第2話:TS転生のリアルな悩み

「しかし、これからオレはどうするべきか」


 女の子らしく一人称をワタシにするべきか。いや、しかし、オレの中のささやかな恥じらいがまだ完全に女の子になりきることを阻んでいる。いや、中身はただのおっさんよ? それが自分のことをワタシって呼ぶのはなんかまだちょっと抵抗がある。まあ、今のところ一人称を気にする場面は訪れそうもない。だって、ずっと一人なんだもん。


 複雑すぎるオレの性自認は、うん、今はどうでもいいか。これは結構デリケートな問題だ、中身はおっさん、身体は女の子のオレが気軽に踏み込んでいいやつじゃない。女湯に入るのも審議が必要だからな。


 そんなことよりも。


 改めて、オレが訳もわからず放り出された森の奥の方をじっと睨み付けてみる。


 きっと森の中には凶暴な魔物や、旅人を襲う盗賊なんかもいるかもしれない。見ての通りの無一文だが、女の子となれば話は別。いつの時代、いつの世だって、世界が変わっても女の子の一人歩きは危険がいっぱいなはずだ。世知辛い。ナイフ一本すら持っていない喧嘩ド素人のオレがそんな性欲まみれの狼どもに素手でどうにかなるはずがない。ホント、女の子って大変なんだな。


「なんでオレがこんな目に遭うんだ」


 そもそも異世界転生って、もう少し血気盛んなインターネッツイキリ中高生の方がふさわしいんじゃないの? おっさんの転生なら、無能だと思われててもちゃんと有能なスキルかチート能力持っててギルドやパーティから追放されるじゃん。それに引き換え、オレ、本当に何もないけど? そんなヤツは異世界転生には向いてねえって。


 誰にも会わず、何もできないまま、有能なスキルも道具の一つもない転生はもうただの遭難なんよ。これ、異世界である必要ないよね? 魔法もスキルも使えないならもはや無人島でサバイバル、で良くないか? せめて誰かそれっぽい人出てきて!


「いや、もしかしたらオレにも何かこの世界でしなければならない使命があるのでは?」


 冴えない中年男性でしかなかったはずのオレがなぜこの異世界に転生したのか。何かやるべきことがあるのか、はたまたマジでないのか。ないなら今すぐお家に帰して!


 ひとまず、今現在、絶賛進行形でオレがガチでやらなきゃいけないのは、身の安全に確保だろう。すっごい地味だけど大事。


 この森には何がいて何があるのか、そして、どんな危険が潜んでいるのかを把握する必要がある。全く知識がないところで有毒な植物や危険な動物を避け、水や食料を確保する必要があるのはあまりにもハードルが高すぎないか?


 とにかく、動いてみるしかなさそうだ。動物の一匹でも見つかれば、それの行動から何か掴めるかもしれない。ウサギさんとかそういうなんか小さくてかわいいやつがいいな。


 あまりにも心許ないが、その辺に落ちていた木の棒を拾ってぶんぶん振ってみる。……いやいや、子どものチャンバラごっこじゃないんだから。とは思いつつも、一応は人類の素晴らしき文明の利器ってことで木の棒は持っておくことにした。いつだって木の棒はオレ達の心を強くしてくれる。


 こうしてオレは、異世界転生しての栄えある第一歩をようやく踏み出し始めたわけだが、なんか思ってたんと違う。もっとこう、派手に物語が動く感じを実感したい。今のところ冴えないおっさんが謎の少女に転生して一人語りしながら、木の棒を振り回し、がさがさと森の中を進んでいるだけなんだが。


「とにかくなんかしら見つけたい」


 まずは、水源の確保だ。そんな話をどこかで聞いたような気がする。って、ここまでするならどうして異世界に転生したの? さっぱり知識もないド素人がサバイバルをずっとやってるけど、楽しいのこれ?


 獣道すらないガチの山腹を適当に歩いているが、ひとまずは水源を探しながら頂上を目指す方がいい気がする。もしかしたら、近くに村や町、目印になる物が見えるかもしれないし。それに、そこに山があるから、な。先人の教えは大切だ。こうして山を歩いているだけでも体力や筋力を鍛えることもできるだろう。もしかしたら、それだけでレベルアップの可能性もある。


 魔物の出現の可能性もまだ楽観視はできないが、ここまで歩いて出会わないのだからさすがにもういいだろう。ゲームの世界に転生したわけじゃない。そんなに頻繁にエンカウントするもんじゃないのかもしれないし、そもそも、魔物、という概念がないのかもしれない。そうでなくとも魔物自体が珍しい存在なのかもな。


 大きな木々に遮られた陽光を見上げて夜の訪れを気にしつつも、まだ明るいうちに進めるだけ進もうと意気込む。もちろん休憩は大事だ。


 しかし、この少女、結構体力あるぞ。もちろん現代日本人のだらけきった中年男性と異世界の謎の少女を比べるにはいささか情報が足りなさすぎるが、それでも、これだけ劣悪な登山行をしながらも、オレの身体の変化といえば、額にじとりと汗が滲むくらいだった。これなら、陽が沈まないうちにどこかで野宿でもできそうな場所を見つけられるかもしれないな。


「あ、あれは……っ」


 すぐ近くに聞こえる静かな水の音にはやる気持ちを抑えながらゆっくりと近づく。僥倖っ……、なんという僥倖……! こんなにもあっさりと見つかるなんてっ……! ここは降ってわいたご都合主義に感謝するしかないだろう。


 おそるおそる樹木の間を覗くと、鬱蒼とした木々ばかりの景色に辟易してきたオレの目の前に飛び込んできた、そのあまりにも鮮烈な景色に思わず目を奪われた。


 幾重にも重なる木々の葉が太陽の光を遮り、神秘的な光景を作り出す。そこには澄んだ小川や小さな滝が現れ、水のせせらぎが理不尽な異世界転生に荒んだ心を清らかに癒す。そして、時折風が吹くと、木々の葉がざわめき、その音が森全体に広がる。


「オアシスやないか」


 思わず関西弁になるし、正確にはオアシスでもないが、ようやくこの何も知らない異世界での目的がひとつ達成されたかのような充実感がこの慎ましやかな胸に満ちていた。ちなみにオレは関西人でもなんでもない。


 魔物の気配が周囲にないことを確認すると、オレはそそくさと泉に歩み寄り、その透き通らんばかりの見たこともないような美しく冷たい水をゆっくりと口に運んだ。


「……うっま」


 身体がカラッカラに渇いていたことに今さら気付いた。心地よい冷たさが身体の隅々まで染み渡っていくのがわかった。今までの疲れが一気に消えて、心も身体もリフレッシュした気分だ。


 これがいわゆる回復の泉? たぶん違うけど。


 深い森の中、静かな場所にひっそりと広がる泉のそばに、少女が静かに座っている。なんて映える絵面だ。泉の水は水底まで見通せるほど透明で、その表面には微かな光が反射され、周囲の木々や草花の色を映し出す。ここだけ陽の光が差し込んで幻想的な雰囲気になっている。


 オレはもう一度、そっと泉の水に手を伸ばし、その指先で水面をなでる。そっと触れた部分が微かに波紋を作り、その美しい音が静かな森に響く。


 水面を覗き込んだオレの表情はとても穏やかで、この赤髪と同じ色の大きな赤い瞳には、泉の美しさに対する驚きと喜びが宿っていた。お、案外可愛い顔じゃないか、オレ。そして、完全に人間だ、オレ。別に耳がとがっているとかでもなければ、牙があるとか獣耳がついているとかもない。いたって普通の人間の少女だな、これ。


 ほとんど布切れのような服を脱ぎ捨てて一糸纏わぬ姿になったオレは静かに泉の水に身体を浸し始める。最初は足の指先だけが水に触れていたが、次第に足元、そして体全体が泉の水に包まれていく。少し冷たい水は肌を優しく包み込み、涼やかな感触が火照った全身を満たす。


 この泉の水はどこまでも清らかで、オレのきめ細やかな白い肌をその透明な美しさで輝かせるようだった。ぼさぼさだった赤い髪は水に濡れ、ぎこちなく掻き上げる度にキラキラと水しぶきを煌めかせていた。うっすらと濡れた肌にはり付きながらも、ウェーブがかった赤い髪は、この少女のあどけない美しさを際立たせているようだった。うーん、センシティブ。


 ある意味、少女に転生して良かったわ。これがしょーもないおっさんの水浴びの描写だとしたら完全に泉が汚染されているわ。絵面も悪すぎる。


「ここを拠点にするしかないな」


 というか、もはやここから離れる、という選択肢はオレにはなかった。水があるだけで当分の間はなんとかなる。空腹だけはどうにかしなければいけないけど。


 身も心も綺麗になると、もはやあの落ちている薄汚い布切れを着る気にもなれず。ま、どうせ人も魔物もいないんだし、と、あっさりと全裸でいることを容認してしまっていた。人目のないところで、かつ、こんなにもファンタジックな場所だ、ついつい開放的な気分になっちゃっている。そして、ふと、すんっと我に返ってしまった。


「異世界転生してまで全裸で何やってんだろ、オレ……ワ、ワタシ…………いや、ダメだ、まだ恥ずかしッ!」

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