第30話:魔王に抱かれる(迫真)
「なあ、粘土ってどこにあるんだ?」
「さて、それは吾輩にもわからぬ。とにかく掘ってみる他あるまい」
「ずいぶんテキトーだな」
どうやら、粘土というのはすぐにできるものではないらしく、火山の噴火によってこの島ができたあと、降り積もった火山灰が長い年月をかけてできるようなもんらしい。……って、じいさんが言ってたからたぶんそうなんだろう。
魔王と一緒にざくざくと適当な場所を掘ってみるけど、さすがにそう簡単に粘土は見つからない。火山が噴火したのがずいぶん昔のことで、その降り積もった火山灰の上にこうして森が形成されるに至ったのだから、粘土は地中の奥深くにあるような気がする。
「クソ、昨日の雨で地面がぬかるんでやがるな。ドロドロのぐちょんぐちょんになっちまう」
「その服装はなんとかした方がいいのではないか?」
「ワタシにはこれしかないの! なんかマズそうだな、って思ったら魔王がこっち見ないようにして!」
雨を含んでしまった泥のせいで紙製のビキニはほとんど役に立たず、応急処置的に急造した、蔦と葉っぱを身体に巻き付ける形でなんとか大事なところだけを隠す、さらに防御力の低い出で立ちでの作業だ。もはや泥まみれなのである意味で大事な部分は見えないけど、これはこれでセンシティブだし、刺さっちまう層には刺さっちまうんだようなあ。
なんとなくワタシに背を向けた魔王の恰好はというと、腰と足回りの辺りにだけ壊れた鎧を着けていただけだ。それでも、いわゆる細マッチョ的な体型の魔物的な黒い身体にはあまりいやらしい感じはなかった。そうだ、彫刻みたいな感じかな、端正すぎて逆に芸術的というか。「ガルニートこそ、吾輩の方をじろじろ見てどうしたのだ?」「な、なんでもないやい!」
本日のワタシと魔王はなんかそれっぽい山の中腹を掘り進めていた。空にはまだ重い灰色の雲が垂れ込んでいて、前日の雨で濡れた地面はまだその湿り気を保っていた。風が湿った冷気を運び、周囲の草木もざわざわと不安げに揺れている。
「このあたりの地面は、少し不安定かもしれないな」魔王が低く呟いた。彼の鋭い目は地面を見つめ、泥にまみれた足元の小石が転がる様子を見下ろしていた。
ワタシはその言葉を聞き流しながら周囲を見回した。山の表面はわずかにひび割れていて、草の根元が露出している箇所がいくつかあるのに気が付いた。いや、どうせ、ワタシ達が地面を掘って、水分を含んだ土が落ちただけだろ。そんな気にすることないって。風が強まり、木の葉が激しく揺れるたびに、不気味な静寂が一瞬訪れる。
「嫌な予感がする」魔王は作業を止めて空を見上げた。彼の表情はわからんけど、その口調はどことなく厳しくて、何かを感じ取ろうとしているようだった。
「ここは危険だ。早く下山しよう」魔王の声には緊張が滲んでいた。彼は作業を続けようとしていたワタシの腕を軽く引き、足早に歩き始めた。
「お、おい! どうしたんだ、急に」
珍しく乱暴な魔王の行動にワタシが抗議の声を上げようとしたその時、遠くから微かな音が聞こえた。地面がわずかに震えるような感覚が足元に伝わり、びくんとワタシの心臓が跳ねる。
「……今の、何だった?」
不安げに尋ねると、魔王は掴んでいたワタシの腕を一層強く握った。い、痛い。だけど、なんだか鬼気迫る魔王の雰囲気に何も言えなくなってしまった。こ、これが魔王の威厳ってやつか?
「地面が動いている。急げ!」魔王の声が鋭く響き、ワタシ達はさらに歩を早めた。もうほとんど走り始める直前くらいだった。
だけど、次の瞬間。
大地が突然激しく揺れ始めた。地面が波打つようにやたらとゆっくりと動き、小石や土が一斉に滑り始めた。前日の雨で山の地盤が緩んでいたことに気づいたのは、すでに遅かった。その瞬間、緩やかな傾斜が突然崩れ、土と岩が一斉に滑り落ちてきた。
「走れ!」魔王が叫ぶと同時に、巨大な轟音が耳をつんざいた。視界が茶色の泥流に包まれ、地面が崩れ落ちていくのが見えた。
ワタシは突然のことにバランスを崩して、「キャッ」転倒しそうになったけど、魔王の力強い腕に引き寄せられた。次の瞬間、土砂の流れに巻き込まれながら、魔王が体を盾にして、状況も何もわからないままのワタシを守るように覆いかぶさった。
「ガルニート、吾輩にしっかり掴まれ!」
魔王の重苦しい声が耳元で響いてきて、ワタシはその言葉に従って必死に魔王の体にしがみついた。
地滑りの激しい流れの中、ワタシは魔王と運命を共にするしかなく、土砂と大木の濁流の勢いに飲み込まれていった。
依然として視界は茶色の泥流と粉塵で覆われ、周囲の音が一瞬にして消えるような静寂が訪れた。
「魔王…?」どうしようもなく声が震える。
目を閉じるとこのまま消えてしまいそうな気がして、必死に目を開けて、目の前の魔王の黒い身体を見つめていた。耳元で土砂が轟音を立てて通り過ぎる音がする。恐怖と混乱で心が乱れ、体が硬直する。
魔王の大きな身体がワタシを強く抱き留めてくれているおかげで、ワタシにはただ猛烈な震動と轟音だけしか感じることができない。魔王のその厚い胸板はまるで鉄壁のようで、まるで岩石の雨から盾になってくれているかのようだ。地面が激しく揺れ動く中、魔王の身体を打つ土砂の音だけが耳元に響く。
しばらくして、土砂の流れが徐々に収まり始めた。周囲の音が再び聞こえ始め、沈んだ土埃がゆっくりと晴れていく。魔王は自身に覆いかぶさる土砂を振り払いながらゆっくりと体を起こし、無事を確認するようにワタシの顔を見つめる。
「ガルニート、無事か?」
魔王の声は低くて、だけど、どこか安堵の色を帯びていて無性に優しかった。ワタシは、全身の泥を払いながら目の前の魔王の顔を見上げる。ワタシのことよりもまずは、土砂をその一身に浴び続けていた自分のことを心配して欲しい。絶対ヤバいことになってるだろ。
「うん……ありがとう、助かったよ」
さっきまでの死の恐怖にワタシの声は震えていたが、魔王の眼のない眼差しに微かな温かみを感じた気がした。
ゆっくりと周囲を見渡すと、さっきまでの景色はもうすでにどこにもない。崩れた土砂と散乱する岩石や倒れて無惨に折れた大木がこの辺りの地形をすっかり変えてしまっていた。
でも、それでも。
まるで、ワタシ達ふたりの無事を確認するかのように、空には雲間から差し込む薄明かりが広がっていた。まるで希望の光だな。どっちかというと、因果応報だけど。これが、環境破壊の代償か。これからは少しこのへんも考えないとダメだ。
「と、とにかく助かった」
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