四章 『公園の少女と俺の未来』

 1  蒼と麻衣



 パソコンの画面を睨んでいる男が一人。そして、それをずっと眺めている女が一人。小さな部屋の中に二人の人間がいる。二人が座っている床一面に布団が敷いており、女は敷かれている布団に寝そべって男の方を見ていた。静まり返っている室内に、パソコンの駆動音だけが響く。時折男は指を動かして、カタカタとキーボードを叩く。そのあと、ため息を漏らしながら、パソコンに打ち込んだ文章を消す。そんな一連の動作を繰り返していた男。女は黙ってその様子を見ていたが、男の口からため息が出る度に室内が、自分が、そしてため息をしている張本人の顔も陰ってきているような気がして、遂に女はそんな状況に耐えられなくなって口を出した。

「ねえ、そろそろ休んだら?」

「まだ駄目。数枚しか書いてないし。……そしてうるさい」

 若い男は休憩を勧めてきた女に対してぞんざいな口調で言った。男は二十代前半だろう。髪は一見ボサボサに見えるが、近くで見れば分かるように、ちゃんと整えられている。服装は、白シャツにパンツ。まるで休日の中年オヤジの姿だ。女の方は、男よりもっと若い。いや、この場合幼いといった方がいいだろう。少女から大人の女になる、ちょうど境目の時期。大学生ぐらいだろう。清潔そうな髪が肩まで伸びている。その小綺麗な髪を揺らしながら、彼女は頬を膨らました。

「うるさいってことはないでしょ。人がせっかくコーヒーでも入れてあげようかと思ったのに」

「うん」

「疲れてないの?」

「……疲れた」

 大きく息を吐いた男は、二十秒前とは打って変わって優しい声で言った。

「麻衣のコーヒー、飲みたいな」

「分かった……なんて言わないからね。さっき言ったときに飲みたいって言ってくれればよかったのに。なんで蒼さんはわざわざ人を不機嫌にさせるかなあ?」

 拗ねたように喋る麻衣。蒼と呼ばれたその男は苦笑しながら言った。

「麻衣はからかうと面白いから」

「べーだ」

 麻衣は舌を出して蒼を睨んでから、簡素な台所に歩いていき、インスタントのコーヒーを作りに取りかかった。

「お砂糖? ミルク?」

「ミルクだけ」

 小さく鼻歌を歌っている麻衣を見て、蒼は微笑んだ。


 この世界が誕生した歴史をここに記す。

 創世記一万年。予言に記されし勇者が誕生した。当時、絶対的な力を持って世界を支配していた魔王を倒すため、仲間を集めながら旅をした勇者の記録である。

 まずは魔法の説明からしなくてはならないだろう。魔法とは世界中に溢れる――


「長ったらしいっていうか説明がうざい。無理。あたし、この四行で読むのやめる」

 パソコンを見ていた麻衣は躊躇無くデータをゴミ箱に移動し、ゴミ箱から削除した。

「ああああああああっっ! 俺の、渾身のっ!」

「なにが渾身よ! こんなのどっかの漫画の二番煎じでしょ!」

「二番煎じ……だと?」

 蒼はそう呟くと、すわった目で彩花を睨み付けた。

「そもそも芸術なんてな、どんな分野でも先人たちが創った作品の継承から始まってるんだ。それをなにが『二番煎じ』だよ。全く持って大概にしろって話だ。大体な、今ある小説だの漫画だのアニメだの、昔の奴から色々引っ張ってるんだよ。分かるか? このド素人。それを分からないように物語に練り込むからいいんだろ。古き先人の知恵と新しいそいつの発想とが混ざって素晴らしい創作物になるんだっ! よってつまり――」

 人差し指を麻衣に突きつけた蒼は持論の結論を言おうとした。だが麻衣はそれより前に事実を告げた。

「とりあえずこの話は元ネタが分かるから没ね」

「そうですよね。はい……」

「他にはなんかないの?」

 日が差し込む窓の向こう側の景色。このまま空でも飛べればいいのに、と空想している目で蒼はそこを眺めていた。

「蒼さんっ!」

「ありますあります。今宵は月が綺麗なのでどんどん見てくれ」

 すらすらと嘘でもなんでも語れるこの男の口をそのまま文章に出来れば、それこそ世界を支配できるほどのお話が出来ると思うのだけど。そんな風に思って麻衣は笑った。

「今はお昼だよ。でも白い月が見えるね。なんで見えるんだろう?」

「ああ、それは毎日毎日酷いことや嫌なことが起こるじゃない。殺人、自殺、レイプ、強盗、放火。そういうのが積み重なるとね、宇宙が人類に警告を与えるんだ。分かりやすくするために、俺たちが普段見慣れていないものを印にするんだ」

 麻衣は突飛な説明に惚けていた。

「……ホントにそうなの?」

「ああ、ホントだ。いや――人類の愚かな負の部分が月の周りに集まって、月を見せている、とも言われている」

 ふうん、と麻衣は言って、コーヒーをかき混ぜたスプーンを蒼の口に飛び込ませた。

「熱っ!」

「いや、冷たいでしょ」

「冷たっ!」

「適当すぎだよ。蒼さん」

 蒼は肩を震わせながら呟いた。

「コレを……見てくれ」

 蒼が開いたファイルを麻衣は覗き込んだ。


「なあ、気持ちいいか?」

「だめだよぉ……っ……あぁ……」

 俺は若い女の○○を舐めていた。背丈の小さい――155センチくらいであろう女が、途切れ途切れ高い声を上げていた。かなり細身だが、胸も尻も出ている。

 上玉だな。

 俺は薄く笑うと、舌を素早く動かした。その刹那、滑らかな曲線が小刻みに震えた。

 もう我慢出来ん。合体――


「……あたし一応未成年で。っていうかあたしに何を見せてるの? ってか見せた意図は?」

「一般的に官能小説と呼ばれている小説。今宵は月が綺麗だから?」

「蒼さん……」

 麻衣は頭を抱えたくなった。実際にはため息を吐くことくらいしかできないが。

「うん? どうした?」

「蒼さんさっきレイプだの人間の負がどうのこうのだの言ってたでしょ! それはどうしたのよ!」

 すると蒼は先ほどと同じように肩を震わせて呟いた。

「実はこの男には感覚がないんだ。痛いとか冷たいとか熱いとか……」

 麻衣は本当に頭を抱えた。蒼さんは何を言っているのだろう。

「それで?」

「つまりね、俺だって熱いとか冷たいとか間違えますよって話だよ」

 つぶらな瞳をきょろきょろ動かして蒼は笑った。再度、はあ、とため息を吐いてから麻衣は言った。

「分かった分かった。それはともかく、蒼さんが本当に書いている話が見てみたいんだけど」

 突然唸りながら下を向いた蒼はぼそぼそと喋った。麻衣はその様子に苛々した。

「聞えない! 男ならはっきり言う!」

「何を書けばいいのか分からないんだ……」

「一つくらいなんかあるでしょ?」

「もちろん!」

 と言いながら蒼は笑ったが、反対に麻衣は肩を落とした。こんな風に笑いが乾いているときの蒼は、何かに行き詰まっている。何かとは、物語を書くこと、だろうけど。

 蒼に気分転換をさせるため、昼食の買い出しに行ってもらうことにした。

「蒼さん、お腹空いちゃったんだけど、冷蔵庫の中に何もないから買い物に行ってきてくれる?」

「……ホントに小説進んでないんだ。だから書かなきゃ――」

 蒼は一つの思考に凝り固まっている。小説小説、アイデアアイデア。そんな風に必死に考えれば考えるほど何も出ないのだろう。書けないから考えて、考えても出ないから書こうとして、部屋に引きこもる。

 麻衣は出来るだけ優しい口調を心掛けた。

「気分転換してきてきなよ」

 傍目には分からないくらい微妙な表情の変化をした蒼。僅かに顔に覇気が戻って、少し大げさなリアクションで、分かったと言った。そのまま出掛けようとした蒼に麻衣は言う。

「人間としての心がまだあるなら着替えて」

 ハッとした表情をした蒼に苦笑しつつ麻衣は後ろを向いた。そして着替えてから蒼は出掛けていった。小さな音を立てて玄関の扉が閉まった。それを確認した麻衣は、ニヤニヤしながら電源の落ちていないパソコンへと近づいていった。

「さあて」

 しんと静まり返った部屋の中で、小説が書いてあるファイルをクリックする。履歴ファイルをざっと見ると、麻衣は早速興味の惹かれたタイトルを次々にクリックした。途中で終わっている、書きかけの小説が幾つもあった。数行だけ読んでは違う小説を見る。そんな行為を繰り返していたが、一つの小説のタイトル、それに目を奪われた麻衣は自然にマウスを動かしていた。

 公園の少女――



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