第38話:冴えないおっさんでも魔法使えますか?

「では、まずは殲滅魔法を」


「いやいやいやいや、高い高い、初手に覚える魔法としてはあまりにもハードルが高すぎるから!」


 絶対干渉不可侵領域の外、穏やかな波間にゆらゆら揺れるいかだの上。魔素も必要なく、魔法に関しては門外漢のじいさんは島でお留守番だ。勢い余って落ちたら危ないしね。


 というわけで、いよいよ待ちに待った、(いや、待っていたのはワタシだけかもしれないけど)修行編に突入じゃい! 修行編というか、そもそもそこに至るまでの強敵との対峙とか挫折みたいなイベントも全く起きてないけどね。本当にガチの初歩の修行よ。


「とりあえずさ、なんか簡単にできそうなやつを教えてよ。感覚を掴むのに最適な初歩的なやつでお願いします」


「ふむ……」


 魔王は短い前足で顎を触ろうとして届かなくて諦めていた。仕草がいちいち可愛いの本当にやめてほしい。この様子だと、どうやら、きゅっと目を瞑って何かを考えているようだ。え、何、そんなに難しいの? いや、魔王だしな、初級とかいうしょぼい魔法は知らん、ということか?


 そして、魔王はゆっくりと口を開く。かわいい。


「魔法とは、自らの意思で世界を塗り替えるもの。それ故、ガルニート、そなたはまず、塗り替えるべきこの世界を知らなければならぬ」


「なるほど、つまりワタシはこの世界を知らなきゃいけないのか」


「ついさっき吾輩が言ったことそのままだな。まあ、つまりはそういうことだ。だが、」


「ん? 他にもなんかあるんか?」


 この世界を知ろうにも、ワタシが知ってるのはこの島だけだ。


 この世界の文明はどれほど発達しているのか。


 この世界の法則はどうなっているのか。


 この世界の常識とはどういったものなのか。


 ワタシは世界を変えるための世界を何も知らないのだ。これはもしかしてとてもマズいのか? 無知の知を今さらながらようやく自覚したぞ。そして、自覚したらしたでちょっと焦り始めたぞ。


 だけど、船の上で派手に動くこともできずに、じんわりとわたわたしてるワタシとは対照的に、魔王はなんか小さくてかわいいやつのクセに、この波間のようにゆったりとしていた。


「世界を塗り替えるとは、つまり、別の法則を顕現させることだ。もし、そなたがいた世界の法則でこの世界を塗り替えることができれば、あるいは強力な魔法になるかもしれぬぞ」


「おお! そうか、何もこの世界のことで塗り潰さなきゃいけないわけじゃないもんな!」


 それならば話は早い。


 ワタシはワタシしか知らない異世界で世界を変える。


 太陽はまるでワタシを祝福するかのようにキラキラとその陽光で海を輝かせていた。穏やかな波がいかだの側面を優しく撫で、ゆらゆらと揺れるリズムがワタシの心を落ち着かせる。いかだの上、ワタシはゆっくりと息を整え、精神を集中させていた。初めての魔法を発動するその瞬間が、刻一刻と近づいているのだ。


「心を落ち着けて……、呼吸を整えて……」


 自分に言い聞かせるように囁き、両手を膝の上に置いた。周囲の静けさがワタシの心を次第に穏やかにしていく。遠くで名も知らない海鳥が鳴き、波の音が一定のリズムで響く。それがワタシの瞑想を助けていた。


 そういえば、ここに転生させられた最初の時にも、こうして瞑想して大宇宙の上衣存在と交信して超感覚を得ようとしていたこともあったことを思い出した。あの時は全く集中力が足りなくてあっさり頓挫したけど。


 でも、今なら。じいさんや魔王とサバイバル生活を過ごして成長した今のワタシなら。


「大丈夫、できるはず…」もう一度自分に語りかける。


 小さく、切ない吐息のような深呼吸をしてから、両手をゆっくりと胸の前に掲げた。初めての魔力の感覚を感じるために、目を閉じ、心を静かに集中させる。


すると。


 指先が微かに震えるのを感じた。初めての感覚。何か、水流のようなエネルギーが身体の内側からじわりと溢れて、次第に大きな潮流となって全身をを流れ始める。これが魔法?


 そして、明確な熱を持った暖かい波がワタシの細い腕を通り抜け、さざ波が手のひらに集まる。ワタシの赤い髪が火の粉を撒き散らすように輝きながら、ふわりと舞い上がり、真紅の瞳が燃え上がる。徐々に、手のひらの先に小さな光の球が生まれた。淡い青い光がいかだの上で輝きを放つ。


「う、うまくいった……のか?」


「ガルニート! そのまま集中を途切れさせ……」


 魔王が何かを言おうとしたけど、だけど、その前に光の球が不安定に揺れ始めた。何が起きているのかなんとなくわかってしまって思わず眉を僅かにひそめる。それでも、魔王の言葉に焦って力を込めようとしたけど、それが逆に制御を難しくした。光の球は急に明るくなり、次の瞬間にはぱっと消えてしまった。


「にゃッ!?」


 こうして、ワタシの目の前には、ただ暖かな残り香だけが漂っていた。初めての、ファンタジーな感覚。これが魔法、か。


 それでも、ワタシは魔法を放つことはできなかった。あれはまだ、身体の中から打ち寄せるただの波だった。それを世界に放ち、世界を変えるにはまだ遠い。なんとなくそう思った。


 がっくりと肩を落とし、膝をついていかだの木の板に手をついた。失敗の余韻が、不可解に急激な疲労とともに静かな海にゆっくりと広がっていく。


「失敗……したのか」


「まあ、はじめてにしてはよくできた方ではないのか」


 魔王は事もなくそう言うけど、なんとなくショックは大きかった。魔法すらもまともに放てない。これではたして外の世界で上手くやっていけるのだろうか。


「ちなみにどんな魔法を使おうとしたのだ?」


「え、いや、なんかふわっと水とか出ないかなあって」


「ガルニート、そなた、想像力のへったくれもないのか……」


「こちとらしょーもないソシャゲを無課金でやってただけのクリエイター魂の欠片も持ち合わせていない、ただの冴えないおっさんだよ!? 急になんかやってみろって言われても無理なモンは無理!」


「悲しきモンスターおじさんが爆誕しとるではないか」

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