夕飯食べ終わったんだけど
年賀状の束は母が出してくれた。これから確認する。
焼きそば食べながら母と昔の話をしたんだけど、父はほんと昔話を嫌った。
東京に来てからの話はよくしてくれたけど、和歌山の頃の話はほとんどしなかった。でも私の3つ上の兄貴が成人するまで、20歳になるまでは2年か3年に1度位のペースで夏休みに和歌山に行ってた。
祖父はやっぱり早くに亡くなってる。私が小学校高学年の頃。ひとり残された祖母は認知症になるのが早くて早々に施設に入って、父の兄弟………2人いた伯父さんの家族はその頃はそれぞれ仕事で別の所に住んでて、空っぽの実家にうちの家族がお盆時期に2泊か3泊して、お墓参りと家の掃除して、時間があれば祖母のいるホームにちょっと顔出して、美味しい外食で子ども達の機嫌取って帰るだけ。
なんで和歌山への帰省が数年に1度だったのか、ある時母が父に聞いたら「毎年和歌山帰るのはお金掛かるからさ。でもたまに帰らないと家って悪くなるでしょ。俺達が帰らない年は兄貴達が帰ってる」と返されてたらしい。
それもなんか違和感ある話だなと思うけど、母からすれば確かに親戚付き合いは最低限で良いとは言え子供3人連れて毎年遠距離帰省は面倒だと思ってたから父のやり方を受け入れてた。
実際和歌山に行かない年は、一緒に住んでる母方の祖父母と静岡とか茨城とか栃木とか、近距離の一泊旅行をしてた。
その話をしながらふと思い出したんだよね。
私と兄貴と妹だけ、仏間に寝かされてたなって。
両親は客間で寝てたんだけど、その客間は広かったから家族全員で寝ることも出来たはず。特に子ども達が小さい内は全員で同じ部屋でも良かったのでは?と思うんだけど、私の記憶にある限りで言えばずっと子ども達は子供達だけで仏壇の部屋で寝かされてた。
理由がある気がする。
母はそれを余り疑問に思ってなかったみたいだけど、子供からするとやっぱり寂しいというか怖いもんだよ。幼ければ幼い程。
ちなみにホームに入ってた祖母は私が成人する頃に亡くなった。祖母に関しては主に伯父さん達が色々やってくれてた、らしい。ちなみに10年ちょっと前かな。多分。この10年の間に2人いた伯父さんも両方逝った。全員いつ亡くなったかは全部父の日記に書いてあると思う。
とりあえず年賀状チェックと手紙書き終わったら改めてゆっくり父の日記を読んでみるね。
年賀状チェックは母も手伝ってくれるからすぐ終わると思う。
それと不意に気になった他のことも母に聞いてみたんだよ。
こないだ父の部屋を掃除に行った時に、連絡をしたわけじゃないのになんでタイミング良くタカハシさんがお茶とおやつ持ってやってきたのかって。
母曰く、タカハシさんは隣のマンションに住んでて、偶然窓から私と母が父の部屋に入っていくのが見えたから、だって。
ほんとに偶然なのかもしれないけど、なんかあのキモい手帳を目にした後だと疑心暗鬼になるな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます