第3話
「好きです。好きって言いました」
「えーーーーっ!?」
戸部さんはすん、とした無表情で私に愛の告白をした。
私の心臓の鼓動が早歩きを始めて、うるさくなっていく。
意味がわからない。
まさか、まさか本当にあのベタな展開で恋に落ちる人がいるなんて。いや、出会いのきっかけがベタな展開だった、というわけではなくて、あれだけで恋に落ちたということだからもはやフィクションよりもすごい。現実は小説よりなんとやらだ。
でも、一体私のどこに?
私は戸部さんを見る。戸部さんの顔は彫刻かと疑いたくなるほどその表情は変わらない。どうして好きと言った本人がすましていて、好きと言われた私の方がドキドキしているのだろう。
「ご、ごめんなさい! とりあえずお友達からで……」
私は戸部さんからの告白をとりあえず断った。いくらなんでも急すぎるし、戸部さんだって表情にこそ出ていないけれど、新学期マジックで冷静さを欠いているだけに違いない。いや、表情は本当に冷静沈着そのものなんだけど……。
「え、友達?」
告白を断ったのにも関わらず、戸部さんの表情は無から変わらなかった。けれど、その声はどうしてか疑問が混じっている。
「でも、入末先輩は先輩ですし、友達という関係は難しいかもしれません」
「か、かといっていきなり恋人になるのはちょっと私としても」
「恋人……? なんの話ですか?」
「ふぇ?」
あまりに腑抜けた声が出た、と自分でも思った。戸部さんはこてんと首を傾げている。
「え、だってさっき好きって」
「確かに言いましたけど、先輩小説書いてますよね? そういう創作活動、私も好きって意味で言いました」
「でも、先輩が『え?』って言ったので風で聞こえてないのかなって思って、大事な部分だけ言いました」
「え、あ、そうなんだ…………」
戸部さんは「ほら、風強いじゃないですか」と、揺れる髪を押さえた。
バクバクしていた心臓が治まってくるのと同時に、周りの建物を吹き飛ばしてしまいそうなほど爆発的に顔が熱くなっていく。変な汗も出てきた。
恋愛小説を書いていたからか、過敏になりすぎていると思う。
自意識過剰にもほどがある。
「いや、いやいや待って待って。大事な部分だけど、確かにそうだけど! 『好き』だけ言う!? 普通」
我ながらその通りだと思う。曲がり角でぶつかった後でそんなこと言われたら、いくらベタな展開だからといって――いや、ベタな展開だからこそ誤解してしまうに決まっている。
「え、私の一番伝えたいところがそこだったので」
戸部さんは言葉足らずすぎると思う。私は溜息を深くついた。
「いやまあそうかもしれないけど……」
「そう、だよね」
私は心の底が重たくなるような感じがした。
人を好きになるなんて、恋なんて、そう簡単にできるようなことじゃない。
戸部さんがこれから通うことになる碧嵐高校は女子高だ。女の子同士で付き合っている噂はたまに聞くけれど、恋愛をしていないか他校の男の子と付き合っている生徒の方が圧倒的に多い。異性を好きになる人にとって、女子校という場所は恋をするハードルが高いように思える。
私は帰宅部だし、他校に知り合いも一人しかいないので、高校生のうちに恋をするなら女の子が相手だ、と勝手に決めつけていた。
結果的に私に恋心は芽生えなかった。
それどころか、性別に関わらず誰かに恋している自分を全く想像することができない。もちろん告白されるところだって。
そもそも、恋に憧れていたはずの私の思考は、いつしか恋は恋愛小説を上手く書くためにするもので、自分の恋に対する解像度を上げるためにするものだという考えにすり替わりつつある。こんな人間は恋物語を綴る資格なんてないのかもしれない。
こんなんだからファボ0なんだよ〜〜!
私はげんなりと戸部さんを見る。戸部さんは顔も可愛くて、なんとなく育ちも良さそうだからちゃんと恋人ができそう。
戸部さんはどんな人を好きになるんだろう。
戸部さんは好きな人の前なら表情豊かになるのかな。
「あっ、それでそれで戸部さんは何が好きなんだっけ。……私のことじゃなくて」
「創作活動です」
戸部さんは私の皮肉を真顔でスルーした。
「へえ、そうなんだ」
「はい」
「ほうほう……。とりあえず、学校向かいながら話そっか。誰かと待ち合わせとかしてたりする?」
「いえ、してないです」
「じゃあ一緒にいこーっ……て」
え?
「今創作活動って言った?」
「はい。創作活動が好きです。これで言うのは三回目な気が……」
「創作好きなの!? 戸部さん!」
私は戸部さんのちっちゃな手を握る。戸部さんは「わっ」と驚いたような声を出した。大きな目を少しだけ見開いて。
「さっきからそう言ってるじゃないですか」
戸部さんは不機嫌そうな声でそう言った。真顔は変わらないのだけれど。
そういえば戸部さん、小説を書くみたいな創作活動が好きって、さっき言っていたような気がする。
「えー! ちょっと意外かも」
「Yで漫画とか読んだり、自主制作アニメとか観るの、けっこう好きです」
「あ、見る専門の人ね。でもわかるよ! ああいうの、私もすごい好き」
Yとはたぶん、海外のすごいお金持ちに最近買収されたSNSのことを言っていると思う。一応アカウントは持っているものの、名前がYに変わってからあんまり開いていない。
「でも、先輩の前で言うのもちょっとって感じなんですけど、小説はあまり読まないです。Yではあまり見かけないし」
「言うのね……。確かにそうだよね。読む人の数も減少し続けてるみたいだし」
小説を読む人、特に書籍を買って読む人は減少の一途を辿っているらしい。
読む人が減っているということは世の中の需要が減っていることを意味していて、より人気の作家さんしか残らない可能性がある。ただでさえ作家は誰でもなれる職業ではないのに、これまで以上に狭き門となっているのは事実だった。
「でも、私は好きだよ」
「私は、小説にしかない小説の力が好き」
「! 先輩はそれだけ小説が好きなんですね」
「うん。大好き」
私は勝手に頬が緩んだ。冷たい風に乗った桜の花びらが、私達を追い越していく。
いつか戸部さんにも小説の力を伝えられたらいいな。
「先輩はどんなジャンルを書くんですか?」
「え、ああ〜……。大声ではあまり言えないのですが……」
「はい。では小声でお願いします」
「いや比喩だよっ!」
「あ、比喩か」
「確かに大きい声では言わないけど、」
私は手をどこにやったらいいかわからなくて、スカートの端をつまんだ。戸部さんをちらっと見ると、私をじいっと見ている。戸部さん、人と話すときめちゃくちゃ人の目を見るタイプに違いない。私は整っていて、それでも幼さの残る顔から目を逸らした。
「恐縮ながら恋愛ものを…………書いてます」
「そうなんですね。私もよく見る創作は恋愛です」
「えっ、そうなの!? なんだか気が合うねー……」
「そうですね。そっか、先輩は恋愛小説を書いてるんだ」
戸部さんが桜の花びらを避けるように歩くから、戸部さんが離れたり近づいたりする。
「先輩。私達はこれっきりもう話さないかもしれないし、もう会わないかもしれません」
「え? うん」
突然隣を歩く戸部さんが意味ありげなことを言った。私は戸部さんを見る。
小さな耳、輪郭と首筋が黒いボブで見えたり隠れたりしている。
「でも、またなにかの縁で会うことがあって、話すことがあったのなら、そのときは先輩の小説、読ませてくださいね」
「先輩が大好きな小説を」
戸部さんの表情が少しだけ、少しだけやわらかくなったように見えた。私もつられて、口角が上がった。
心が温かくて、軽くなっていく。
「もちろん! 約束、だね」
私は戸部さんの小指を絡める。また、春が私達のスカートを揺らしていった。
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