑かれた。


 まあ、可愛い彼女ができたと思えば、いいかな。うん、そう、そんなに悪い気はしない。

 あと二年、楽しい学校生活になりそうだな、たぶん……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

開かずのロッカー よし ひろし @dai_dai_kichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ