第33話 屋根の上の攻防

 しばし、わたしとユリアーナの視線が交差する。

 わたしは怒りを必死におさえ込みつつ、静かに聞いた。


「……あんた今、レオンの弟子って言った?」

「言ったわ。八人いる直弟子の一人よ。ついでに言うと、もし追跡者チェイサー・エリンに会ったら殺せと言い含められているの。どうしたらいいと思う?」


 ユリアーナは持っていた悪魔の書に頬を寄せると、書に意見を聞くようなそぶりをしてみせた。


 悪魔の書には、所持しているだけで術者に危害を及ぼすほどの禁呪が山と載っている。

 通常はこの悪影響を、書に封じられた悪魔が肩代わりしてくれる。

 ところが、内容を書き写しただけの悪魔の書は悪影響を無効化する手段を持たないので、徐々に禁呪に蝕まれ表紙が黒ずんでいく。


 つまり、ユリアーナの持つ悪魔の書がアルの言う通り『蒼天のグリモワール』の写本であるならば、その表紙は真っ黒に汚れていなければならない。

 こんな綺麗な水色を保つだなんてありえない。


「挑発に乗るな、エリン。こんな人口密集地帯で総力戦になったら、どれだけ被害が出るか分からないぞ」


 白猫アルがつぶやく。

 アルも写本の異常性を感じているようで、声に緊張が走っている。

 わたしはそれにそっとうなずいた。

 

「動かなくて正解だ、お嬢ちゃん。追跡より解呪ディスペルを優先しないと、氷漬けにされた保安官たちが死んじまうぞ」


 言いながら雪の積もる屋根の上を歩いてきたのは、身長二メートルはありそうな筋骨隆々とした灰色の髪の大男だった。

 寒さを感じないタチなのか、上半身は白のランニングで、下半身にベージュのズボンと黒のブーツを履いている。

 頭髪といいモサモサの胸毛といい、全体的にかなり毛深い。


「この恰好。コイツ、さっきの人狼ね」

「気をつけろよ、エリン。反射速度が尋常じゃないぞ」


 隣に立つアルが、わたしにだけ聞こえるよう警告を発する。

 大男はわたしの前まで来ると無遠慮に顔を覗き込んできた。

 獣のような濃い体臭に、思わず顔をしかめる。

  

「おっほー、こいつは別嬪べっぴんさんだ。さすがお姫さまだけあって極上にかぐわしい香りがするぜ。伯爵さまに献上したら大喜びされそうだぞ」


 この感じ――。

 大男は明らかにアルが見えていない。悪魔の書の気配もしない。


 天空の王国イーシュファルトを丸ごと石化させて逃げた大罪人レオンハルトは、万能タイプで剣の腕も見事だったがしょせん王子に過ぎない。

 剣技を磨き、ソードマスターを目指すタイプではない。


 もしレオンハルトが弟子を取るとしたら、それはあくまで魔法だ。

 しかも、才能を何より重んじる彼であれば、弟子は悪魔の書の所有者たる資格を持つ者に限られるだろう。

 ということは、ユリアーナはともかく、見るからに体力馬鹿のこの人狼はレオンハルトの弟子ではないということになる。

 ではコイツらの関係は?


 わたしは油断なく人狼を眺めた。

 そうしながらも、ユリアーナの気配から一秒たりとも注意をそらさない。

 本命はこっちだ。


 と、視界の片隅でイケメンが微かに動いているのが見えた。

 極度の凍傷を負ったからか上手く動けないようだ。

 保安官たちがなすすべもなく氷像にされるほど高レベルの魔法だったのに、多少なりとも回避レジストしたとは立派立派。


 わたしは人狼の手を邪険にはねのけると、身体を横にずらした。

 道を譲ったのだ。


「とっとと行きなさい。そして、思う存分準備を整えて待ってらっしゃい」


 人狼は一瞬ポカンとしたが、すぐに意を悟ってニヤっと笑った。


「さすが姫さま、判断が早い。ありがたくって涙が出るぜ」

「礼を言われる筋合いはないわ。誰に邪魔されることなく広い場所でアンタたちをぶちのめしたいだけだから。どうせすぐ会えるでしょ?」

「はっはっは! 楽しみにしてるぜぇ、お姫さんよぉ!」


 人狼ハーゲンは上機嫌でユリアーナと合流すると、その場で霞のように消え失せた。

 ユリアーナの転移魔法でアジトに直行したのだろう。


 去りぎわ、宣戦布告のつもりか魔女ユリアーナが殺意を込めた視線をわたしに向けてきたが、わたしは優雅に微笑んで受け流した。


 そんなに吠えなくっても大丈夫。悪魔の書の導く暗黒面に自ら踏み込んだアンタは、わたしが責任もって引導を渡してやるから。

 でもその前に。

 保安官たちを助けてあげないとね。


 わたしは雪の積もった屋根の上を、氷漬けにされた保安官たちの方へと歩いていった。


 ◇◆◇◆◇


「んぐ、んぐ。ん。なんか悪いわね、わたし一人だけ食べちゃってて」

「俺のことは気にせんで腹一杯食ってくれ。奴らを相手にして疲れたろうからな。それにしても、その華奢な身体でよくそれだけ入るもんだ。感心するよ」

「奴らの相手ってより、あなたの部下さんかな。さすがにあれだけの数の保安官さんを解凍すると疲れるわね。栄養をいっぱい摂って回復しないと。それにしても、さすが街一番の高級ステーキハウスだけあっていい肉使っているわ。最近サムラ麺が続いていたからこうしてお肉食べるのも新鮮! あ、ボーイさん、ご飯のお代わりお願い!」

「かしこまりました」


 さて――。

 前述したとおり、ここはサムラの街で一番高級と名高いステーキハウスだ。


 屋根の上で氷像と化した保安官たちを解呪したわたしは、街の人たちに頼んで皆を病院に運んでもらった。

 わたしの魔法で生き返りはしたものの、皆ひどい低体温で、医者の治療も必要だと判断したからだ。


 その後、保安官事務所に顔を出したわたしは署長――リチャード=ウォルフに部下さんたちの状況報告をしたら『お礼も兼ねて食事でもどうだ?』って誘われてね? 『じゃ、お肉にして』って言ったらこのステーキハウスに案内されたってわけ。


 当然のことながらここの支払いは署長さん持ち。別にお金に困ってるわけじゃないけど、おごりってなると自分で支払いするときよりも美味しく感じるから不思議よね。


 目一杯食べて食後のお茶を飲んでいると、ずっと渋い顔で考え込んでいた署長が、頃合いかとばかりに口を開いた。


「この騒動だが、実は発端ほったんは半年ほど前になる。ある霧の晩、町の者が三百名ほど、忽然こつぜんと姿を消した」

「ブっ!!」


 署長の言葉に、わたしは思わずお茶を吹き出した。

 しぶきがテーブルをはさんで正面に座っていた署長の顔にモロにかかる。

 五十代半ば。口ひげが特徴の苦み走ったいい男が、わたしのしぶきで台無しだ。


「ご、ごめんなさい!」

「……構わん。気にするな」


 苦虫を嚙み潰したような表情の署長は顔をぬぐってあげようとするわたしの動きを右手を上げて止め、代わりに自分の首にかけていた手ぬぐいで拭いた。


 薄汚れた手ぬぐいで顔を拭いて汚れが取れるものか大いに疑問だが、とりあえず水分は拭き取れたようなのでよしとしよう。


「お嬢さんが驚くのも無理はない。我々だってあの時は、顎がはずれるくらい仰天したもんだ。青天せいてん霹靂へきれきとはまさにあのことだったよ」


 リチャード署長は、ため息交じりにそう言ったのであった。

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