ep2.鬼の女将はやらかす

■後神暦 2649年 / 夏の月 / 地の日 pm 05:00


――『ワスレナグサ』 玄関


「よくお越しくださいました。いつもの部屋をご用意しています。

さ、こちらへどうぞ、おじ様」


「おば様……」


「はい?」


「お・ば・さ・ま。

レンは何度言ったら分かってくれるのです?」


「いや、ですが……」


「お・ば・さ・ま……!」


「はい……申し訳ありません、おば様……」


 すげぇ……レンを正面から圧で押し切った……

 これが百戦錬磨の大商人か……


「んんっ! アレク、おば様を部屋にご案内してくれ。

ワエは花器を取りに行ってくるんでな」


 逃げた、これは間違いなく逃げた。

 レンはカーマイン会長と入れ違いで外へ出て作業場へと走っていった。

 ニコニコと笑顔の会長と二人きりにされて何となく落ち着かず、口数も少なく会長を宿泊する部屋へと案内する。



「荷物を運んでくれてありがとうございます。

アレクくん……でしたね。それは愛称ですか?」


「えっと……」


 マズいな……オレはリム=パステルでは逃亡犯……会長が知らないはずがない。

 これまでの反応だと顔はバレてなさそうだし、ここは誤魔化すべきだな。



「はい、本名はアレックスと申します。

貿易都市ツーク出身ですが、ここで住み込みで働いております」


「……フフ、そうですか。では私は失礼しますね」


「あ……中までお運びしますよ」


「いえいえ、ここまでで良いです」


 荷物をオレの手から少々強引に取って会長は部屋へと入っていく。

 ゆっくりとふすまを閉めながら、こちらに向けた笑顔にゾクりとした。


 もしかしてバレてる……?


 直接聞くなんて愚かなことはできない。

 でも他にできることもない。

 もう緊張で口の中はカラッカラなんだけど……



「落ち着け……顔を合わせるのを極力避けておけば大丈夫だ」


 と、自分に言い聞かせ、大量の豆腐と油と格闘する為に厨房へ足早に向かった。


 揚げては冷まして、揚げて冷まして……

 焦げないように油を見張っていると余計なことを考えないで済むと思ったんだ。



――同日 夕食後……



「アレク、おじ様がお前さんを呼んでおるぞ」


「……やっぱりダメだったかぁ」


 あの後、会長の対応は全てレンにお願いした。

 夕食も運んでもらい、厨房に引き籠っていたけれど、呼ばれてしまえば行くしかない。


 会長の部屋に向かう足取りは重い。

 まるで本当に罪人になって裁きの場に向かう気分と言えばぴったりだろう。

 今のオレは選択を迫られている。正直に白状するか、嘘を吐き通すか……



「…………」


「どうした? 具合が悪いのか?」


 どちらも選べないまま部屋に着いてしまった。

 もう場当たり的にいくしかない、商人として培ったスキルを総動員して乗り切ってやるぞ……!!


 襖を開けると、夕方に見た笑顔とは違い、花が咲くような満面の笑みで会長が出迎えてくれた。


「呼び出してすみません。ささ、座ってください。

とっても美味しいお料理でしたので、直接お礼したくなったんですよ」


「……恐縮です」


「カカカ、おじ……おば様も油揚げづくしでお喜び頂けたぞ! 七輪焼きはワエが焼いて差し上げたんじゃ、もちろん焦がさなかったぞ!!」


「フフ、もちろん私が返す指示をしましたけど」


「おば様! 最後まで恰好つけさせてください」


 本当に料理を褒めてくれてるだけ……?

 でもこの和やかな空気は取り繕ったものじゃないぞ。

 もしかして、このまま何事もなくいけるんじゃないか?



「大満足でしたよ、リム=パステルで料理屋でも開けるじゃないですか? 

ねぇくん」


「うむ! でもおば様、アレックスではなくアレクシスですよ!」


「……ッ!!」


 やられた……! オレにカマをかけるんじゃなくてレンを使われた……!

 終わった、化かし合い以前に舞台にも上がらせてもらえないなんて……


 でも……よく考えればそりゃそうだよな。

 平凡な元商人が、大商会の会長にかけ引きで勝つなんてハナっから無理だったんだ。



「フフ、なるべくレンと相談できないようにした甲斐がありました」


「そうですね……思えば配膳も急かされていましたね」


「……? おいアレク、何の話じゃ?」


「レン、少し外してください、彼と話をしたいので」


 オレが逃亡犯だってことを聞かせないように配慮してくれてるんだろうけど、レンには出会った頃に冤罪で逃げてきたことは話している。



「同席で大丈夫ですよ、レンも知っていることなので」


「いいえ、外してください」


 会長はぴしゃりと言う。



「おば様、先ほどから何のお話をされているのですか?」


「レン……」


「わかりました……御用がありましたらまた呼んでください……」


 レンは叱られた子供のようにとぼとぼと部屋を後にした。

 普段なら可哀想だと思うところだろうけど、今のオレにそんな余裕はない。

 こっちは絞首台でロープを首にかけてる状態と変わらないんだから。



「さて……ゆっくりお話しができますね、アレクシス=リュミエルくん」


 ダメだ、完全に詰んだなコレ……



 呆然と会長を見るオレに「諦めないで!」と、誰かが言った気がした。

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