第32話 人狼ハーゲン

 ガキャアアン! ガキャアァァァァン!


 少し離れた位置に降り立ったわたしは、屋根の上で戦闘状態に突入しているイケメンと人狼とを注意深く眺めた。

 介入するにしても、状況を見極めてからだ。

 イケメンの方が悪いということだって、ないとは言い切れない。


「あら、本当に人狼だわ……」


 二メートルの巨体。灰色のこわい毛に覆われた身体。鈍く光る爪。鋭い牙。何より狼そのものの顔。

 身につけるは白のランニングにベージュのズボン。

 爪を獲物としているようで、大剣とかの武器を持っている様子はない。

 

 生物としての優位性か、人狼の方が明らかに筋力・スピード共に上なようだが、意外とイケメンが剣さばきもたいさばきも無駄を省いた見事な動きをしていて差をほとんど感じさせない。

 まさに実力拮抗。


 しかも、双方結構な使い手のようで、両者一歩も譲らず、大剣と爪とが激しくぶつかり合って火花を散らしている。

 と、イケメンが剣を交えながら人狼に向かって叫んだ。


「今回こそ貴様らを阻止してやる! 痛い目に合いたくなかったら、おとなしく今までにさらった人たちを返せ!」

「毎度毎度、本当にしつこいな。いい加減に理解しろよ。お貴族さまだぞ? さらった人たちは一人残らずご主人さまの腹に入っちまったよ!」

「外道が!!」 

 

 地上では保安官たちが集結しつつあるものの、屋根の上に登るルートを探しあぐねてまだもたもた道路を走り回っている。


「なるほど。状況はだいたい飲み込めたけど、わたしとしてはどうするのがベストだと思う? アル」

「まずは女性の救出じゃないの? ほら見ろ、エリン。人狼はイケメンとの戦闘に手一杯で、さらった女性をどこかに放り出しているみたいだぜ」

「そうね。はて、どこにいるかしら……。あぁ、いたいた、あそこ……」


 月明かりゆえに分かりにくいが、素朴なエプロンドレスを着たわたしとほぼ変わらない年齢の少女が屋根のふちで気を失っている。

 だが、その周囲に何かがうごめいている。

 犬だ。


「コボルト!?」

「ウゥゥゥゥ、バゥ!!」


 妖精の一種であるコボルトは犬の顔と人間の身体を持ち、二足歩行で移動する。

 実に可愛らしい顔立ちをした種族だが、今回は人狼に使役されているようで、コボルトたちはわたしに向かって牙をむき出して威嚇をした。


「あぁ!?」


 その様子にイラっときたわたしが殺意を込めた目を向けると、コボルトたちはキャンキャン吠えつつ、少女を置いて一斉に逃げ出した。

 

「あ、待ちなさい!!」


 とそこで、ようやく保安官たちが数名、屋根の上に姿を現す。


「さらわれた女性はそこよ! 保護して!」

「え? あ、はい!」


 わたしは保安官に指示すると、屋根の上を逃走するコボルトたちを追った。

 だがこれが意外と早い。

 コボルトたちは、屋根の起伏も隙間も難なく乗り越えて走っていく。

 犬の面目躍如めんもくやくじょだ。


 悪魔ヴァル=アールによって叩き込まれた特殊訓練によって抜群の運動神経を誇っているわたしではあるが、さすがに犬の敏捷びんしょうさと無限の体力にはかなわない。


 そもそもこんな足場の悪いところで犬と追いかけっこなんかやっていられないわよ!


 走りながら右手に持った短杖ワンドで宙に素早く魔法陣を描くと、直径四十センチほどの魔法陣が出現した。


「ポーランズパテラ(空飛ぶ円盤)!」 

 

 呪文詠唱に応えて、肩幅ほどの魔法陣が光を放ちながらわたしと並走する。

 ヒョイっと飛び乗ると、魔法陣は屋根を滑空しつつ一気にスピードを上げた。

 瞬間移動してきた白猫のアルが、わたしの右肩の上で鼻をしかめる。


「何か妙な気配が近づいてきているぞ、エリン。気を付けろよ!」

「何だか分かんないけど速攻片付けるわ! サジタルーキス(光の矢)!!」


 短杖から次々に光の矢が放たれ、コボルトへと迫っていく。

 充分手加減したから当たって死ぬことはないだろうが、大怪我は間違いない。

 ところがその直後、遠くで誰かの声が聞こえた。

  

「ジェリダ テッラ(凍てつく大地)」


 アルが一瞬で顔色を変え、叫んだ。

 

「防げぇぇぇぇ! エリィィィィィィンン!!」

「アブソルータ ディフェンシオーネ(絶対防御)!!」


 わたしの前方に積層型魔法陣が展開されると、それは瞬時に光の盾へと変化した。

 絶対防御は強力な分、適用範囲が狭い。完全に一人用だ。


 間一髪間に合ったようで、わたしのすぐ横を吹雪が猛烈な勢いで通りすぎていく。

 慌てて振り返ると、屋根の上にいた保安官たちが全員、氷像と化していた。


 それだけではない。地上には影響がなかったものの、屋根の上が遥か遠くまですっかり雪で覆われている。


 氷系の大規模魔法が行使こうしされたのだ。

 あまりの出来事に、道行く人たちがパニックを起こしているのが見える。


「ユリアーナ! てめぇ、規模を考えやがれ! 俺たちまでも凍らすつもりかよ!」


 だが、これほどの魔法に関わらず、人狼とコボルトたちは無事だ。

 大規模魔法を放ちつつも、味方のためにセーフティゾーンを設けたのだ。どれだけ高度な術式を組んだのか。  


 ふと見ると、コボルトのすぐ傍に黒いマントをかぶった人物がいた。

 それは、女性だった。

 ダークブロンドの髪をゆるふわロングにまとめた二十代の女性に見えるが、その妖艶な表情を見る限り、見た目の年齢と中身の年齢とにかなりのギャップがありそうな気がする。


「わたしを誰だと思っているの? ハーゲン。あんまり帰りが遅いものだから迎えにきてやったのに、れいの一つも言えないの? まったく、獣はこれだから……。そら、コボルトたち、先に行きなさい」

「ワゥ!!」


 コボルトたちはひと声啼くと、再度屋根の上を走り始めた。

 追いかけたいが、黒髪の女の圧が強すぎて行動を起こせない。

 黒髪の女――ユリアーナが視線をわたしに移すと、フっと笑った。


「あらあらあらあら、こんなところで追跡者チェイサーに出会えるなんてビックリよ。……初めまして、エリン姫」

「……あんた誰よ。三下なら三下らしくちゃんと名乗りなさいよ!」


 怒りの目で睨みつけるわたしに対し、どこまでも余裕ぶって微笑んでいる。それがまた腹立たしい。

 白猫アルもわたしの隣に立って、ユリアーナを睨んでいる。


「エリン、こいつ、悪魔の書の所有者ユーザーだ。しかも結構古い。孫本まごぼんレベルだ。強いぞ!」

「へぇ。それが悪魔王ヴァル=アールの普段の姿ってわけ? まるで猫ちゃんみたいで可愛いのね。ふふっ。お目にかかれて光栄よ、エリン姫。私は魔女ユリアーナ=ブルーム。あなたの従兄妹――レオンハルトさまの直弟子じきでしの一人。よろしくね」


 絶句するわたしをよそに、ユリアーナはアピールのつもりなのか、左手に持った水色の表紙の本をわざとらしく振ってみせた。


 それはまさしく、わたしとアルがこの世から一冊残らず消し去ろうとしている悪魔の書そのものであった。

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