第31話:フラグなんてよしてくれないか

 ワタシと魔王はなんとか無事に土砂の中から這い出して、生き延びることができた。だけど、その代償はとても大きかった。


「無事でよかった……」


 ワタシは息を切らしながら魔王に向かって言った。魔王は疲れた様子で頷いた。


「ここは何が起きるかわからない、早く安全な場所に移動しよう」魔王の声はいつも通り冷静だったけど、どこか力が抜けているようにも感じられた。


「魔王……、大丈夫か?」


 ワタシの声にはどうしようもなく疑念が混じってしまっていた。魔王は一瞬ためらったが、すぐに微笑みを浮かべた。


「ああ、大丈夫だ。ただの疲れだ」魔王はそう言って歩き出そうとするが、その身体は微かに震えている。そして。


「お、おいッ、魔王、その傷!」


「ああ、さすがに吾輩も無傷、というわけにはいかぬ。すっかり弱くなってしまったな、吾輩も」


「いやいや、笑い事じゃねえってそれ!」


 魔王の黒い身体の右脇腹の辺りが大きく抉れて、そこから大量の煙が噴き出してしまっている。明らかに笑って誤魔化せるようなダメージじゃない。明らかに致命傷だ。


「ガルニート、あとで果物を採ってきてくれないか」


「い、いや、いいけどさ、でも、そこまでの傷があんな果物だけで治るなんて」


 魔王はかすかに微笑んだ……ような気がした。やっぱり表情はわからない。


「ありがとう。しかし、本当に大したことはないのだ。そなたが無事なら、それでいい」


「こんなの大したことないわけがないだろ!」


 ワタシはなんだか不意に込み上げてきた涙をこらえながら叫んだ。なぜか今この瞬間だけは自分の感情が抑えきれなくなった。


「こんなにひどい傷、どうして誤魔化そうとしたんだ!?」


 魔王は今まで見たことのないワタシの狼狽した様子に一瞬たじろいた様子を見せたけど、すぐに顔を背けた。魔王は観念したかのように小さくため息をつき、ひどく疲れた様子でワタシを見つめた。


「すまぬ。そなたを心配させたくなかった。今は一刻も早く山を下りてそなたの安全を確保することが最優先だ」


「でも、魔王がこんな状態じゃ、ワタシが安心できるわけないでしょ!」


「吾輩は元魔王だ、これは……大したことはない。休めばすぐに治る。今はすぐに山を下りよう」


「……わかったよ。無理すんなよ」


 どう考えても問題はありまくりだった。だけど、魔王にここまで言われたらもうワタシには何も言えなかった。果物はあとで持ってくるとして、今は無事にここから下りることを考えよう。


「少し山を削りすぎたか」


「まさか地滑りするとは思わなかったな」


 少し自分を過信しすぎていたかもしれない。慢心ともいうかもな。今まで案外失敗という失敗も、大きな怪我も事故もなく過ごせていたから、せっかくの魔王の忠告を聞き流してしまった。


「ごめん、魔王、ワタシがあの時もっと魔王の話をよく聞いていれば」


「過ぎたことを言うのは萎えるものだ。退かぬ、媚びぬ、省みぬ。それこそ魔王にふさわしい」


「ワタシは魔王じゃねえっつーの」


 あまりにも下手くそな魔王流の慰め方に、泣いてしまいそうになるのを誤魔化すように苦笑しながら思わずツッコんでしまった。このぶきっちょさんめ、どこまでワタシをギャップ萌えさせれば気が済むんじゃい。


 魔王の傷の様子を見ながら、ワタシ達は慎重に崩れた山を下っていく。


 普段なら裸足だったけど、今回は土を掘るために木の皮で作ったサンダルを履いている。魔王の無機質で硬い身体ならそれでも問題ないだろう。けど、ただの人間風情のワタシの足に土から飛び出した鋭い岩や、折れた木の破片が足に刺さったりでもしたら、とてもマズい。


 ひどいケガをしている魔王におぶってもらうのはさすがに気が引けるし、刺さった箇所から感染症にでもなったら、医療に関してはほとんど進歩していないこの島ではそのまま死ぬかもしれない。じいさんに言われて嫌々ながら履いてたけどガチでよかった、木製サンダル。


「ん? あれは……?」


 そんなこんなで知ってる景色がなくなって、ひたすら魔王と一緒に山を下っていると、ふと目に留まったそこだけがなんだか気になってしまった。

 

 地滑りが起こった場所は、まるで巨大な傷跡のように山肌が剥き出しになっている。これでよく生き延びれたもんだ。で、斜面全体が崩れ落ちたことで普段は見えない地層が現れている。その中で、その場所だけはひときわ目を引いた。


 雨で湿った地面からは、滑らかで柔らかな土が顔を出していた。色は淡い灰色から茶色まで様々で、場所によっては赤みを帯びた部分もあった。崩れた土砂の中で唯一、その層だけが滑らかで均一な表面を保っており、他の荒々しい土や石とは対照的だった。


「なあ、魔王、見て、あそこ……」


 ワタシはその場所を指差しながら言った。満身創痍の魔王にこれ以上動いてほしくはなかったけど、どうしても気になってしまった。いや、別にそこに行くのは後ででもいい、魔王を拠点まで連れ帰ってからでもいいんだ。


 でも、魔王はワタシの指差す方を一瞥すると、黒煙を吐き出す脇腹を気にすることなく、その地層へと向かってしまう。「お、おい、魔王!」「大丈夫だ、問題ない」


 その層は、降り続けた雨でさらに湿り気を増し、魔王がその手で触れれば簡単に形を変えるような柔らかさを持っていた。粘土の中には小さな石や植物の根が絡みついており、それが自然の力強さを物語っている。


「これ、粘土じゃない!?」


「まさしく。ここは粘土質の土壌だったのだな……」


 魔王が小さく呟く。その声には、地滑りがこの層を露出させたことへの驚きが含まれていた。


 粘土の露出した部分は、この島の深層を垣間見せるようで、まるで自然がその内部を覗かせているようだった。周囲の木々の根もむき出しになっていて、地面にしがみつくように絡みついている。粘土はその独特の滑らかさと湿り気で、まるで地面が再び落ち着きを取り戻そうとしているかのように見えた。


 雨降って地固まる。こういうこともあるんだな。この場合は粘土だけど。

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