6 夢、想い、風。
話し終えた二人は、歩いてこちらに戻ってきた。
「上野君、ありがとう」
「真優もありがとう」
満面の笑みとは言い難い、お疲れさんでしたと言いたくなるような笑い方だったけど、二人はもう大丈夫だと思えた。満足そうな、そんな顔だ。
「二人とも、通じ合えました?」
真優もそれを分かっているのか、からかうように麻衣ちゃんに言った。
「バッチリバッチリ」
少し泣いたのか、麻衣ちゃんの目元は赤かった。
それじゃあ、本当にありがとうな、と言って帰ろうとする蒼さん達に、僕は声を掛けた。
「夢を、見てみませんか?」
怪訝そうに眉をひそめ、聞き返してくる二人。
「「夢?」」
「そう、夢です」
僕の曖昧な言葉に痺れを切らしたのか、蒼さんが一歩こちらに踏み込んで訊ねてきた。
「どういうことだ?」
「二人のこれからのための夢です」
隣にいる真優は、どこか不安げな顔で僕を見ていた。
「洋君、意味分からないよ」
「まあぶっちゃけると、芽衣さんの最期の記憶を見てみませんかってことです」
困惑していた蒼さん達は、その言葉に驚く。
麻衣さんはまだ僕の告げたことの意味が頭に入っていないのか、ぽうっとして、
「何言ってるの……?」
と呟いた。
「信じてもらえないかもしれないけど、俺の右手には不思議な力が宿ってます。その力ってのが、『誰かのために、想って願って祈って誓った分だけ、その誰かを幸せにする』っていう力で、もっと簡単に言えば、『想って願って祈って誓ったもの』を対価として俺に渡せば、あなた達の不幸を取り除きますっていうことです」
上手に説明できただろうか。
「…………まるでファンタジーだな」
蒼さんはポツリとそう言った。僕も同意。
「あなた達というより、これは主に蒼さんになんですけどね。ずっと背負ってるモノを僕は減らしてあげたいですし」
蒼さんはもう苦しまなくてもいいんだ。芽衣さんの最期の記憶がどうであれ、僕はそれを二人に見せてあげたかった。そうすることで、二人は始まる。これからが始まるのだ。
「……対価は、『芽衣さんに対する愛』かな」
手を出してください、と僕は言う。素直に従う二人。それぞれの想いを受け取ったが、僕の手は光らない。まだ対価が足りないらしい。
――僕の、不死の身体。
もう一度、僕の身体を対価にする。今だって具合が悪いのに、どうして僕は身を犠牲にするのだろう。自分でもよく分からないけど、たぶんそれは、蒼さん達と僕の間にある共通点が原因だと想う。共通点っていうのは、うん。大切な人を亡くしたこと。
彼らの場合はもちろん芽衣さんで、僕の場合は、兄貴だった。
兄貴を亡くしたとき、僕は世界とか神様とか、そういったモノに対して絶望した。
理不尽で、不条理で……とにかく、兄貴の消えた世界ってのは、僕にとって生きる意味なんてなかった。だから、僕は事故に遭ったときに、やっと死ねると、兄貴に会えると思ったのだ。……まあ、その兄貴とは変な形で対面してしまったが。しかも生き返っているが。
そんなわけで、大切な人が死んでしまったあとの、虚無感なり罪悪感なりは多少なりとも理解できるから、いや、理解できてしまうから、僕は蒼さん達に前を向いてほしいと思う。だから僕は対価を払う。それが払うに足る理由になるんだ。
右手が、光る。
「二人とも、目を瞑ってください」
不安そうだけど、素直に従ってくれる二人。僕は、二人の額に軽く手を当てた。
☆☆☆☆☆
蒼さんの待っているアパートまで、あと二時間ほどだろうか。少しでも早く着きたいから、いつもは使わない山道を通っている。
『うん。じゃ、あとでね!』
『ああ』
蒼さんは平静を装っていたけど、めちゃくちゃ嬉しそうな声をしていた。そんな声を聞いてると、こちらまで嬉しくなってくる。幸せのおすそ分けをされている。
早く祝いたい。祝ってあげたい。たくさんくっついて、自信付いたでしょって言ってあげて……それから、何をしようかなあ。
ついつい笑みがこぼれてしまう。
と、そのときだった。
暗がりから、眩い光が飛び出てきたのだ。目を細めてその光を凝視すると、それは大型のトラックだった。危ないと思いつつ、車を横に逸らしたが、相手はわたしに追従するように、同じ方向に車を走らせた。目の前に躍り出る、巨大な鉄塊。
「っ――」
何かを叫ぶ暇もないのだろう。けれどわたしは、言葉にならない声を口から出していた。
怖い怖い怖い。死ぬのかな。ここで死んじゃうのかな。蒼さん、ごめんね。もっと一緒にいたかったよ。伝えたい想いも言葉ももっともっともっとあったのに、ごめんね。
こんな想いも、蒼さんには伝わらないね。謝ることの意味はないんだろうけど、ごめん。
でも、それでも、想うよ。想い続けるよ。
こんなわたしを受け入れてくれてありがとう。受け止めてくれてありがとう。最初は気まぐれみたいにお話しをしただけだったのに、それが運命だったんだね。あそこで、蒼さんに出逢えてよかった。二人を引き合わせてくれたのが、優しい神様でよかった。
どう表したらいいか分からないから、これ以上はやめて――ああ、そうだ。
わたしが死んでも、蒼さんは自分を責めないでね。あなたが殺したんじゃないよ。間接的にはそうなっちゃうかもしれないけど、わたしは別に恨んでないんだよ。怖いけど……怖いけど、恨んでなんかいないよ。一緒にいたかったけど、それを後悔とは呼ばないよ。だってわたしは、もう充分、あなたから幸せをもらったから。だからあなたは、自分を責めないで生きてください。死にたいって想うこともあるのだろうけど、生きてね。わたしはなんて残酷なことを思っているんだろう。でもね。それでもね。
蒼さんは、わたしのいない、この世界で生きていくんだよ。生き続けていくんだ。
それがあなたの使命なんだよ。
ただただ、あなたの幸せと活躍を祈ってます。
一つだけ、あなたの使命を勝手に付け加えさせてもらうなら、世界で二番目に大切な人――妹のことをよろしくね。
ここで死んでしまうわたしに、未来のことは分からない。そもそも、死んでしまうとか、それ以前に、未来のことなんて誰にも分からないけど、交わってほしいんだ。
蒼さんと麻衣が歩く道が、できるなら、交わってほしいのだ。
あなたなら、麻衣のことを理解できると思う。だって麻衣は、わたしによく似ているから。もちろん外見じゃなくて、内面ね。……あの子は感情的だから、わたしとは全然違うって思っちゃうかもしれないけど、本当にさ、よく似てるんだよ。
……似てるからってだけで蒼さんにお願いするんじゃないんだけど。
世界で一番大切な人と、世界で二番目に大切な人。一番と二番だけど、実際にはそこに優劣なんてない。同着で。同等で。自分の命だって賭けられる人達だ。
優しい神様にお願いです。
ここでわたしが死ぬ代わりに、二人を幸せにしてください。
運が悪かったと諦めるので、せめて二人だけは幸せにしてください。
襲いかかる不幸から、守ってあげてください。
それが、それだけがわたしの願いです。
――じゃあ、またいつか、どこかで――
☆☆☆☆☆
適切な表現ではないのだろうけど、幻のような夢を見た。
時間にして数秒の短い記憶。だけど、その数秒の中には俺の求めていた様々な答えが詰まっていた。そうして芽衣の想いを知った俺の頬を伝って、涙は地面に向かって落ちていく。悲しくはない。かと言って、嬉しいかと問われても、俺は首を横に振るだろう。そういうはっきりとした輪郭は持たない。ぼやけたような、それでいて確かにそこに存在している――ああ、この想いをなんと言えばいいのだろう。塞がることはない、塞がるとしてもまだまだ先だと思っていたがらんどうになった心の穴が、癒えていくような気さえする。
拡がっていたのは、罪悪感という真っ黒な色だったはずなのに。深い深い透明さに洗われて黒は色を失っていく。無垢な透明さは徐々に色付き始める。柔らかみのある、優しい色を帯び始める。
そうか、俺はやっと、心の底から安心したんだ。
そう気づいたら、俺はもう泣くことしかできなかった。伝う雫を止められない。
隣にいる麻衣も俺と同様のようで、日の当たる地面に大粒の涙を降らせていた。お姉ちゃん、お姉ちゃん、と呻くような、嘆くような、そんな声で何度も呟きながら。
手の甲でゴシゴシと目元を拭いて、無理矢理に涙を止め。麻衣の華奢な身体を抱きしめた。俺の胸の中で肩を震わせる麻衣。なあ、俺はお前のすべてを理解しやできないだろうが、それでも辛かったのは分かるんだよ。ずっとずっと比べてきたんだろ。誰にも理解できない恐怖や孤独があったんだろ。強がって、強がってさ。
胸の内に灯り始めていた優しい熱を分け与えるように、麻衣の身体を強く抱く。
「蒼さんっ……あたし、あたし……」
俺の身体に顔を押し当てているから、麻衣の声ははっきりと聞こえない。だけど、くぐもった声が、音が、振動が、骨を伝って俺の耳まで届く。
「いいよ。もう喋らなくていいよ」
他人が他人を、どんな方法で、どの深さまで理解できるのかなんて、俺にはまだ分からない。その他人っていうのは大切であれば大切であるほど、些細なことから大きくすれ違ってしまって、もうすべて終わってしまったと思うときもある。逃げ出したいときもある。
だけど俺は、それを投げ出さない。だってさ。俺は、誰のことだって、忘れられねえんだよ。なかったことになんか、できないから。
芽衣のことを愛していた。そんな日々があった。確かにそうだ。でも腕の中にいるこいつのことを、ここにいる俺は愛してるんだよ。
残酷だけど月日は流れていくよ。
記憶だって薄れていくよ。
だけどな、全部が消えるわけじゃない。芽衣の記憶を抱いて、俺は生きていくよ。
忘れられるわけがない。なかったことになんか、できないし、したくもない。
後ろ向きだよ。相変わらず。そんな風に生きていたけど、気づいたことだってあるんだ。
後ろ向きなら、そのまま後ろに向かって足を動かせばいいんだよ。
それなら、前に進んでるだろう?
俺らしいと思うんだ。芽衣は、どう思う?
俺、たぶん。酒飲んで笑いながらお前のことを話すような大人にはなれねえよ。
そんな汚い大人にはなりたくねえよ。
ずっとずっと、芽衣を抱いてくよ。だけど、安心してくれよ。
麻衣を、お前ごと奪うから。
繋いでたモノは消えないから。消えないなら、それごと手にするまでだ。
俺と、芽衣と、麻衣の三人で。
そうやって生きていくよ。生き方が不器用だとは自覚しているけど、こればっかりはもう変えられない。
ああ、でも。俺だって何かを変えなければならないんだよ。そう思ったから、まず、俺は小説を書くよ。世界中に溢れてる光と闇を描くよ。夢や希望だけじゃない話を、俺は書くよ。書かなくちゃならないんだ。
そのとき、俺達を撫でるように、甘い風がふわりと吹いた。初夏の日射しはそれほど強くはないけど、それでも少しずつ身体は火照っていく。その火照りを冷ますように、さきほどから絶え間なくそよ風が吹き続けている。
風は、どこで生まれて、どうやって吹くのだろう。
俺の知らない場所で生まれた風に思いを馳せてみる。
風は循環していく。地域によっては吹かないところもあるんだろうけど、風は世界を駆け巡る。天災を起こしたり、今のようにふわふわと撫でるように吹いたり、様々だけど、とかく、大地を、世界を、駆け巡る。
自分で堰き止めていただけのダムが崩壊して、溜っていたモノが激流となって放出されていく。そうして、俺は零になる。空っぽになって、また始めればいい。
――すべては循環していく。
風も、気持ちも、俺自身も、何もかもだ。
麻衣を抱いたまま、俺は空を見上げた。
巨大な水色の画用紙に貼り付けられた千切れた雲を見ながら、思う。
選んだ未来は最良じゃないかもしれない。
掴んだ未来は最善じゃないかもしれない。
だけど、この選択は、きっと俺達を強くするんだ。
そう思うんだ――
軽くではあるが、そのあとの話をする。このとき自分に誓った通り、俺は小説を完成させる。『公園の少女と俺の未来』という、多少ファンタジー要素の入った小説だ。もちろん名前は変えてあるが、俺と芽衣と麻衣と上野君と真優ちゃんが出てる時点で、ほとんど私小説みたいなモノだ。ほかにも、『公園の少女』でほんの少し触られていた、俺と芽衣との間に起こった事件のことを麻衣に知られたときの話もある(ややこしいか?)。ま。
それはまた別のお話ってことで。
だけど、その前に、直後の話をしなくてはならないだろう。
ファンタジー男――上野洋が、倒れたのだ。
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