第42話 あるもの

 『それでは、お昼の休憩時間に入ります。次の種目は13時45分開始です。選手

の皆様、運営の皆様は13時15分までに特設ゲート前のテントにお集まりくださ

い』


 会場アナウンスを合図に、無数の人が散らばる。


 「よお、土屋の弟!」


 暑苦しく肩を組んでくるのは、体育委員長の山野剛太郎(やまの ごうたろう)。身長180センチを優に超える背丈と、太く堅牢な身体つき。しゃくれたアゴがチャームポイントだと顔合わせの時に紹介していた。ラグビー部に所属しており、3年生の中では一番腕力が強いとも噂されている。


 「手際のいい仕事をしやがる。もしかして配布したマニュアルを全部インプットし

てんのか?」


 冗談交じりの問いに、絡みついた巨躯から逃れながら、「はい」と淡々と答える。


 すると彼はぎゃはは、と人目をはばからずに高笑いして、俺の背中をバシバシと叩

いた。


 「お前面白いな! 清川の言う通りじゃねえか! そのうち大宮の明鏡なんちゃら

みたいに称号が付くだろうな! よし! 今ここで考えてやろう! 精密機械の土

屋、仕事マシーン土屋、仕事の鬼・土屋。どれにしようか!」


 独りでに興奮して盛り上がる山野先輩。


 「あんまりしつこく絡むと嫌われるよ。彼はそういう人間じゃないだろう」


 懐かしい声に振り向くと、1学期の雨の日、校内清掃を主催した美化委員長・清川

正の姿が目に映った。


 「久しぶりだね、土屋新太くん。君の成績を勝手に吹聴してしまったのは謝るよ」


 先輩は2つ下の後輩にも律儀に頭を下げた。すると、さっと頭を上げて目を輝かせ

る。


 「ところで土屋新太君。生徒会の任期はいつまでだい?」


 急で、それも想定外の質問にたじろいだ。俺と峰の名誉回復を条件とした、大宮先

輩の勧誘の内容を考えると、任期は今年の文化祭までだ。


 「任期が終わったら、ぜひとも美化委員にきたまえ!」


 「え」


 熱いまなざしを俺に向けたまま、まっすぐに手を差し伸べる。


 「君の人並外れた記憶力があれば、美化委員はさらに成長するだろう! あらゆる

全てが整然・整頓された綺麗な学校を作り上げようではないか!」


 「おいおい! 何言ってんだ! このがり勉!」


 山野先輩が割り込んだ。


 「土屋は俺たち体育委員にこそ必要だろ! 見るからにいい男だ。俺は人を見る目

には自信があるんだよ! 土屋! 任期が終わればお前の彼女と一緒に体育委員に来

い! お前の魂の強さで学校を鼓舞しろ!」


 「峰は彼女じゃないですよ…」


 「君たちのような野獣どもの世界には彼は合わないよ。僕らの清廉潔白な世界に相

応しいのさ。あんまり勝手なことは言わないよーに。ガールフレンドの峰さんも同

様」


 「だから、違うって…」


 「んだとコラ! このもやし! 今すぐこの場で根性入れたろか! おおん!?」


 全く異なる性質の二人が睨み合う。


 「ちょ、ちょっと。落ち着いてください」


 さすがに動揺した。俺のせいで不確定が起ころうとしている。2人を止めなけれ

ば。


 一触即発の緊張感。


 「だめですよ」


助け船はすぐに来た。


 「もう、何してんのよ。とりあえず、距離を取りなさい」


 保険委員長の泉帆波(いずみ ほなみ)が148センチの低身長で、2人をたしなめた。時の丘高校の天使ちゃんと1年生の耳にも届くほど学内でも人気のある3年生。文化祭でも司会を任されるなど、明るく調和的な性格で、人徳からか、独特の雰囲気からか、彼女の放つ言葉は強い説得力がある。


 「土屋君を無理やり引っ張るのはやめなさい。ていうかそもそも、来いって言って

も、私たちは3年生でしょうが。文化祭が終わって生徒会選と委員選が始まったら私

たちは引退するんだから、誘ってもあなたたちとは一緒にいられないわよ。あなたた

ちが引退した後も、この子はどこにも属さないのは彼の表情から察するに明白だわ」


 もっともな言い分で二人を黙らせた。彼女は安堵し、ため息を吐いた。


 「まったく、2人も高原くんも1年生に過干渉してからに。うちのお馬鹿さんたち

がごめんね、土屋君」


 こちらを見上げる天使。小学生と詐称されても見抜けないほどに幼い顔つき。天使

と呼ばれる所以が分かるほどに柔らかくて、心を清らかにされる気分だった。


 「あーーー!!」


 柔和な雰囲気への愉悦をブツ切りにする大声が耳に突き刺さった。


 「次は誰だよ!」と心臓をバクバクとさせながら首を横に向けると、顔を真っ赤に

する峰一縷が、口を開けてガタガタと震えていた。


 「も、ももも」


 言葉を探しながら声を漏らす峰一縷。


 「もしかして! 土屋君の彼女ですか!?」


 会話する俺たちの外からも充分に届く声量で、これまた不確定を呼び込むことを口

にした。


 「お前な…」


 声が大きいぞと注意する直前、泉先輩が俺の言葉を遮った。


 「あなたが峰一縷ちゃんね。質問に答えるね。…うーん、そうだね。私は、土屋君

の彼女だよー、てへへ」


 両手でパーを作り、頬を横に並べ、舌の先を出した。


 「はあっ!? 何言ってんの!?」


いくらなんでも悪ふざけが過ぎる。そういえば、時の丘高校の天使は時折、悪魔に化

けるという噂もあったっけか。


ゆっくりと、峰の顔に視線を戻すと、「ああ、そうなんですね、へえ~」と目に蓄え

た涙をボロボロと落としていた。「やば」と先輩がさすがに種明かしをする。


「ごめん峰ちゃん! 冗談だから! ちょっとからかいたかったんだよ! 安心し

て、ねっ、ねっ?」


 小さな体をわなわなと動かして被害者を落ち着かせる小さな悪魔。


 「嘘つかないでくださいよ」


 涙を流して安心したように地面に膝をつく峰一縷。俺もとりあえず一安心…、とは

いかなかった。


 未だに俺の心は落ち着かなかった。峰の反応は、俺の望みそのものだった。


 両肩に、それぞれ違う手が乗った。右に体育委員長。左に美化委員長。


「ぎゃはは、男を見せねえとな、一年」


 「もうこれは疑いようもないな。あとは君の勇気次第で真っ白な白星を勝ち得るだ

ろう」


 「な、何の話ですか」


 分からないふりをして、心を落ち着かせる。鼻水をすすり、涙を流しながら深呼吸

する峰一縷。


 たったの2文字も言えなかったせいで、俺はこいつをまた傷つけてしまう。


 この瞬間、『あるもの』の記憶を失った。


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