第13話:人間らしい最低限度のエモい生活
火を得てからの文明の発展は目まぐるしかった。
「魚、魚がいるぞ!」
海岸線から数歩進むと、冷たい海水が足元に触れる。空は青く澄み渡り、海の波は穏やかに打ち寄せる。オレは大きく深呼吸をして海に身を任せる。
太陽に汗ばんだ裸体を水に浸すと、海の涼やかな感触が全身に広がる。まるで海の一部になったみたいだ。ゆっくりと水中に身を沈める。未知への恐怖はない、それよりも、新たな世界への昂揚の方がオレのささやかな胸を高鳴らせていた。
身体がゆっくりと沈み、ふわり、長い赤髪が水中に漂うと、まるで無重力の中にいるみたいだ。オレは身体の軽さと海の雄大さを感じながら、優雅に海の中を泳いでいく。透明な海水がオレのしなやかな身体を包み込む。太陽の光が海底に届き、優雅に裸体をくねらせるオレの姿を照らし出す。
息が続く限りに潜っていくと、驚いて思わず見開いた視線の先には、浅い海底にはさまざまな形や色の珊瑚礁が広がり、そこには美しい魚たちが群れをなして泳いでいた。透き通るような海水が光を受けてキラキラと輝き、まるで宝石のような輝きを放っている。あの殺風景な地上とは大違いだ。
青一色だと思っていた海には、珊瑚や魚たちが織り成す鮮やかな色彩が広がっていた。そんな色彩豊かな海の中を泳ぐオレは、この美しい風景の中にゆったりと身を委ねる。ここに転生してから、こんなにも優雅なことはあっただろうか。
オレの周りには警戒心のない色とりどりの魚たちが舞い踊り、取り囲んでいる。オレはまるで夢のような美しい風景の一部、そう、人魚にでもなったような気分だった。
海の中では心身ともに解放されたような気持ちになる。
「よし、獲るか」ごぽり、生きるとは無情なのだ。
海の中にはちゃんと生命が息づいていて、(ここは異世界だから当たり前だけど)見たこともない魚がたくさん泳いでいた。それらを的確に銛で突くことで貴重な食料を得ることができる。なんかサバイバルって感じがしてきたぞ、オラ、ワクワクすっぞ!
幸か不幸か、海の魔物的なモノは見つからなかった。イカとかタコみたいなヤバげなのはお断りするとして、せめてマーメイドとかセイレーンみたいな魔物娘がいてくれたらテンション上がるんだけどなあ。ま、今まで魔物の気配はまるでなかった、今さら急に出てこられても、こっちとしては心構えができていない。急なファンタジー的展開はおっさんにはついていけないのよ?
それにしても、オレ自身は元の世界では全く泳げなかったのに、この少女は人魚のようにしなやかに、そして、自分でも驚くほど優雅に泳げる。そして、逃げ回る魚をどこまでも追いかけられるほどの肺活量もある。オレのダメなところと少女の尋常ならざる身体能力が合わさって、最弱だけどサバイバルはできるようになっている。ガチで何者なんだ、オレは。
幸いにも、毒がありそうな感じの刺々しかったり、サイケデリックな警戒色バリバリの魚はいないようだ。南国の魚らしいカラフルな色彩ではあったけど。とにかくしっかり身に火を通して、もしかしたら毒が蓄積していそうな内臓を食べないように気を付ける。魚の毒はガチで死ぬからな。フグ然り。
こうして獲った魚はもちろん焼いて食べることもできるし、火があるから、腐りやすい内臓を取り出して燻製にして保存することもできる。なんか煙で炙って乾燥させればいいんだろ?
それに、塩の精製にも火は役立っている。
さすがに天日干しだけで海水から塩を精製するのは時間がかかり過ぎた。あと、たぶん精製にはもっと専門的な知識が必要だ。だけど、火を使って効率よく海水を蒸発させればあっという間に塩を作り出すことができた。塩をふった焼き魚が、うまい、うますぎる!
大きな二枚貝の貝殻をフライパン代わりにして、野草炒めもできるようになった。なんか雑草をそのまま食べるのにはいささか抵抗があったけど、火を通して塩で味付けしたらめちゃくちゃうまかった。こういうのでいいんだよ、こういうので。
久しぶりの人間らしい食事に涙が出そうになる。うぅ、食事って大事なんだな。いつもテキトーなカップ麺とかコンビニ弁当だけで済ませていた過去の自分を、助走をつけて思いっきりぶん殴ってやりたい。食の大切さを忘れたらアカン! それはそれとしてカップ麺のあのジャンキーで身体に悪そうな感じも恋しくはある。
「カップ麺作った人はガチで天才だわ」
ま、カップ麺のことは一旦置いといて、というか、今はもう食べられないものに恋焦がれていても仕方ない。それに、火がもたらした影響は食のことだけじゃない。
オレは火を使って木の乾燥もできるようになったのだ。
乾燥させた木は、さらなる火を起こすのにはもちろん、今まで柔らかい木の枝で作っていた斧やノコギリの強度を上げることや、保管庫や雨風をしのぐための屋根を作る建材に使うことができた。
今までよりもさらに早く紙を作れるようになったし、その紙をより合わせて作る紐もたくさん、そして、長く作れるようになった。ちょっとはコツを掴んできたってことでいいかな?
この紐が色々と応用が利くものでな。ちょっと不格好だけど編んで果実やちょっとした道具を持ち運ぶ籠バッグにできたり、オレの長い赤髪を束ねたり編み込んだりするのに使ったり、靴、というか、木の皮と組み合わせてサンダルにできたりと、作れる道具のバリエーションが格段に増えたのじゃ。
こうなると、いよいよ服を作れる時が来たか? ちょっと魚の骨で針でも作っておこうかな。いや、そんなに細い糸はまだ作れていないけど。
今は作った籠バッグの応用で作った編み紐でビキニの水着みたいな何かを作り、最低限大事な部分だけは隠れるようにしている。こうなると実に慎ましやかな胸がありがたいまである。下半身は動かしやすさ優先で、防御力は低めだが、まあ、紙紐の強度が上がったから何とかなってるだろう。
もちろんド素人がよくわからないまま作った代物だ。紙紐の厚さはバラバラで、形も歪だ。だから、逆に紙製だからといって透けてしまうことはない。どちらかというと紙粘土の方が近いか。
「火、万能すぎる」
火、めっちゃ大事やないか。こんなにも生活を豊かにしてくれるとは思ってもみなかった。そりゃ、人類も進化するわ。
オレはすっかり日が落ちたというのに、周囲を明るく照らしてくれる偉大なる焚火の前で、これまでの人類の進化の軌跡に思いを馳せる。ありがとう、人類。ありがとう、火。これがなかったら、オレはここで生きてはいけなかった。そして、オレはこれからもここで生きていける。
……いやいや、待てよ。つい感傷的になって、変なこと思っちゃったけど、アレ、これ、この無人島で十分生活できちゃうんじゃない? それ、逆にダメじゃない? 今のところ完全にサバイバルしてるだけだし、なんか無人島生活がすごく充実してきてる。何にも縛られずのんびり自由気ままに生きていけるのはいいんだけど、これ、なんか違うよね?
オレが望んでた異世界転生となんか違うんだが。
もう今さら元の世界に帰してくれ、とは言わない。今となってはこっちの生活の方が楽しいまである。
だから……
「頼む、なんかファンタジーなことも起きてくれ!」
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