第8話

「せ、先輩。この小説」


 戸部さんは私の小説を読み始めるどころか、タイトルだけを見て、目を丸くした。ここまで表情の変わった戸部さんを初めて見たかもしれない。


 いや、それよりも。


「ど、どうしたの……? なんか変だった?」


 きっと変なところはたくさんあるのだろうとは思う。でも、タイトルから変だなんて、そんなことあるかな……?


「あの、先輩」

「う、うん」

「好きです」

「えっ!?」


 だから、何が!?


 通りに私の大声が舞った。さすがにうるさいから咄嗟に口をおさえた。

 戸部さんは相変わらず言葉が足りない。そんな戸部さんは私をじっと見て、私のスマホを両手で大切そうに持っている。


「正直、驚きました。こんなことがあるなんて」

「こんなこと?」

「私、先輩とぶつかった日の放課後、久しぶりに小説を読んでみたくなったんです」


 戸部さんは私のスマホを私に返して、スクールバッグからスマホを取り出した。新生活で用意したのか、私の機種より二世代後の、最新のものだ。


「え?」


 私は手渡された自分のスマホを見る。


 読んでくれないの?


 私は心が釘を打たれたように痛んだ。

 私は戸部さんの操作する画面を見る。偏光のガラスフィルムで、その中身が私の見る角度からは見えなくなっていた。


「先輩が、本当に小説が好きなのが伝わってきて、それで元から入れてたアプリで読もうと思って」

「えっ、うん」


 その言葉で、刺さっていた釘が緩む。

 戸部さんがそう言ってくれて、しかも小説まで読んでみてくれたのが嬉しい。嬉しいのだけれど。


「それで、その、読んだ小説が」

「えっ?」


 今度は戸部さんが私にスマホを手渡した。そこには、私がインストールしているのと同じ小説投稿アプリと、そこに投稿した私の小説が表示されていた。


「えーーーーっ!?」


 私の声がまた通りに大きく響いた。そんな偶然、あるの?

 だって、私の小説なんて人気の作品でもなければ、ファボだってほとんどついていない、外見は面白くなさそうな小説なのに。それに、ジャンルがラブコメの小説なんて他にもたくさんあったはずなのに。


 私はあまりの偶然に今度は言葉を失っていると、戸部さんが「偏光のフィルムだとこんなに見えないんですね」と、肩を寄せてきた。昼休みにかいだいいにおいが、私の鼻をかすめた。


「そ、それでも反応しなかったってことは……」


 つまらなかった。って、ことだよね。


「いえ。好きって言ったじゃないですか」

「あ、私の作品が!?」

「あ、はい」

「そうなの!? あ、ありがとう〜〜……」

「なので……」


 私は戸部さんの手を握ってぶんぶん振ると、戸部さんは目を少し泳がせた。


「なので?」

「なので反応……応援しました」

「え……?」


 私は喜びすぎて飛び跳ねそうになったところで、戸部さんの発言で愕然とした。さっきから驚きの連続で私の発する言葉の大半を「え」が占めていた。小説ならくどいと思う。


 いや、いやいやそんなことよりも。


 私の小説に反応、応援をしてくれたのはたった一つのアカウント。sumika._.さんだ。


「と、いうことは……」


 戸部さんの「マイページ」のところから、あの忌々しいベルの右隣にある「プロフィール」をタップする。すると、画面には。


〈sumika._.〉


 と表示されていた。


「え、え、え」

「えーーーーっ!?!?」


 私が叫ぶと、知らない家のカーテンがさっと開いて、おじさんがこっちを覗いてきた。さすがにうるさいですよね。すみません。でも事情があるのです……。


「それじゃあ、あの二次創作を書いたのも」

「はい。私、です。正直私も驚きすぎてなんて言ったらいいかわかりません」


 戸部さんは「まさかあの作品、先輩が書いたものだったなんて」なんて言うけれど、それはこっちのセリフだと思う。

 戸部さんは相変わらず表情は変わらない。少し、大きな目を見開いているだけだ。


「ちょっと待ってよ。戸部さん。戸部さんあのとき、小説は全然読まないって」

「そうは言いましたが、書かないとは言ってませんよ」

「言葉足らず……」

「いつもすみません。自覚はないのですが」

「ないんだ……」


 嬉しかった気持ちが、だんだん黒い感情に移ろいていく。


 あれを書いたのは、戸部さんだったんだ。


 私は心に刺さった釘が抜けないまま、戸部さんに聞く。戸部さんはスマホの電源を落として、スカートのポケットにそれを入れた。


「どうして、二次創作を書いたの?」

「キャラクターの設定が丁寧だと思ったのですが――」

「私の小説はつまらないってこと?」


 私は戸部さんの逆説の言葉を遮った。そこからくべられる言葉は、私の小説への批判でしかなかったから。そして、私はそれを受け止めるだけの心の強さは、きっとない。


「キャラだけはいいのに、その他がダメだったってこと?」

「そうは言ってないです」

「戸部さんがそうじゃなくたって、私はそういうふうに感じたよ! まるで、私の小説が不完全だから添削して書き直したみたいでさ」

「始めたばかりだからあたりまえじゃないですか?」

「否定しないんだ。それにコメントで意見するだけでもよかったじゃん! どうしてわざわざあんな、あんなの書いたの!」


 私はどくどくする心臓をおさえた。

 痛い。酷い。酷すぎる。私の戸部さんに投げつける言葉の全てがやつあたりだ。心に刺さった釘がぐりぐりと私の醜くて、最低な部分を漏らしていく。

 戸部さんは私の小説に評価してくれた唯一の人なのに、私の小説を好きって言ってくれた唯一の人なのに、二次創作を書いてくれるほど私のキャラクターを好きでいてくれる唯一の人なのに。


 ああ。私は最低だ。最低最悪だ。


 これは怒りでも、自分の実力のなさに対する絶望でも、恋をできない自分を咎める気持ちでもない。


 嫉妬だ。


 戸部さんが羨ましいんだ。


 私と違って顔が可愛くて、勉強も天才的にできて、その上綺麗な文章を書けて、恋もしたことがあって。


「う、あ、あぁ……」


 私はその場でしゃがみ込んだ。戸部さんが見たくなくて、情景描写を考えたくもないくらい仄暗い夕暮れを見たくなくて、散らばる桜を見たくなくて、顔を伏せた。膝が湿っていく。


 戸部さんにあって私にないものに嫉妬して、それで戸部さんに最低なことを言って。

 これだけ惨めな私は、このまま消えてしまいたい。


「先輩。さっきも言ったように、二次創作は決してその物語の上位互換になんてなりえません」

「……私より上手く書ける人になんて言われたくない」

「先輩」

「もう放っておいてよ!」


 私は声を荒げた。おじさんなんて知らない。


「始めから無理だったんだよ! 私は、私は恋をしたことがない」

「!」


 戸部さんから小さく声が漏れる。そうだよね、高校三年生にもなって恋したことないなんて変だもんね。


「作家は自分が経験したことしか書けない。だから私に恋愛小説なんて書けるわけなかったんだ! 戸部さんにはわからないよ。戸部さんの二次創作読んで正直私、感動したよ? きっとこの人は素敵な恋愛をしてきたんだろうなって。だからこんなに綺麗に書けるんだなって。戸部さんは、私と違って恋をしたことがあるからあんなに上手に書けるんだよ」

「ありません」

「!」

「私も恋なんてしたことないです」

「え……?」


 私はぱっと顔を上げる。そしたら、戸部さんもその場にしゃがみ込んでいたから、戸部さんと間近で目が合った。


「うそ」

「好きな人なんていたことありませんよ」

「嘘だ」

「嘘じゃないです。が、それを証明することはできません。でも」


 戸部さんは立ち上がって、夕日が沈むほうへたんっと一歩進んだ。戸部さんの後ろ姿から長い影が伸びて、私を暗くした。


「SFは? 異世界転生は? ミステリーは? 作者は全部経験して書いてるんですか?」

「――してるから書けるんでしょ」


 私はまた戸部さんから目を伏せる。

 そんなわけない。そんなことはわかっているのに、私はめちゃくちゃなことを言った。


「いえしてません。でも書けるんですよ、入末先輩」


 私は伏せていた目を、もう一度戸部さんに向ける。戸部さんは私のほうを振り返っていた。


「え――」


 私は、言葉を失った。


 戸部さんが、笑っている。


 にんまりと広角をあげて、大きなその瞳を優しく細めて。初めて見る戸部さんの笑顔が、私の心を砕いた。


「物語なんて嘘ばっかりです。嘘を必死に考えて、嘘をたくみに操って、嘘で嘘を書く。だから面白くて、いつも私の心をくすぐってくれる。先輩もそうですよね。先輩の小説に出てくる園田恵だって、戸田晴翔だって、先輩の心の中にしかいない嘘の人物達でしょ?」


 私はゆっくりと頷いた。戸部さんは、笑っている。どうして戸部さんが笑っているのかはわからないけれど、戸部さんは確かに笑っていた。

 戸部さんの笑顔は、ずるいなんて思えないほど可愛い。


「恋だって同じです。恋に落ちたときの胸の高鳴りも、好きな人を見つけたとききゅっと締めつけられる心臓も、熱を持つ眼差しも、切なさに震える喉も。私は経験したことがありません。あの二次創作は全部、ぜーんぶ嘘です」

「だから先輩。先輩が恋愛小説を上手に書けないのは恋の経験がないからじゃありません。恋愛小説を書くのに恋の経験なんて必要ない」


 戸部さんの言葉一つ一つが砕けた心にしみわたっていく。温かくて、優しい。


 私の人生はどうなるかわからない。もしかしたら作家になれているのかもしれないし、なれていないのかもしれない。本屋さんに私の本はおいてないのかもしれない。


 けれど、私がどんな人生を歩んでいたとしても、この光景は、この戸部さんの笑顔だけは、絶対一生忘れないと思った。


 戸部さんは無邪気な笑顔のまま、両手をハートの形にして、自分の左胸に当てた。


「だって、小説は、物語は、創作は――」


「恋は、嘘で編むんだから!」


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