4 誰かが誰かを想うということ
七恵から電話をもらった僕は、病院を目指していた。病名、原因、共に不明。この街にそんな患者を受け入れているとする病院があるとするなら、あそこだ。
まあ、そんなことはどうでもよかった。
理由はどうであれ、かざなりこうすけって奴は、七恵を泣かせたのだ。僕はそいつを一発殴らなきゃならない。
そいつが何かを背負っていたとしても、それが七恵を傷つけていい理由になんてなるわけがない。なってたまるか。聞いた限りだけど、そいつにも事情があるってことは分かってるけれど、それで納得できるほど僕は大人じゃない。
きりしもせつな。
かざなりこうすけの大切な人で、この病院に入院している患者だ。僕は病院を駆け回った。そして、見つけた。部屋の前で名前を確認し――
「なんで来た?」
僕が部屋に入ろうとしたとき、部屋の中から男の声が聞こえた。いささかではあるが怒気を含んでいる声だった。
「俺は――」
それに応える若い男の声は頼りなかった。この状況から鑑みるに、この若い男がかざなりこうすけだ。そう思ったときには、僕の身体は勝手に動いていて、部屋に突入していた。
重苦しい空気はいきなり入ってきた僕によって壊される。同じように立ちすくんでいる二人だけど、目が違った。白衣を着た男――医者は、とても強い眼差しで僕を見ていた。かざなりこうすけであろう男は、僕ではない、いや、どこでもない虚空をぼんやりと見つめていた。
こいつ、まだ。
「いつまで迷ってんだよ……?」
僕はかざなりこうすけに詰め寄って襟を掴んだ。
ここまで怒りを感じたのは初めてだ。そりゃ、僕だって七恵を振った。でもそれは、僕の中にちゃんと理由があるからだ。なのに、こいつは、七恵を利用して、その上慰めてもらって、それでもまだこんな無様な姿を見せつけている。
「君、誰?」
医者が僕に尋ねてくるが、僕は答えない。やるべきことがある。
「おい……? 黙ってるなよ」
相手からしたらわけが分からないだろう。でもかざなりこうすけはそんな顔を見せない。ただ目を伏せ、僕と目を合わさないようにしているだけ。
「俺は七恵の友達だ」
そこで、やっと相手に表情が浮かんだ。申し訳なさそうな、そんな顔。
そうじゃないだろ。そんな顔をする資格がお前にあるのか?
「七恵はどんな気持ちでお前を見送ったか分かるか」
黙っているかざなりこうすけを僕は殴った。
「お前は、何をしに来たんだよ!」
殴られたまま呆然としているかざなりこうすけ。堰を切ったように溢れ出る言葉。
「そこに寝てる子が、お前の大切な人なんだろ? そこにいるんだろ? ここにいるんだろうが! ……だったらなんで側に行かない。そんな医者の言うことに答える必要なんてねえだろ。側にいたいから、だろ。それでいいんじゃないのか。逃げて迷って逃げて迷って逃げて迷って、いつまで繰り返してるんだよ」
気づけよ。届けよ。
「それと、お前は一度だって雪菜ちゃんの気持ちを考えたことないだろ。いや、あっても、主語がいつも自分じゃないか?」
表情を変えるかざなりこうすけ。
「好きな人に好きって言えない気持ちを、考えたことがあるのか?」
僕だから分かる。普通の人間じゃないから分かる。霧霜雪菜ってこと僕は、同じだ。
この子は、自分がこうなる運命だと知っていたから言えなかったのだ。その想いを汲んでやるのは、一番側にいるお前の役目じゃないのか。
掴んでいた襟を離すと、かざなりこうすけはゆっくりと霧霜雪菜の寝ているベッドまで歩いていった。そして震える両手で、霧霜雪菜の骨張った手を抱きしめる。
「雪菜、ごめんな……」
そんなかざなりこうすけの様子を見ながら、医者は再度僕に話しかけてくる。
「君、二年くらい前にこの病院に入院してたよね?」
「……まあ、はい。……あなたは一体誰――」
あの天パの医者か!
「まあそれはいい。とりあえず、言いたいことを言ってくれてありがとう。でもね、手遅れなんだよ」
「……手遅れって、どういうことですか?」
「助からないって意味」
そうか、だからこいつは、かざなりこうすけはこれほどまでに逃げていたのか。
「医者の前で、こんなことを言うのは駄目だと思いますが……」
もの問いたげな顔だ。けど、医者としてのプライドを捨て、僕に言う。
「なんでも言ってよ。ボクだって助けたいんだから」
「かざなりこうすけ。お前も助けたいって思ってるか?」
聞かなくても分かってはいる。でも確認だ。
「当たり前だろ……俺は、そのために、なんでも……」
「本当に、なんでもするんだな?」
立ち上って僕を一瞥してから、また雪菜ちゃんの方に視線を向けた。そのときのかざなりこうすけの目は、僕の信に足るものだった。大丈夫。こいつはもう大丈夫だ。
「こいつが助かるなら、俺の命だって」
「医者としてそれは許せない。ボク個人としてもそれは許せない。セツナちゃんがコウスケ君の命を糧にしてまで生きたいと思うのか? まだそんなことも分からないのか?」
そうだ。好きな人の命を犠牲にしてまで生きたいと思う馬鹿がどこにいる。
「この子を救います。信じてくれるか信じてくれないかは分からないけど」
この手の力は、誰かを助けるためにある。この子を救うことは、かざなりこうすけやこの医者、そしてたぶん、七恵だって……。
「溺れる者は藁をも掴むってね」
医者は自分の無力を悔いながら、それでも方法を探している。
「期待はずれなことはしませんよ」
正直、どの程度の作用を引き起こすのかは不明だ。助からない命を助けることはできるのだろうか。
兄貴ならどうする――
【ほらまたオレを頼る】
声のした方に振り返ると、苦笑しつつのそのそと歩いてくる一匹の黒猫――兄貴がいた。
「あ、あに」
驚いた僕は名前を呼びそうになる。
【黙ってた方がいいぞ。今のオレは気配を最大に消してる。誰も気づかねえよ】
ってそうじゃない。やっぱり僕の考えていることが分かるのか……?
【知るか】
はあ、と一つため息を吐いた。知りたくもない事実を知ったことにうんざりする。
【……これは無理だな。大きすぎる。この子の命を救うには、かざなりこうすけ一人じゃもちろん、この医者を入れた二人だって無理だ】
雪菜ちゃんの手に触れる。不健康なその白い手に。この子はどのくらいこの場所で生きてきたんだろう。どれほどの想いを抱き、そして隠しながら生きてきたんだろう。
「俺は……見届けたい」
本心だった。この不器用な二人の恋を見届けたい。
――三人ならどうだ。
兄貴に問いかける。兄貴は眉を動かしながら告げる。
【ギリギリかな。三人で均等分配すれば、あるいは。と言ったところだねえ】
そこで兄貴は何かに気づいた。
【お前、三人ってもしかして】
「捧げてください。右手、それから、左足……あと、かざなり。お前の覚悟だ」
僕がそう言うと、二人は顔を見合わせた。
「ボク、医者なんでさすがに手は犠牲にできないんだよね」
「…………したら俺が手ですね」
【お前、これじゃあ全然足りねえぞ。お前一人で背負う気か?】
馬鹿言え。誰がそんなことをするか。でもな、兄貴、この力は、不幸をどうこうじゃないんだよ。なんとなくだけど、今分かった。
「かざなり。覚悟の意味、分かるか?」
「俺は……もう嘘を吐かない。せっつのために……違うな。他の誰でもない俺自身のために。誠実でいることを誓う」
【覚悟なんてそんなもんは関係――】
関係あるんだよ。兄貴。
この力は、誰かのために願ったり誓ったりした覚悟の分だけ、その誰かを幸せにするんじゃないか? 不幸を別の種類の不幸に、というよりは、覚悟という対価を払うことによって不幸を取り除くんじゃないのか?
きっとそうだ。そうなんだ。理屈じゃないところで理解できる。そういうモノだ。
「覚悟はともかく、足と手はどうなるか分からないけど、それでも?」
最後の確認をする。
「課したルールを破っちゃうんだろうけど、自分で決めたからしょうがないね」
「俺は、せっつと生きたい」
二人は思い思いの言葉を述べた。
僕はもう再度雪菜ちゃんの手に触れた。二人の想いと、僕の願いを託す。
医者の左足。
かざなりの右手と誓い。
そして、僕が差し出す対価は――
この身体……命と言った方がいいだろうか。不老不死なのだ。死ぬわけではないと思う。
僕ができない、普通の恋をしてくれ。そういう権利が君にはあるんだよ。もう抑えこまなくたっていいんだ。抱え込んでいだその想いは、きっとかざなりこうすけに伝わる。この不器用な男の想いだって、君に伝わるはずだ。決意したその気持ちは嘘じゃない。それなら必ず君に伝わるはずだ。
「だから、起きて――っ!」
そのとき、僕の右手が輝いた気が……いや、確かに光っている。もうなんでもござれだ。驚きつつも雪菜ちゃんに触れている右手に力を、願いを、祈りを、覚悟を、込める。
生きたいと必死に足掻いている雪菜ちゃんの想いが僕に入り込んでくる。生きたいという、夢にも似た願いを絶やさないように、僕は冷えている雪菜ちゃんの身体に熱を与える。
「な、なんだこれ」
この光景に息を呑むかざなりこうすけ。
「……奇跡は偶然じゃない、か」
一人、落ち着き払っている医者は、小さく呟いた。そのセリフはこの二人にぴったりだなあ。
「なんですか、それ?」
かざなりこうすけが不思議そうな顔で医者に尋ねた。
「いや、ボクの信条っていうか。なんだろうね。好きな言葉かな」
奇跡は偶然じゃない。頭に、身体に、心に、刻み込むように復唱するかざなりこうすけ。
「二人にぴったりじゃないの」
その言葉に苦笑することしかできないかざなりこうすけ。
まあでも、僕が起こすのは奇跡なんて大層なモンじゃない。もっともっと現実に即した力だ。だから彼らに犠牲を強いる。この力は僕一人ではなんの意味も為さないモノだと思う。が、それと同時に教えてくれたのは、人の絆だ。
誰かが誰かを想うということは、こんなにも尊いモノなのだ。
医者もかざなりこうすけも、霧霜雪菜という一人の女の子のためにここまで賭けられる。もちろん僕だってそうだ。
……僕は、雪菜ちゃんに夢を押しつけている部分があるけど、願っているのは本当だ。
淡い光を放っていた手から輝きが消えていく。
たぶん、成功したんだ。
――雪菜ちゃんが目を開けた。
☆☆☆☆☆
わたしはいつからこうちゃんのことが好きだったんだろう。
わたしは子供の頃にピアノを習っていた。その日は、小さな演奏会――要は発表会みたいなものなんだけど、それが行われようとしていた。こうちゃんに見てほしくて、それまで一生懸命に練習をしていたんだけど、何故か本番直前になって、わたしは課題曲を弾けなくなってしまった。演奏会まであと一時間もないというのに、わたしは同じところで間違えてしまう。
最後の練習をしているわたしを、後ろからこうちゃんが見ている。それで余計に緊張してしまったのか、ますます弾けなくなっている。指が震えて、硬くなっているのが自分でも分かった。
「こうちゃん、あたし、あたし、弾けないよお」
声をあげて泣いて、ぽろぽろと涙を流すわたし。
「え、え? どうしたの? せっつ?」
たぶんこうちゃんの前でこんな風に泣いたのは、後にも先にもこれきりだった。だからなのか、こうちゃんは凄くテンパっていた。けっこうレアなこうちゃんだ。なーんて、今ならそう思うんだろうけど、何しろそのときは余裕なんて無かったのだ。だからわたしは更にこうちゃんを困らせる。
「ひ、弾けないのお! どうしよう、こうちゃん……」
そんなこと言ってもどうしようもないのに。それも分かってるけど、止まらない。
好きな人に見せたくて頑張ってて、その好きな人に助言を求めるという……おかしな光景なんだろうけど、そんなことさえこのときの私には考える余裕がなかったのだ。
こうちゃんはわたしが落ち着くのを待って、泣き止んでからこう提案した。
「だ、大丈夫、もう一回弾いてみよう? 俺、見てるから」
「う、うん」
わたしは頷いて、最初から弾き始めた。でもやっぱり、指が動かない。先ほどと同じ場所で止まってしまう。しかも状況は悪化している。極度の緊張のせいなのか、指はどんどん震えてきていた。
「や、やっぱり――」
今でもどうしてこんなに泣いたのかはっきりとは分からないけど、わたしは泣きじゃくっていた。声にならない声を出しながら、涙を流して、目を真っ赤に腫らす。そんな様子を見られているのが恥ずかしくて、しかもピアノは弾けないし。こうちゃんに見せられないし。発表会で恥をかくだろうし。
そんな様々な思いが交ざって、心の制御ができなくなって、その結果として涙を流してしまった。普通なら、そんなわたしを見て困るだろうに、あろうことかこうちゃんは笑みを浮かべていた。腹が立って腹が立って腹が立って、わたしはキレた。
「なんで笑ってるのお! こうちゃんのバカバカ!」
――でも、そんなところはこうちゃんの長所なのかもしれないと、今なら思う。だって、こうちゃんの笑った顔は、いつだってわたしを救ってくれるから。
……なんだっけ。そうそう。本気で怒っているのを感じたのか、こうちゃんは慌ててわたしに謝ったんだった。
「ごめん! ごめんって!」
相変わらず泣いていたけど、怒りの感情だけが頭を支配していた。なんでわたしが泣いてるのにこうちゃんは笑うんだ。こうちゃんが泣いてたら、わたしだって泣いてあげるのに。とか、恥ずかしいことを考えて……こうちゃんに直接言っていたと思う。ああ、恥ずかしすぎるよ子供のわたし。
そして、そんなわたしにこうちゃんは再度提案をする。
「もう一回弾いてみよう? 今度は俺、せっつが安心するように頭撫でてるから」
頭を撫でることになんの意味があるのか。安心することなんてできそうになかった。だって好きな人に触られたら緊張すると思ってたから。
……やー、普通はするでしょ? 少なくともそのときのわたしは、こうちゃんが見てるだけでピアノが弾けなくなったのだ。
でも、わたしはどうすればいいか分からなかったから、こうちゃんの提案を受け入れる。
どうにかにしなければ、本当にやばかったのだ。こうちゃんの言うわけの分からない方法でもいいから縋りたかったんだ。
結局、それが上手くいった。
こうちゃんは、わたしがピアノを弾いている間、ずうっと、頭を撫でてくれていた。優しくて、気持ちがよくて、こそばゆくて、温かくて。髪の毛の中にこうちゃんの指がするりと入ってきて、一瞬だけわたしはドキッとしてしまったけど、その指さえ心を落ち着けてくれた。後ろに立っているこうちゃんは、たぶん、少し笑いながら、頑張れって念じてくれているんだろうと思った。
そしてわたしは、ちゃんと課題曲を弾き終えた。安心して、しばらくこうちゃんの手や指の感触を味わっていた。離れたくなかったのだ。
――ああ、好きだなあ。
って、このとき初めて、本気で、本当に、そう思った。
こうちゃん、ありがとう。こうちゃんのおかげで弾くことが出来たよ。もう大丈夫だよ。
心の中で言い続けるが、わたしの頭を撫でることに夢中になっていて、そこから離れないこうちゃんの手に業を煮やしたわたしはこうちゃんを呼んだ。
「こうちゃん?」
「…………こうちゃん!?」
「ん?」
今気づいたのかあ。ピアノ聴いてたのかな。
「できたよ! っていうか恥ずかしいからやめて!」
わたしがそう言っているのに、こうちゃんはまだわたしの髪の毛を弄っている。
恥ずかしいよ。こうちゃん。
「あ、ごめん」
謝ってくるこうちゃん。ごめん、なんて言ってほしくないよ。
目を擦ってわたしは言った。
「もう大丈夫だよ」
その言葉を聞いたこうちゃんは、少し寂しそうな顔をして、そっか、と言った。
そしてなんと――わたしの頭をもう一度撫でた。
恥ずかしさで爆発しそうだった。
「だからやめてって!」
「じゃあ、俺そろそろ出るから。頑張れ!」
親指を立ててながらわたしを励ましてくれるこうちゃん。
好きだよ。こうちゃん。
そうやって言いたいけど、でも……。
パタパタと手を動かし、パクパクと口を動かし、感謝とか好意とか、そういう気持ちを声に出そうと、わたしは藻掻いていた。
「な、何?」
不思議な生き物を見る目でわたしを見つめるこうちゃん。普通なら引いてしまって部屋から出てしまうだろうに、挙動不審のわたしを見ても引かない辺りがこうちゃんだ。
「あのね、あの、こうちゃん」
ホントは色々言いたいんだけど、やっぱりわたしは素直じゃないんだと思う。緊張してしまうし、もともとお喋りではないから、上手なことは言えないし、出てこない。それでも心にあるこの気持ちを、ちゃんと伝えたいと――ううん、伝えなくてはいけないと思ったんだ。
ありがとう――
月並みな、有り触れている言葉。でも、この言葉は、こうちゃんのすべてに対するありがとうだ。側にいてくれて、頭を撫でてくれて、安心させてくれて、好きになれて……。
それ以外の言葉が、幼いわたしには思いつかなかったのだ。それに今でも、その言葉以上にわたしの気持ちをはっきりと伝えられる言葉は思いつかない。『ありがとう』なんて言葉はとても使い古されたモノだけど、だからこそ、わたし達はよく使うのだろう。
心にすうっと入ってくるのだ。
こうちゃんが部屋から出で、わたしは独りぼっちになる。この夢には続きがあって、そのまま続いてほしいと願うのに、無情にもぷつぷつとノイズ音を立て始める夢。
束の間の安穏な時間だった。いるかいないか分からない、仮にいたとしても、ただそこで見てるだけの神様。そんな神様がわたしにこんな想い出を見せてくれたのだ。それだけでもありがたいと思わなければ。
……無理だ。そんな風に思うことなんて、わたしにはできない。そんな気まぐれな優しさは、辛いだけだ。生まれたときから死ぬ運命に位置づけられているわたしを解放してくれればいいのに。どうして中途半端に優しくするのだろう。わたしは、生きたいだけなのに。
そのときだった。
冷えていく身体と心に、悲しみを含んだような朱色の熱が入り込んできたのだ。
「だから、起きて――っ!」
わたしが知らない誰かの声。でも、わたしのことを想ってくれている声だ。だって、こんなにも温かい熱を持っている人。声だって、必死だ。
そういえば、ここはどこなんだろう。見渡したって、わたしの周りには何もない。まるで色の無い棺のようだ。透明でさえない、色の無い色。わたしは空っぽの中に閉じ込められている。
でも、起きなくてはいけない。起きなくちゃならない。誰かが呼んでいるんだ。もちろんこうちゃんだって呼んでいるのだろう。
こうちゃんと一緒に生きていたいから、わたしはまだ死ねない。
わたしがいる、空っぽの場所に色が灯されていく。わたしの身体を駆け巡って、みんなからもらった想いがパンパンに膨れ上がって、遂に身体から染み出した。優しさと悲しみが半分ずつ、均等に混じり合った朱色が、溢れ出したそれが棺を染め上げる。
そう、まるで太陽みたいに。
カン。と音がして、棺が割れた。
そして、わたしは太陽に手を伸ばす――
「――雪菜?」
こうちゃんがいた。ぼやけた視界の中で、それでもこうちゃんを見つけることができた。
声を出そうとして、力を喉に込めるけど、音が出ない。
のろのろと上へ伸ばしていたわたしの手は、こうちゃんの手によって掴まれた。
「雪菜……」
わたしの名前を何度も呼びながら静かに泣くこうちゃん。涙は頬を伝ってわたしの手に落ち続ける。
ねえ、泣かなくてもいいんだよ。
その涙を拭って、『わたしは大丈夫だよ』って言いたいよ。
こうちゃんが泣くなら、わたしも泣いちゃうよ? そんなの、いやでしょ?
だから、だからさ。こうちゃんは――
「わらって」
力なくわたしは微笑む。これが、今のわたしの限界だけど。ねえ、こうちゃん。笑って?
「なんで泣いてるんだろうな。嬉しいんだから、笑うべきなんだよな。ごめん」
そう言ってこうちゃんは笑った。まだ泣いているけど、こうちゃんはわたしのために笑ってくれた。
ありがとう――
蚊の泣くような声でわたしは囁いた。こうちゃんはわたしを抱きしめて、また泣いた。
涙はわたしの顔に落ちる。泣いちゃ駄目なんだよ?
次に起きたら、思いっきりからかってやろう。こうちゃん、こんなに泣いたんだよ? そして、たくさん感謝しよう。わたしのためにこんなに泣いてくれてありがとうって。最後に、伝えよう。素直じゃないわたしが、言えるだけの言葉で、好きって。
その好きは、こうちゃんが流してくれた涙に見合うだけの量になるのかは分からない。
だけど、わたしは決めたんだ。こうちゃんの側にいたい。わたしの側には、いつでもこうちゃんの姿があってほしい。
こうちゃんが、こんなにもわたしを想ってくれたのだ。
次は、わたしがこうちゃんを想う番だ。その想いを、伝えるんだ。
こうちゃんの温もりに包まれながら、わたしは一滴だけ涙を流した。
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