第3話:食の大切さ

「さてと、次は食糧だな」


 綺麗な水辺には動物が集まるはずだ。たぶん。


 さすがに狩猟はできないし、もちろん罠も作れない。なので、彼らが食べているものが何かだけは突き止めよう。


 来る途中にそれっぽい木の実や果実が成っていたのを見つけはしたが、(当たり前だが)見たこともない上に、少女時代の記憶すら失っていて、それらがはたして食べられるものかどうかまではわからなかった。こんなところでもし、毒に当たったり食中毒にでもなったら完全に死ぬ。異世界転生しといてそれだけは絶対に避けなければならない。そんなことになったら完全に無駄死にだ、何のための異世界転生だ。


 この泉にもなにやら色鮮やかで美味しそうな果実がたわわと実っている。が、はたしてこれが安全に食べられるものかはわからないのだ。こんな綺麗な泉の水で育っているのだから大丈夫そうな気もするが、このフルーティな果実に毒がある可能性も捨てきれない。


 動物たちが食べている物ならよっぽどのものじゃない限りは安全なもののはずだ。いそいそと大きな木の陰に身を潜めて、森の先輩たちがやってくるのをじっと待つことにした。


「いや、待てよ?」


 そんなことよりも。


 ねえええええ、マジでこの森でひたすらサバイバルなの? もうずっとこんな感じなの? 何も事件が起きることもなく、ひたすら動物たちを待ってる全裸で空腹の少女がいるんだけど、なにこれ? どういう異世界転生モノ? この状況に適応しかけている自分が恐ろしいで! 思わず叫びそうになるのをじっとこらえる。いかんいかん、心の中の大阪のおばちゃんの心がツッコミたがってるんだ。


 幸いにも、この蒸し暑い森の中でも虫に刺されることはほとんどなく、毒や感染症の心配はひとまずなさそうだ。これ、もちろん薬なんてあるわけないし、病気になっても治せない可能性もある。注意が必要だな。具体的にどんな注意が必要かはよくわからんが、体調管理に気を付けるほかあるまい。


 文明レベルすら未だにわからん。この世界にはどれだけの技術や魔法があるのか、薬や医療はどうだろう。今のところ森を彷徨っているだけで何もわかっていない。とりあえず、一人だけ服を脱ぎ捨てて文明から逆行したヤツがここにおることは間違いない。


 さあ、我慢比べといこうか! 会社のデスクで気配を消しながらヒマを持て余すことに定評のあるオレの忍耐力と、どうぶつの森の真剣勝負や! おいでよ!


 しかし、木の陰でやる気満々で意気込む全裸のオレの気持ちとは裏腹に、日が暮れるまで動物はおろか、小鳥の一羽すらこの泉に訪れることはなかった。


「……え、何、この泉、VR? 仮想現実? ねえ、やっぱりドッキリ?」


 オレにしか見えない幻影? 空腹すぎて幻覚でも見えてる? 綺麗で貴重な水源であるはずの泉に、こんなにも動物が寄り付かないってそんなことある? それとも、オレの気配がバレている? でも、改めて水に触れてみても、確かにそれは波紋を水面に広げながら、オレの小さな手を冷たく濡らした。これが偽物であるはずがない、確かに本物だ。


 つまり、これはドッキリではなく、もしくはハリウッド並みの超大作じみためちゃくちゃ壮大なドッキリだ。もうずっとドッキリの可能性を信じているが、未だに何の音沙汰もなければオレをターゲットにする意味もわからないので、その望みはどんどん薄くなっているけどね。


「思ってた異世界転生と違うな」


 オレが社会の荒波にすっかり荒んでしまったおっさんだからなんとかなってるが、これがフレッシュで血気盛んな陰キャ中高生だったら発狂しているに違いないだろう。彼らがやりたいのはとにかく異世界でイキり散らかすことで、こんな地味なサバイバルじゃないからな。おっさんはいいんだ、ソロキャンプで焚火に癒されるくらいの重度の病みを抱えているからな。あ、いや、オレは行ったことないけど。


 とにかく、オレは一日じっと動物たちがやってくるのを待っていただけで一日を過ごしてしまった。陽は沈んで、森はすっかり真っ暗になっていた。ソロキャンパーみたいに火ぐらいは起こしておくべきだったか。いや、そうすると動物たちが来ないし、く、サバイバルの知識がないばっかりに優先順位がわからない。


 火もない夜の暗闇の中で頼りになるのは、泉に反射する大きな月明りだけ。それだけでもこの美しい景色をライトアップするだけなら十分だが、それはこの泉の周りだけ大きな木がないおかげだ。夜のうちにここから動くことはできないだろう。夜目も効かないオレでは、夜行性の動物を探す、というのは最後の手段になりそうだ。


 こうなるともうやることがない。夜に浮かび上がる幻想的な泉も確かに美しいが、それだけじゃ体力は回復しないし、おなかも膨れない。つまりだ。


「寝よ」


 がさがさとその辺の大きめの葉っぱを集めて簡易のベッドを作り、その上にごろんと横になる。我ながらいい出来じゃないか。やたらと綺麗な満天の星空が、自分の情けない現状と対比していて悲しくなってくる。


 まだ食糧問題は解決していないのだ、今は体力の温存だけを考えよう。ここに動物たちが来ないなら、明日はここを拠点に動くことも視野に入れなくちゃいけないしな。それに火を起こすこともだ。それにそれに……


 ダメだ、やることがあまりにも多くて考えがまとまらない。これだからサバイバルド素人は困るんだ。ま、急ぐ必要もないし、明日からゆっくりと考えよう。生きていればなんとかなる。


 その辺に脱ぎ捨てていた、すっかり存在を忘れられて悲しげに佇む布切れを拾い上げる。仕方ないなあ、今日は一緒に寝てやるか。そうか、服を自作する、ということも今後あるかもしれないのか。などと考えながら、布切れに付いた草を払おうとして……


「くっさ!」


 本当の原因はこれか!? 鼻が曲がりそうな刺激臭にたまらず投げ捨ててしまった。


 しまった。身に着けていた時は全く気付かなかったけど、泉で水浴びをして綺麗になった後じゃさすがにわかる。女の子は少しくらい風呂入ってなくてもフローラルな香りがするって言ってた性癖異常者は、悪いことは言わないから今すぐ自害してほしい。


 しばらく風呂入ってないインフルエンザの時みたいなひどい臭いは、確かに嗅覚に優れた動物たちを警戒させてしまっていたのだろう。これ、ずっと風呂入ってない上に、同じ服ずっと着てたな、これ。……つまり、どういうことだってばよ。


「ははーん、なるほど、あーそういうことね、完全に理解した」


 負け惜しみになんか言ってみるけど、何に負けたのかはわからない。いや、これもう、負けてないな。


 今からこの布切れを洗っても、もう動物たちの警戒を解くのは遅すぎるかもしれない。やっちまったか。これはもう自力で食料を確保しなければならないかもしれない。初めから他力本願は良くなかったか。


 実に無駄な時間を過ごしてしまった、全裸で。


 だけど、無理やり今日の成果を絞り出してみれば、この森の動物たちは人間の匂いには近づかない。つまり、この布切れこそ最強の動物除けなのだ。洗ってしまって、このくっせえ臭いを消してしまうのはやめておいた方がいいかもしれないな。


 まあ、人生において無駄な時間など無い。謎の学びもあったことだし。全ては勉強なのだ。というわけで。


「寝よ」

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