第43話:いかだ生活
「ん……ッ」
波の穏やかな揺れと朝の陽光に目を覚ます。安心してください、決してセンシティブなことはしてません。ちょっと甘めの喘ぎ声が漏れ出ちゃっただけです。
ゆっくりと起き上がると、ワタシは少し眠い目を擦りながら、まずは周囲を見渡し、状況を確認する。冷たい海風がワタシの赤い髪をそっと撫でた。
「おふぁよう」欠伸まじりに。
どうやらワタシはいかだの上でもぐっすりと眠れるらしい。どこのどいつだ、枕が変わると眠れなくなるとか言ってたやつは。草のベッドはおろか、不規則に揺れるいかだの上でもこんなにぐっすりだぞ。
「起きたか、ガルニート。おはよう」
もふもふの小さな動物の姿をした魔王がワタシの隣で丸まっていたが、彼女の動きに反応して、どこか可愛らしい威厳たっぷりの声で挨拶する。
「なんかあった?」
「いや、何も」
この他愛もない朝のやりとりも、すっかりおなじみのものになっていた。
ほとんど眠ることのない魔王は、夜に何かあった時のために寝ずの番をしてくれている。あの島を取り囲んでいた絶対干渉不可侵領域を出た後は、魔素を取り込めるから以前にも増して、真っ黒な毛並みがさらにふわふわになっている気がする。
「気長に待つのじゃ、ガルニート」
じいさんのこの言葉もいつもと同じ。
じいさんは老人故に既に朝早くから起きていて、いそいそと釣りの準備をしている。じいさんが釣り上げる魚だけがワタシ達の心のオアシスだ。だけど、それを知ってか知らずか、じいさんはベテランの漁師のようにのっそりと釣り竿を手に取り、のんびりと海面に糸を垂らす。そして、そうしながら、「今日はいい魚が釣れるといいな」などと呟く。いやいや、じいさんは奇蹟を起こせるんだから毎日大漁でもおかしくないんだよ?「そうそう奇蹟なんぞ起こらん」「おまいう?」
昼になると、ある意味で一番過酷な時間帯だ。太陽が高く昇り、空は澄み渡る青。ワタシは、じいさんのサポートも兼ねて気晴らしに海に飛び込む。何も身に着けず、そう、透き通る水だけを白い肌に纏って海の中を自由に泳ぎ回る。しなやかに身体をくねらせて青い海を自由自在に泳ぐ姿はもう完全に、優雅でセクシーな人魚だろ、これ。
そう、とにかく昼間はやることがないうえに、いかだが浮かぶ洋上は太陽の日差しでとても暑い。真っ黒なもふもふ毛玉の魔王なんて無意識に舌出ちゃってるからな。日除けは最低限、じいさんが座っている場所だけにしておいて、昼間はこうして運動も兼ねて泳いでいる方がいい。ワタシは体力の回復は早いしな。
しわだらけの額にじとりと汗が滲むじいさんは、それでも、じっと釣り糸を見つめながら、「大物が来たな」などと小さく呟く。そんなじいさんの言葉に、だらけていた魔王は頭を上げ、ワタシは急いで海から上がる。ワタシが騒いで針から獲物が逃げたらイヤだからな。
そうして、ワタシ達も手伝って彼が引き上げたのはワタシの身体の半分もある大きな魚で、みんなの食事に十分な量だ。じいさんが手際よくその魚を捌き、杖の欠片を使って火を着けると簡単な料理をする。いかだの上に香ばしい香りが漂い、待ちに待った昼食が始まった。
長く暑い昼が終わると、太陽が西に沈み始め、空がオレンジ色に染まる。急激に気温は下がって、海は静かで、波の音が心地よく響く。ワタシと魔王はいかだの端に座り、じいさんが準備した食事を楽しむ。魚の美味しい焼き加減に満足し、干した果物の優しい甘みに癒される。ワタシ達は笑いながら、今日も1日、特に何もなかったな! などと他愛もないことを話す。
夕方の海風は涼しくて、魔王は大胆不敵にも、ワタシのやわらかく艶やかな生足全開放状態の膝の上に乗りやがったけど、もふもふの体で温もりを提供してくれているので、まあ許してやろう。その温かさに癒されながら、海の向こうに広がりゆく星空の気配をそっと見上げた。
夜になると、いかだの上には星々が輝く。海はすっかり静寂に包まれ、波の音だけが響く中、ワタシ達は吊り下げた焚火を囲む。あんまり火を強くしすぎていかだに引火したりしたらマズいからこれくらいの明るさがちょうどいいだろう。暖かい光がワタシ達の顔を照らし、静かな夜に安らぎをもたらす。
そう、こういう静寂が訪れる夜こそ魔法の鍛錬の時間だ。
ワタシはまだ諦めていない。まあ、レベルアップのついでみたいなもんだ。できるんだからしないよりはマシだろう。ちなみにいくらやってもレベルは上がってない。どういうこと?
夜が深まり、海は静寂に包まれた。満天の星空が広がり、月明かりがいかだの上を淡く照らしている。波の音がリズミカルに響く中、ワタシは痴女のような、大事なところ以外ほとんど隠れていない紙紐ビキニ姿のまま、いかだの中央にあぐらを組んで座り込んでいた。
ワタシは瞳を閉じ、深い呼吸を繰り返す。夜風が肌を撫で、海の塩気が漂う中で、心を静かに整える。魔法の修練を行うため、ワタシは全身の力を抜き、内なる世界に意識を集中させた。
自身の内側に沈み込んでいくような瞑想の中で、ワタシは意識と無意識の狭間に広がる無限の海を感じていた。ワタシはそこを泳いでいく。その海はとても穏やかで、深く、静寂に満ちている。ワタシの心臓の鼓動が、その海の波と共鳴する。
「海のように、静かに……」
心の中で呟くと、内なる魔力がゆっくりと流れ始めるのを感じた。ねえ、これってレベル1でやること? という疑問はあえて今は考えないようにしておこう。今はただ、海に揺蕩うだけ。
内なる魔力は、まるで潮の満ち引きのように規則正しく、身体全体に広がっていく。内側の海は、きっと無限の可能性と力を秘めている。そんな気がする。それこそが魔法。だからこそ、それを自在に操るための集中が求められるのかもしれない。
「次は……」
内なる海が穏やかになると、次に意識を外側に向ける。以前失敗したのはここから先だ。ワタシは目を閉じたまま、周囲の空気が熱を帯びるのを感じる。炎のように揺らめき、激しく燃え上がる力が、彼女の周囲に現れ始める。
海から炎へ。
そのイメージが、以前のワタシには難しかった。いや、今もそうだけど、だけど今は。
海も炎も、ワタシは経験してきた。そして今もまさに。
「炎のように、強く……」もう一度呟く。
手のひらから放たれる魔力が、炎のように燃え上がり、その光と熱がワタシの身体を包む。温かくて優しくて、金属だって美味しい料理さえももたらしてくれるけど、だけど、一歩間違えば自分も含めて全てを焼き尽くしてしまう。
炎は制御不能な力を象徴する。
だけど、ワタシはあの島で炎を生み出して、そして、制覇している。そのイメージは強く強くワタシの中にあるんだ。この力をしっかりと掌握し、自在に操る。そんなイメージを掴む。
この身体は海のように静かでありながら、周囲の空気は炎のように激しく燃え上がっている。その対照的な力を同時に感じながら、ワタシは瞑想を深めていく。内側の海が外側の炎と調和する、ワタシの魔力が一体となる瞬間を目指している。
だけど、その瞬間は今日も訪れなかった。
「……ふう」
長い時間が経過したような気がして、ワタシはゆっくりと目を開ける。こうして、いかだの上での静かな瞑想修行は終わった。
何かを得られたような気もするし、何も掴めなかった気もする。いつも、こんな感じだ。
ただ、海で泳いだ時とは違う疲労がどっと押し寄せてきてはいる。これが修行の成果だと思いたい。
これを毎日地道に続けていけば、いずれは魔法が形になるんじゃないかなあ。なんとなく吹っ切れたおかげで、あの時のぽっきりと心が折れたような挫折感はもうない。やってることに反して案外軽い気持ちだったりする。
魔王とじいさんがいかだの片隅で静かに見守る中、ワタシはにっこりと微笑むと、ばたりと大の字に両手足を広げて仰向けに倒れ込んだ。
「よし、今日はもうおしまい! 寝よう!」
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