第10話
天才で不思議ちゃんな戸部さんの考えていることなんて、凡人の私にわかるはずがない。
けれど、屋上で話があるだなんて言われたら、それは。
「告白……」
「え!?」
私が思わず口にすると、隣を歩いていたはるちゃんが大きな声を上げた。少し古くて、狭い廊下にはるちゃんの声が反響する。
「え、え、のぞみ、告白すんの!?」
「違うよー」
「じゃあ告白と呟いたその心は!?」
「うーん……。実はさ」
「おんおん」
「戸部さんに屋上に呼び出されたんだよねー」
「ああ、なんだ戸部か」
はるちゃんは「期待して損した」と吐いたように言って、両手を頭の後ろにおいた。放課後を知らせるまだ青い夕日の光が、わずかにはるちゃんの肌を照らしていた。
「それ、絶対告白じゃないぞ。戸部の考えていることは誰にもわからない。なぜならあの戸部だからな」
はるちゃんは戸部さんとそこまで、少なくても私よりは関わっていないはずなのに、そう言い切って見せた。教室で話したあの短い時間に、戸部さんの不思議ちゃんの片鱗を見たのだろう。
「私もそう思う」
「ていうか、戸部とまだ仲いいんだ」
「うーん、なんかねー」
「まあとにかく。結果は今日連絡してな。気になるから!」
「うん。部活頑張ってね」
「ありがと!」
はるちゃんは、かっと笑って、体育館の方へと歩いていった。私は唯一屋上に入ることのできる本棟へと、互いの道を行く。
はるちゃんはバスケ部で、そこでキャプテンを務めるほど信頼が厚い。信頼が厚いの部分は自称だけど。私は一段一段ゆっくり階段を登る。
はるちゃんの言うとおり、そして私の思うとおり、戸部さんがすることはきっと告白じゃない。
「でも」
どうしてこんなに胸がざわつくんだろう?
戸部さんの声と、表情はそれだけ真剣だったのは確かで。まあ、表情に関しては無表情の戸部さんのことだから私の勘違いの可能性が高いけれど。
「はあ」
私は息を吐く。
私は屋上までの長い階段を登りきると、太もものあたりに疲労感を覚えた。確実に運動不足だ。
「はあー……」
もう一度息を吐く。冷たいドアノブを握りしめてひねる。
ドアの小さな隙間から屋上を覗くと、そこには空を見つめる戸部さんの姿があった。
夕方の風ではためくスカートを左手で、緑色のリボンを右手で、戸部さんはおさえている。
まるで、恋する乙女のワンシーンを切り取ったような、そんな光景が目の前に広がっていた。
「あ、先輩。待ってました」
戸部さんが私の存在に気づく。私は戸部さんのほうへと歩いていく。風が、けっこう冷たい。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いえ。三年棟はここから遠いので」
「それで、話って?」
「その前に」
戸部さんは一拍置いて、私を観察するみたいにじっと見る。戸部さんの特徴だ。
「私、聞いてなかったです。先輩が小説を書くその動機」
戸部さんは「どうしてですか?」と首をこてんと傾げた。
人の目をじっと見るところとか、こうして首を傾げたりするその行動一つ一つが、戸部さんを戸部さんたらしめているような、戸部さんが戸部さんであることを教えてくれているような、そんな感じがした。
「高校二年生の冬、ある恋愛小説に出会って、それにめちゃくちゃ感動してさ。私もこんな素敵な物語を書きたいって思って、書き始めた」
「なるほど。その本のタイトル、聞いてもいいですか?」
「『星には手が届かない』だよ。これまで文字だけしかない小説をうっすら馬鹿にしてた。漫画に勝てるわけがないって、文字だけなんてつまらないって。読んでもないくせに」
「でも、この本に出会ってから、私の世界は一変したんだ」
戸部さんは頷く。表情は変わらない。でも、戸部さんは真剣に私の話を聞いてくれているのが、目の色から伝わってくる。
「私はそれで、作家になりたいって思った。いや、私の書いた恋の物語が一冊でもいいから本屋さんに並んでるところを見るのが、夢かな」
「作家……ですか」
「うん。戸部さんにはすぐに実現できそうな夢だよね」
「そんなことありません」
「でも! 戸部さんの二次創作読んで、その才能の違いに諦めようかなって思ったけど、今度は逆に戸部さんの言葉で希望が持てたような気がしてさ」
「! 先輩……」
恋は、嘘で編むんだから!
戸部さんの言葉が頭に浮かぶ。
私は戸部さんの二次創作を読んで感動した。けれど、戸部さんも恋をしたことないのに、それだけの二次創作を書いてみせた。
戸部さんが天才とはいえ、私にも、恋をしたことのない私にも、努力次第では恋愛小説で誰かを魅了できるんじゃないかって希望が持てた。
私は戸部さんの小さくて細い手を握る。
「戸部さん。私、また小説書くよ」
「……それは、作家を目指すことを諦めないってことですか」
「うん」
風が吹く。戸部さんの髪がさらさらと揺れた。
「私、先輩の小説のメモを目にしたときから本当は薄々思っていました。作家になることが夢なのかなって。それほど、小説に対する熱意のようなものを感じました」
「そっか……それはそれで恥ずいな」
「そんなことないです。素敵な夢ですよ」
「! ありがとう……。でも、戸部さんが私に話したいことって、この私の話とどう繋がるの?」
戸部さんはもう一歩私に近づいた。近すぎて、戸部さんがぼやけるかぼやけないかギリギリだった。
「その夢を、私にも応援させてほしいです」
「……というと?」
「ここからが本題です。いいですか? 先輩。一度しか言わないのでよく聞いてください」
「え、うん」
戸部さんの表情は変わらない。けれど、きっと風で消えないようにと、戸部さんは声を強く響かせた。
「私は入末先輩のことが好き、です」
「えっ――」
戸部さんは手を握り返した。
今度は言葉足らずではなくて、完全に、私へと向けられた好意だった。
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