第3章:おっさん、ラスボスと一緒

第23話:襲来!魔王!……魔王!?

「む、ここは……?」


 今日も今日とていつもと同じようにワタシとじいさんがそれぞれの仕事を浜辺でこなしていると、その最中、ワタシ達はほとんど同時に遠くから不穏な気配が迫ってくるのを感じた。いや、じいさんが何か感じるのはわかるけど、どうしてワタシまで?


「な、なあ、じいさん……」


「うむ、何か良からぬものがやってきたようだな」


 じいさんの言葉に呼応するかのように、いつもの暑い夏みたいな空気が急に冷たくなって風が強く吹き始める。何か、嵐の前みたいな冷たい湿気を含んだいつもとは違う風に、相変わらずセンシティブ極まりないビキニしか着ていないワタシは、ぶるりと全身に鳥肌が立つのを感じた。


 ワタシは風になびき、顔にかかる赤髪を押さえながらふと顔を上げた。その視線の先、砂浜の向こうから現れる人影にワタシは驚きながら目を凝らした。


 その姿は一目見ただけで異様だとわかった。


 ボロボロの黒いマントが風になびき、その下には漆黒の鎧がその暗さに似つかわしくない陽光を受けて重苦しく輝いている。ワタシの3倍はあろうかという巨体のその顔は半分が漆黒の髑髏を模したような鉄仮面に覆われ、鋭い眼光がワタシ達をじっと見据えていた。


 手には激しく刃こぼれしたその身の丈ほどもあるような黒い大剣を持ち、まるで世界そのものを切り裂けるかのような威圧感を放っている。え、なんこれ、急にクライマックス?


 ワタシの心臓は一気に鼓動を速め、不安と恐怖が押し寄せてくる。冷たい風が吹いているはずなのに全身から汗が噴き出している。視界がくらくら霞む。直感的に目の前の存在がただ者ではないと感じ取れた。このただならぬ雰囲気、そして、横のじいさんのいつもとは様子の違う反応。


「え、まさか……魔王?」え、えぇ~、本当でござるかぁ? 


 見るからに明らかに魔王と思われる巨体は、ゆっくりと歩を進め、砂浜に重々しい足音を響かせながらこっちに向かってくる。コイツのせいでワタシの中の水分が奪われてんのかと思うほどに、喉の奥がカラカラに乾き、その地響きが近づくにつれて身体が硬直するのを感じた。身体の動かし方を忘れてしまったかのように、ここから逃げ出すという選択肢は頭から抜け落ちている。


 だけど、それでも。


 ワタシは勇気を振り絞り、目の前の脅威に立ち向かおうと決意した。そう、いずれは対峙するはずだったラスボスだ、それが向こうからやってきて、ワタシは今、何の装備もなければレベルも0だけど、それがなんだ。……ん? 詰んだか?


「お、お、お前は何者だ? 何の目的でここに来た?」精一杯張り上げた声が震えていてなんとも情けない。


「魔の王よ、今の我にはかつてのような力はない。我を殺したとしてもこの世界は滅びぬぞ」


 そんなワタシの前に、ふらり、じいさんが立つ。いつもののんびりした雰囲気とは違うこのただならぬ感じ、これはもしかして良くないやつか?


「待て、吾輩はもはや戦う意思はない」


 魔王はぎしりとぎこちない冷笑を浮かべ、地獄の底から低く響くような重苦しい声で答えた。がちゃり、黒い鎧が擦れる金属音に身構える。


「え、じゃあ、魔王がこの無人島に何の用ですか?」


 え、もしかして、ワタシ狙い? 魔王直々に? やっぱりワタシって何かすごい力が秘められていたりする? こ、これはなんかあるのでは?


「勇者に倒されかけたその瞬間、吾輩はなんとか命からがら逃げてきたのだ」


「ワタシの知らんところで世界が平和になってる……」


 マジかよ、本当に魔王いたんかい。それ、本当はワタシの役目だった、とかじゃないよね? ワタシがこの世界に転生してきてしまったその意義を、いつの間にかなくさないでほしんだけど。あと、全然ワタシのことは関係なかった。というか、世界の命運握りそうなお偉いさんが偶然島に流れ着くのガチでやめて。勘違いしちゃうじゃん。


「しかし、世界を征服する、という吾輩の野望はまだ諦めておらぬ」


「未練たらたらだ!」


 もしかして、この魔力が使えない領域から魔王を出したらとてもマズいんじゃないのか? これ、魔力が回復したらまた絶対やるよね、世界征服。


「とは言うものの、吾輩はもうすでに勇者との死闘で力を使い果たし、今まさに滅びようとしている」


 ボロッとその漆黒の身体の一部が崩れ落ちる。その様子はまるで、焼き尽くされた炭の塊が崩れるようだった。そこから、あの黒い煙がさらに噴き出す。ここにいるのは、もはや燃えがらだ。


 魔王は勇者に負けてもうすぐ滅びる。これで世界は平和になる。


 ワタシはその最期を見届ける者となる。それはそれで栄誉なことなのかもしれない。


 だけど、本当にそれでいいのか。


 ワタシは異世界に転生して来たから、もちろんこの世界のことは全く知らない。目の前で朽ち果てようとしている者がどんな所業をしてきたのかも、それすらも知らないのだ。


 それなのに。


 それが、ただ目の前の存在が魔王だからというそれだけの理由で、見殺しにしてしまってもいいのだろうか。


 ワタシは自分でも何をしているかわからないままに魔王へと手を差し伸べる。


「おい、魔王、あんた、もう迷惑かけたりしないんだな? 世界征服とか地上の生物を全部滅ぼしてやるとか、実は過去に悲しい物語があったとか、そういうのはないんだな?」


「無論だ、吾輩にはその力はない。そして、吾輩は純粋なる悪だ、そういう萎えるような過去は持ち合わせておらぬ」


 この魔王、わかってるじゃあないか。


 すごい巨悪だったやつが、いよいよ主人公と対峙してこれから最後の戦いだって時に急に自分語りし始めるほど萎える展開はない。葛藤とか要らん、圧倒的悪であってくれ、そして、主人公に遺恨とか後悔とかなく爽快に倒されてくれ。ワタシ、いや、オレら全男子が見たいのは主人公の活躍だけなんだ。どろっとした苦々しい勝利は要らないんだ!


「ほら、これを食え。弱っているならとりあえず体力を回復しよう」


 ワタシは籠からあの果実を差し出す。この果物は神様にも効果があったんだ、きっと魔王も喜んでくれるだろう。けど、魔王ってことは、コイツは魔力が必要な魔物なのではなかろうか。ということは、魔素がないこの島は魔王にとって致命的なんじゃないか。


 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかく、今を生き延びなければ次がないんだから。


 ずいぶんと生ぬるいことしてるっていう自覚はある。魔王を助けても、この世界のためにはならないし、ただの自己満足だってわかってる。


 だけど、今まで現代日本で平凡に暮らしてきた冴えないおっさんなんてそんなもんじゃない?


 急に、誰かの生き死にや善悪を判断しろって言われてもめちゃくちゃ困らない?


 だからワタシは、魂に刻まれし冴えないおっさんらしく、今まで通りのやり方でいく。


「……吾輩は魔王ぞ? 命を救われる筋合いはないはずだ」


「元・魔王だろ。ならもう、魔王じゃなくてただの遭難者だ。ワタシは、この島に来た遭難者は全部助ける」


 つまりだ。


 回答は先延ばしにしていく。責任を取りたくないおっさんが大部分を占める現代日本ではめちゃくちゃ使われる常套手段だ、良い子のみんなは絶対にやめてくれよな!


「そなたは一体……」


 魔王はボロボロの、それでもワタシからしたら大きな右手で小さな果実を受け取ると、ゆっくりと口に運ぶ。そうでもしないと、身体が全部瓦解してしまうかのような、いや、実際にそうなのだろう、慎重な動作だった。


「む、この果実はまさか」


「いかにも」じいさんが意味深に頷く。


「え、なんて?」


 も、もしかして、このめちゃくちゃ美味しい果実こそがこの世界におけるチートアイテム的なやつだったりする? これの在処を唯一知っていて、しかも、いっぱい食べたワタシは陰の実力者になりたくてなりたくて震えるやつ? こ、これは最強フラグが立ったのでは?


「いや、特に効果はない。この果実は瑞々しくも薫り高く芳醇で、口の中に広がる爽やかな甘みが実に美味だというだけだ」


「食レポか!」

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