第6話

「と、とととと戸部さん!?」


 私は勢いよく席から立ち上がった。新品ピカピカの制服の子、戸部さんは扉の窓から真顔でぺこりと会釈した。青色のリボンだらけの世界で、唯一の緑色が戸部さんの胸元に鮮やかに咲いている。


 噂の新入生って、もしかして。


「え? のぞみあの新入生と知り合い?」

「やっぱり!? 戸部さんがあの噂の新入生なんだ!?」

「え、ああうん」


 戸部さん、そんなに頭良かったの!? まあ、言われてみれば育ちもよさそうだったし、頭良いのも納得かも。


「あの」

「え?」


 私の右肩から聞いたことのある声がしたので、私がはるちゃんから声のほうへ目をやると、そこにはおでこがぶつかりそうなほど近くに戸部さんがいた。


「うわあ!? 戸部さん!」

「はい。戸部です。また会えましたね」


 戸部さんは声を少し弾ませたけれど、相変わらず全く表情を変えなかった。


「二人ともなに繋がり? あ、わたし畑山遥。よろしく」

「え、あ、戸部です。先輩とはなんか道で出会いました」

「道……?」


 はるちゃんは少し困惑したような、そんな表情を見せた。戸部さんといえば、相変わらず表情一つ変えないで私との繋がりを端的に――。


「って、戸部さん言葉足らずすぎ!」

「え、そうでした?」


 戸部さんは首をこてんと傾けた。


「今のはなけっこう言葉が足りなかったよ」


 はるちゃんはうんうんと頷いた。


「そう、ですか」

「そうだよ~。それでね、戸部さんとは新学期初日に通学路でばーんってぶつかって、それで打ち解け合ったって感じだよ」

「あ、はい。そんな感じです」

「え? どういうこと……?」


 はるちゃんはわけがわからないといったように相槌を打った。はるちゃんの気持ちは、わかる。


 戸部さんは言葉足らずすぎる。

 戸部さんは初対面の私に、好きって言うくらい言葉足らずなのだ。頭がとんでもないくらい良くて、国語で満点を取るくらいなのに、主語や目的語を言わないなんて。


「まあいいや。それで、一年生の戸部がどうしてここに?」

「あ、確かに」


 私は戸部さんを改めて見る。

 三年生の教室がある、通称三年棟は一年生と二年生の教室がある本棟とは少し遠いところに位置している。なんでも、受験勉強に集中できる環境作りのためなんだとか。

 だから、三年棟に他学年の子が来るとはほとんどなく、あったとしても部活のことで三年生に用事がある人だけだった。


「探検です。昨日で本棟を回りきったので今日は三年棟に来ました。そしたら先輩がいたって感じです」

「探検……」

「探検……」


 私とはるちゃんの声が意図せずそろう。戸部さんはそれを意に介さず、「三年生の教室って少し古いんですね」と教室をぐるりと見渡していた。一人で探検するのって楽しいのかな。


 会ったときから若干変わった子だとは思っていたけれど、天才と聞くと納得がいった。天才は少し変わった人が多いみたいだから。


 戸部さんも例にもれず不思議ちゃんだと思う。

 なんて思っていると戸部さんがまた距離を詰めてきた。


「ところで先輩。また会いましたね」

「え? うん。会ったね」

「約束、覚えてます?」

「約束……? ああ」


 ――約束、だね。

 昨日の春の情景と私の言葉が頭によぎる。そういえば戸部さんに小説を見せるなんて約束、してたっけ……え?


 それってもしかして。


「ということで約束通り小――」

「わーーーーっ!」

「んむ?」


 私は戸部さんの口を咄嗟に押さえた。


 みんなに小説書いてることがバレるのは、まずい。


「急に何するんですか」

「戸部さん、いったん外でお話しよっか〜〜、はるちゃんごめん、用事あるから先食べてて」

「お、おう」


 私は戸部さんの肩を無理やり抱きしめて教室を後にした。


 ……戸部さんからはいいにおいがした。


「先輩。そろそろ離してください。もう廊下ですよ」

「それもそうだね」


 戸部さんがむっとした声で言うから、私は戸部さんを解放した。戸部さんのにおいが離れていく。


「それで、さっきの話なんですが」

「あーー! うん!」


 私は戸部さんの言葉を遮る。廊下とはいえ、どこの誰が聞いてるかわからない。油断禁物だ。


「私スマホかパソコンでいつも書いてるからさ、今は見せられないんだ。だから通学路で会ったときにでも見せるよ」

「そうですか? そういえば先輩って部活入ってます?」

「入ってないけど……。戸部さんは? もう決まった?」

「決まってません」と戸部さんは即答した。廊下へ差し込む光が戸部さんの色素を薄めて、茶色っぽくしている。教室の中で見るのとは印象が変わって見える。


「お互い部活入ってないのなら、放課後空いてるじゃないですか。先輩」

「えっ」


 たんっと緑色の上履きが私の青色のそれに触れる。


 戸部さんが、近い。


「放課後、一緒に帰りましょ」


 戸部さんは少しだけ口元を綻ばせて言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る