ep6.鬼のお宿の大酒呑み
■後神暦 2649年 / 春の月 / 星の日 pm 10:00
――『ワスレナグサ』 自室
レンと酒を呑み始めて1時間、オレからするとあり得ないペースで酒瓶が空いていく。
盃に注いでは飲干し、また注ぐ、「カパカパ飲む」とは正にこの光景のことなんだろう。
「なぁレン、大丈夫なのか? この酒、かなり酒精が強いと思うんだけど…」
「ん~? なんじゃあ~? お前さんはもう限界なのかぁ?」
「…いや、全然平気だね」
と、強がってみたが、正直、このペースで呑み続けると1時間保たないだろう。
オレの倍は呑んでるのレンは上機嫌にこそなれ、酔っぱらっている様子はない。
子供みたいな体格でそれだけ呑むのは間違ってるって。
「で、どうじゃ? この酒は美味いか?」
「え? 普通に美味いけど…」
「カカカ、そうか! なら大丈夫じゃな!」
レンの言葉の意図を掴めない。
酒のせいで短絡的な思考になっているオレは何も考えずに聞き返す。
「言ってる意味が分からないんだけど、どういうことだ?」
「フハッ、そうじゃな、分らんよな。…ワエも昔、言われたんじゃよ。
本当に追い詰められてるときは、味……特に酒の味が不味くなるらしいぞ」
多分、ティスタニアに言われたのだろう。
今の口ぶりだと、レンにも追い詰められる何かがあったのか。
「風呂でも言ったがの、此処に来た時に比べてお前さんはゆとりができたと思う。
しかしな、未だ張り詰めておることには変わりないんじゃ」
そう言ってレンは懐から平らな円の形をした紙を取り出す。
そして『ふーっ』と息を吹きかけると、みるみる紙は膨らみ立体的な球形へ変わった。
「これが今のお前さんの心の
「それだと、ゆとりが無いように見えないか?」
「カカカ、そうじゃな。でもな、膨らむことがないのはある種のゆとりなんじゃよ」
ぽーんぽーん、と紙の球体を手で弾きながらレンは続ける。
「それで、だ。次にお前さんに必要なのは空気を抜くこと。
方法は色々ある、例えば今こうしてるように酒を呑むも良し、言葉にして吐き出すも良し……どうじゃ?」
「どうじゃ、とは?」
「ワエに話してみんか、と言うことじゃ。
お前さんだって、故郷で嫌なことがあれば友に愚痴の一つでも溢しただろう?」
「…そこまで深く話せる奴はいなかったよ」
「ほう、アレじゃな、『ぼっち』と言うやつか。奇遇じゃな、ワエもだ」
ケラケラと笑いながらも、そっと刺されている気がしないでもない。
だけどレンも友人がいないと自分で言っているので痛み分けか。
確かに彼女になら話してみるのも良いかもしれない…
「オレの家名な、”リュミエル”って言うんだ。知ってるか?」
「いや、知らんな。なんじゃ、名家の生まれか?」
「名家なんかじゃない…
リュミエルは知らなくても”アルコヴァンの聖女”ならどうだ?」
「おぉ! それなら知っとるぞ。聖女アレクシアじゃろ?
あぁ~なるほど、確かにお前さんの名前と似とるな」
ニカっと笑うレンに悪気がないのは分かっている。
分かってはいるけれど、何とも言えないドロリとした感情に奥歯を噛む。
「そうかそうか~、聖女はヨウキョウでも有名じゃぞ。
姐様がワエのところに来たのにも得心がいったわ」
「……そう、オレはそのせいで子供の頃から知りもしない聖女と比較されてきたんだ」
「うぅむ……あまり良い思い出ではなかったのか、すまん。
しかし、偉大な先代たちの重圧は解るぞ。
なぁ、もっと聞かせてくれんか? 此処に来るまでのお前さんのことを」
脚は崩したままだが、レンは盃を置いてオレを真っ直ぐに視ている。
こんなに真剣にオレの話を聞く姿勢を見せてくれたのは今まで曽祖父だけだ。
ドロリとした感情が少しづつ溶けていくのを感じた。
――レンに話したい、聞いて欲しい。
「オレ、アルコヴァンの首都…パクス=シェルってとこの出身なんだけどさ、首都なだけあって教会や議会、国の中心になる権力者が多くいたんだ。
それで、『聖女の血筋』ってアイツらにとっては絶好の宣伝になるんだよ」
「ふむ、権威の誇示に利用されたと言うことか。
しかしな、望まざるとも名が売れるのは良いことではないか?
そこから足元を盤石にして好きなことをすれば良いと思うが…」
「そこまで考える頭はなかったし、利用すらされなかったよ。
オレは聖女の色を持っていない…
聖女は金髪碧眼、よっぽど血が強いのか、子孫はみんな同じ色なんだ。
違うのはオレとひいジイちゃんだけ」
「一族で異質な存在…か」
何か想うことがあったのか、レンが少し節目になった。
しかし一度口を切ったオレの言葉は続く。どうしてか止められない。
「魔法もさ、奇跡と
やっと『これだ』って思えた生き方も、聖女の血のせいで台無しになった」
「……なぁアレクシス、お前さんは聖女の末裔である前にアレクシスと言う名の青年であろう? ワエにはお前さんも”聖女の血”に縛られているように見えるぞ?」
レンがオレを名前で呼ぶのは珍しい。
意表を衝かれ、自分では止められなった言葉が止まる。
「異質な姿、異質な力、それらは畏怖されたり、奇異の目で見られたりするだろう。
しかしな、如何に特異なモノであろうと、それで人が象られているワケではない。
お前さんは『聖女の末裔』で在る前に、アレクシスで在るべき、とワエは思うぞ」
「オレはオレで、聖女は関係ないって言いたいのか?」
「そう、少なくともワエはお前さんの血筋を知っても何の感慨もない。
お前さんもそうしてみると良い、楽になるぞ、カカカ」
そう言ってレンはいつもの笑顔に戻り、また盃に酒を注ぎ始める。
「さぁ、もう一献」
「…飲み過ぎると明日が辛いんじゃないか?」
ドロリとした感情は砂になって消えた。
同時に、己の視野の狭さを知った気がする。
酒の煽るオレは「美味しい?」と、誰かにそう訊かれた気がした。
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