2  本当は、ホントは、誰よりも。



 家に帰ろうとして、デパートから駅前へと出た。真っ暗――とは言ってもまだ九時か十時だろう。時計を見なくても、感覚で分かる。もう少し時間を潰せば、友達の両親は寝る頃になるだろう。癖のようになっているため息をついて、あてもなく辺りをウロウロと歩き回っていた。歩き疲れてきたなあ、と思ったところで背後から声を掛けられた。

「ねえ、ちょっと君」

 背中がぞくりとした。恐る恐る振り返ってみると、そこに警官が立っていた。

 ああヤバイ。補導される。親に連絡される。わたしは怒られる。

 そのくらいは容易に想像がつく。胃がきゅうきゅうと痛みだした。

「はい?」

 なるべく、なるべく大人びた対応をしようと心掛けるけど、実際は十四歳なのだ。すぐにばれてわたしはパトカーに連れて行かれる。

「君、未成年だよね?」

 もうすぐ審判が下る。家に連絡がいく。

「ち、違います」

 ああ駄目だ。動揺が顔にも声にも出ている。

「嘘だよね?」

 どんな感情の揺れをも逃さないというように、相手はじっとわたしの目を見つめている。

 正直に、うんと言ってしまおう。

 あたしに嘘は吐けないのだ。だって今感じている痛みは、先ほどの痛みとは違うモノだ。自分の中にかすかに存在している――良心とか道徳とか、人として大切なモノ。それに反するのはいけない。わたしにはできない。

 はい――

 喉の奥から空気が、言葉が出る寸前だった。

「アイじゃん! どこに行ってたんだよ!」

 突如として背後から聞こえてきた声に驚く。ああ、もうなんだって言うんだ。ノロノロと振り返ったわたしの目に映ったのは、高校生くらいの男の子だった。

「彼は、誰だい?」

 警官が怪訝そうな顔でわたしに訊ねた。

 やっぱり駄目だ。上手な言葉が出てこない。機転が全く利かない自分に呆れる。そもそも、うん、と言おうとした手前だったのに。どうしてこう、わたしの気を削ぐようなことをするんだろう。せっかく覚悟を決めたのに。どこの誰だか知らないけどさ。

「俺はこいつのお兄ちゃんですよー」

 彼はヘラヘラと笑いながら警官に会釈をした。

「ホント、すみませんね。ほら、アイも謝れって」

「迷惑は掛けられてないからいいんだけど、でもその子、さっき未成年じゃないって」

「そりゃ捕まりたくないですからね。テンパっちゃったんだと思いますよ。な?」

 わたしに同意を求める高校生。

「は、はい。そうなんです。今日初めてこの街に来て、それなのに……お兄ちゃんとはぐれてて……」我ながらこんな言葉がよく出たと思う。

 そのあとを引き継いだ男の子は、急に真面目な顔になってこう言った。

「俺たち、葬式やったばっかだったんです」

 は?

「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいたんですけど、二人とも同時に亡くなってしまって……二人が育ったこの街で葬式をやるって言うもんだから、こっちに来たんですよ。でも、知らない街に来るのに疲れて、葬式の最中に二人のこと思い出して……最初は信じられなかったんですよ。だって、あのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんですよ!? 数日前に電話したときにはピンピンしてたのに、それがどうして……昨日亡くなって……色々思い出しちゃって、葬式の最中に泣いちゃいました。俺だってそうなんですから、俺より幼いアイなんて、もっと感情がごちゃごちゃしているなはずなんです。だから、色々察してやってください」

 深刻な顔で優に数分は話していた。

 身振り手振りを交え、悲しそうな顔で俯いたり、幼い妹(……たぶんわたしのこと)を庇おうと、情報を必死に伝えていた。

 この話しは、ぜーんぶ嘘だけど。

 なんでこの人はこんなことをしているんだろう。

「わ、分かったよ。お気の毒だったね。いいお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだったんだね。分かったよ」

 うんうん、と目元を赤くしながら頷く警官に男の子は別れを告げた。

「迷惑掛けた上に、色々と話を聞いてくださって……本当に、ありがとうございました」

 丁寧にお辞儀をする男の子に従って、わたしもお辞儀をする。

「さあ、行くぞアイ」

 腕を組もうとしてくる男の子。

「放せばか」

「な、命の恩人になんてことを……!」

「何が目的なの?」

「別に。目的なんて無いよ」

 歩きながら会話をする。

「あのさ、言いたくなかったら、言わなくてもいいんだけど……」

 何が訊きたいんだろう。

「君、困ってないか? いや、困っているだろ?」

「そうだね。とりあえず食べ物とお金と住む場所がないくらいには困ってるよ」

 男の子は目を数回パチパチさせて、わたしにこう言った。

「ウチに来るか?」

 疲れてきた。久々にアイス食べて昔のことを思い出して、警官には危うく補導させられるところだったし、極めつけに、変な男の子が現れた。そして今、こうして会話をしている。

「ウチってどこ? 店かなんかなの?」

「おー、よく分かったね。お店だよ」

 はあ。とわたしはため息を吐いた。

「あたしまだ十五歳だよ? 雇っちゃ駄目でしょ」

 ぽかーんとしている彼を尻目に言葉を続けた。

「それに、あの、そーゆーことしたことないし」

 クラスの連中は、何人か卒業しているらしいけど、生憎わたしは誰とも付き合ったこと無いし、それこそお店で働いたこともないのだ。

「そーゆーこと? ……え?」

 話している間に駅から遠ざっていった。輝いていたはずのネオンの光が見当たらなくなり、わたしたちは暗い狭い道を進んでいる。

 付いていくのは危ないとか、そんなことは承知の上だ。それでも付いていく理由。言うなれば恩義だろうか。それに、連れ込まれようとなんだろうと、どうでもいいのだ。警察に捕まらなかったのがもう僥倖。だから、ヤルならヤレばいい。

「入りなよ」

 入りなと言われたので、『カフェ・サエキ』と書いてある扉を開けようと「カフェ!?」

 わたしは上擦った声を出した。

「カフェだよ。言ったでしょ? 『お店』って」

「なんで否定しなかったの……」

 どっと疲れが押し寄せてきた。

「なーんか勘違いしてるし、説明するのめんどくさかったからねえ。まあいいじゃないか。そーゆー店じゃなかったんだから」

 屈託のない笑みでそう言われると、わたしは何も言えなかった。代わりに訊ねてみる。

「ホントに、泊めてくれるの?」

 暗に、お前なんもしないだろうな、と言っているのだけど、おそらく彼はその意味に気づかないだろう。

「いいって。他ならぬ可愛い妹、アイの頼みだもん」

 だからアイって誰。いやそもそもわたしはお前の妹じゃない。

「アイって安直な名前だよね」

「何が言いたいのかな」

「発想力が貧困。っていうか皆無」

「泊まりたくないの?」

「別に、友達の家に行けばいいし」

 ふうん。口元を軽く歪めて笑う彼。

「その生活、いつまで続けられるかな?」

 その生活って、お前が何を知っているんだ。

「まあ、入ろうか」

 彼が扉を開けると、扉に付けられていた鈴が鳴った。

「っと、佐伯さん帰ってきてないんだ」

「サエキって……店の名前の人?」

「そうだよ。このカフェの主人。メシは美味いし綺麗好きだし猫が大好きだしすげえいい人なんだけど凶悪犯顔負けの面構え」

「何その最後」

「っと、それはどうでもいいとして」

 そう言うと、彼はすたすたと奥に引っ込んでいった。

「なんか飲む!?」

 暑くてシャツはベトベトだし、冷たい飲み物が欲しいかなあ。

「冷たいのならなんでもいい!」

 彼に聞こえるように大きな声を出す。

「了解!」

 そして出されたアイスコーヒーに対応しかねるわたし。確かに冷たい。確かに冷たいのだけど。

「苦いよっ」

 一口飲んだわたしは思わずそう呟いていた。だって、わたしは苦いのが駄目だのだ。嫌いではないけど、苦手だ。グレープフルーツとかあんなのを食べれる人は人間ではないと思う。舌に感じるあの苦み。ああ……。思い出しただけでブルブルと身体が震えた。いつだったっけな。小学校のときかな。給食に出されたグレープフルーツを食べて、わたしは吐いてしまった。それで、苦手なのが苦いモノって分かったんだった。

「やーっぱ、アイはお子様だなあ」

 コーヒーを飲んだわたしの様子を見て、わっはっはと笑う彼。

 カフェの店内は狭いながらもお洒落だった。椅子やテーブルは綺麗に磨かれており、凶悪犯面と言われていたサエキさんの綺麗好きが分かった。わたしは一番端っこの椅子に座っていて、そんなわたしと向かい合うように、目の前の椅子には彼が座っていた。

「だから、アイじゃないっての!」

 わたしは語気を荒げて、彼の足の甲を踏んだ。軽くだけど。

「いってえ!」

 何すんだよ! と言って足をさする彼。

「瑞原真優」わたしは早口でボソッと呟いた。

「ん?」

 案の定、聞き取れないという風に彼は聞き返してくる。

「み、ず、は、ら、ま、ゆ、う!」

「君の名前?」

 それ以外に何があるっていうんだ。

「いつまでもアイアイアイアイ」って言うなっ! と言おうとしたのにわたしの声は聞こえなくなっていた。言葉を被せられたのだ。悪意だ。これは完全に悪意だ。

「おさーるさんだよー」

 もう一度、今度は手加減なしで足の甲を踏み付けた。

「足が取れるっ!」

 取れはしないだろう。折れるかもしれないけど。

「で、そろそろだけど――」

 わたしは相手を見つめながら言う。

「さっき、言ったよね。その生活がうんちゃらって」

 小首を傾げる彼。うわあ白々しい。

「そんなこと言ったっけ?」

「言った。どういう意味なの?」

 はあ。とため息を吐いて彼は指摘してきた。

「まずね。あんまり家帰ってないでしょ?」

「ハズレ。家には帰ってます」

「じゃあ質問を変えよう。毎日お風呂に入ってる?」

「……毎日は、入ってない。臭い?」

 さすがに気にする。自分の臭いには気付かないというらしいし、隣を歩いていた彼には分かったのだろうか。

「安心して、そうじゃないから。あのね、髪が少し汚れてるんだよ」

「そっちも問題だあ……やだあ……」

 がっくりと項垂れるわたしに追い打ちをかける。

「大丈夫。すれ違い様に『うわっ、ちょ、この子髪がっ』って思うくらいさ」

 そっか。と言って顔をテーブルにぺたりと押しつけた。恥ずかしい。

「それより、あんな遅い……まあ最近の子にとっては遅くもないか? いや遅いだろ?」

 これじゃあ話が進まないよ。

「なんだっけ? 『食欲と物欲と性欲がないくらいには困ってる』だっけ」

 呆れてモノも言えない。

「突っ込むのもめんどくさい」

「普通そんなこと言わないだろ」

 彼の目が細くなった。

「なんかあるんだろ? 話してみなよ」

「話して、どうなるの?」

 今わたしが言った通りだけど、話してどうなるというのか。赤の他人に、両親の仲が悪いなんてことを話して、一体どうなるんだ。

 ちっぽけな正義感で動く人は、大概自分に酔っている。矛盾したことを言うと、聡いのに頭が悪いのだ。その手の人物は学校にもいた。


「どうしたの? 言ってみればいいじゃない」

 そんな風に部活の友達が言っていた。だからわたしは言ってみる。抱えてきたモノを全てぶちまけるように。

 親の仲が――

 わたしの居場所が――

 家に帰れない――

 わたしは言った。

 自分の置かれている状況を説明しようと、言葉を探して必死に言った。分かりやすくはなかっただろうが、それでも相手に伝わったはずだ。そう思ってこちらの話を終えた。すると友達はわたしを同情するような目つきで見て、こう言ったのだ。

「警察とか……」

 わたしは愕然とした。そんなことは、誰だって、わたしだって考えた。でもそうじゃない。わたしはそんな風に誰かに頼って、自分は蚊帳の外で、問題を解決したくないんだ。親のことは子供が解決したい。そこにこだわるわたしは馬鹿なのかもしれない。ううん、馬鹿なのだろう。でも、それでも、わたしは逃げたくなかったんだ。


 そう、わたしは逃げたくないだけなんだ。

 ――何から?

 親から産まれた、子供としての責任。

「それって、他人を信じてないだけじゃない?」

「何それ」

「『話してどうなる?』なんてさ、答えられる問題じゃないよね。第一、真優ちゃんの話しを聞いてもいないのに分かるはずない。そしてその口ぶり。昔誰かに話して駄目だったパターンだろ。だから他人を信じられない。他人に自分を胸の内を打ち明けられない。そんなの、ただ逃げているだけじゃないか? 俺はまだ君の悩みを聞いていないけど、本当はそれに向かって立ち向かいたいんじゃないか? 真っ直ぐ、ちゃんと、自分で、さ」

 違うかい? そう訊ねてくる彼の目は、真剣だった。

「わ、わたしは……」

 言葉が返せなかった。

 逃げたくないと思っていた。一人で頑張ろうと思っていた。でも無理だった。諦めた。そして斜に構えて誰も信じてなくて……。本当は、ホントは、誰よりも。

「……たす、けてよ」

 ぽろぽろと出てくる涙。それを止める術を、わたしは知らない。今は、知りたくもなかった。流せなかった涙が次々にテーブルに落ちていく。でもわたしはそれに構わなかった。誰かに涙を見られることも。自分の涙でモノを汚していることも。

 泣いているけど、心地よい。今は、このときだけは、泣いていたかった。彼はわたしの隣に座って、子供をあやすように、わたしの背中をずっと撫でていてくれた。久しぶりに、声をあげて泣いたせいだろうか。どんどんと瞼が閉じていく。頭も回っていないのに、わたしは彼に色々と話しかける。助けてよ。君は他の人と違うんでしょう? お母さんとお父さん、元に戻してよ。家族といたい。一緒にいたいんだよ。わたしにだって居場所があるよね。逃げたくない。わたしと一緒に、立ち向かってよ。


 信じても、いいんだよね?


 彼は微笑みながら頷いたような、そんな気がした。



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