忘れられない記憶

第17話 7月末

 「新太君、君の番になってからもう2分は経つよ。僕らは試されているのか?」


 右手に持っていた2枚のカードを左手に持ち換えながら、困惑する大門先輩。


 「土屋君、2分の1だよ、フィフティフィフティってやつだよ!」


 外野から呑気にヤジを飛ばす峰一縷。


 「新太っちは相当思慮深いよね~。陽菜乃ちゃんそっくり」


 嫌な人物との共通点を見出してくる生徒会2年・ナンバー3の座にいる、企画部長

の柳希和。


 俺たち4人は、旅の途中だった。


 いや、4人じゃないか。


 「間宮さんも混ざろうよ!」


 「え、僕? 僕は、…仕事で来たから…」


 「今は関係ないよ! 間宮さんの事、私たちも知っておかないと。お嫁さんとお婿

さんになるかもしれないんだよ!」


 峰がまた訳の分からない理屈を述べて、輔を巻き込もうとする。「そうだそうだ! 

ひっ、陽菜乃さんの喜ぶツボを是非ともご教授願いたい! 監視役殿! 喜ぶツボっ

ていっても、物理的なものではないぞ! そんな淫乱な邪念は少ししかもっていな

い!」と脈ナシの義兄候補が悪乗りする。


 バカ2人に絡まれている輔は、助けを乞うように俺を見る。はあ、と浅くため息を

吐き、「別にいいんじゃね」と答えた。


 「お前、俺の世話ばっかで毎日疲れてんだろ。たまには息抜きぐらいしろよ。スト

レスで仕事出来なくなった、じゃ話にならねえからな」


 「新太…」


 感涙するような表情で「ありがとう」と謝意を述べる美少年。開いた窓から吹く潮

風に、耳まで伸びた髪がなびく。


 「土屋君ってホワイト当主なんだね!」


 またこいつは訳の分からないことを。


 「ところでさ~、いちるん」とニヤニヤと下らないことを考えてそうな童顔で、柳

先輩が峰に言った。


 「いちるんはさっき、お嫁さんとお婿さんになるかもしれないって言ったじゃ

ん?」


 「はい、そうですけど」


 峰も何を言われるのか分かっていなくて少し困惑している。


 「お婿さんは分かるよ? 大門ちゃんが陽菜乃ちゃんのことを好きだし、意味とし

てはよく分かる。でも、お嫁さんは?」


 「え…、ああっ!」


 言いたいことに気付き、峰は顔を逸らす。下手くそな口笛をふーふーと鳴らし、知

らん顔する。


 「お嫁さんは~? あれ、いちるん、動揺してるよ~?」


 「そそそ、そんなんじゃないですよ! 言葉の綾です! 言い間違いです! 土屋

君のことは友達としか思ってません! そ、そう、私はてっきり、希和さんが土屋君

のことを好きだって思っただけです~!」


 峰の反論に、ヘラヘラと笑っていた柳先輩の表情は、見たこともない真顔になっ

た。


 「それは絶対ないよ。年下興味ないし」


 なんか傷つく言葉と言い方で、あっさりと否定しやがった。


俺が無駄に傷ついたところで、お目当ての旅館が見えた。


およそ3時間前、何か大切なことを思い出して、そして忘れた。






 ~その数日前~


 「すいません。大門先輩いますか?」


 「ああ? 大門に用事? おーい、大門!」


 2年生の教室がある廊下で、ただ一人、1年生として乗り込むのは、なかなか勇気

がいる。心臓が忙しく脈打つ。それも、よりにもよって、野球部員と思しき坊主頭の

活発そうな男子に話しかけてしまった。なんか気まずい。


 最近では『陽キャ』と称される明るい男子は、クラスの人間たちの視線を難なく受

け止めながら、大海原を見渡すように人波の中から目的の人物を探してくれる。俺も

それに倣う。


 目が合った。俺が先に、大門先輩を見つけてしまった。


 思いつめているような、何か言いたげな顔で、手に持っていた数学のノートを机に

置き、立ち上がった。


ほぼ初対面なのに、特徴的な顔と第一印象で、旧知のように感じる先輩は、ほぼ初対

面なの後輩に偉そうな態度を取られてどんな気持ちだっただろうか。なんでもないで

す、とこのまま急いで逃げてしまおうか。ずんずんと、不確定要素が迫りくる。怒り

か、呆れか、いずれにせよ、怖い。分からなくて、怖い。


 「大門、この1年の子が、お前に用が」


「すまなかった!!!」


坊主の先輩の言葉を切り裂くように、大門先輩は上体を直角に曲げ、俺に謝った。大

声の謝罪に、ざわざわとしていた喧騒は、オーケストラのようにピタリと綺麗に止ま

った。人懐っこそうな坊主の先輩もあからさまに驚いている。


「君の本質を見極めることなく、ひっ、陽菜乃さんに似ているからと、いい加減な推

測で君のことを判断したのを詫びる」


「え、いや、その…」


先手を打って謝られた。教室が再び騒めき始める。


 「俺の方こそ、すいませんでした。気持ち悪いとか、いろいろ言ってしまって…」


 あっ、と慌てて付け加える。


 「ジャガイモみたいな顔とか言ってすいません」


 「気にすることはない。昔から顔はゴツイ方だからな。まあ、相手に恐怖とか威圧

を与えるうえでは役に立つ才能だ! はは!」


 笑い飛ばす先輩は無理をしているわけではなく、昔からの事実を面白がるような顔

だった。


 「ひっ、陽菜乃さんに振り向いてもらえないと言われたのは結構響いたがな」


 と思えば、ずん、と肩を落とし、彼は悲観し始めた。


 「それは本当にすいません」


 「いやいや、そうじゃないんだ」


 すっ、と目線を元に戻し、優しく笑った。峰みたいに感情の忙しい人だなと思いながらも、それを発言するのは場違いなので黙って聞いた。


 「でも僕は、自分を信じている」


 清々しいほどに、様になっていた。


 「自分を信じているからこそ、自分が好きな女性を信じる。その弟のことも信じ

る」


 真っすぐな目だった。


 「裏切られたらどうするんですか?」


性根の腐った俺は、愚問を投げかけた。


「自分が信じていた人、…土屋陽菜乃が、大門先輩にとって最低な人間だったら、期

待外れだったら、落胆しないですか? 信じてきた時間と労力が無駄になって、絶望

しないんですか?」


和解したばかりの人にすべき質問ではない。不確定を生み出す問いだと分かっていた

が、聞かずにはいられなかった。


 「その時はその時だ」


 即答した。そして続けた。


 「裏切られたら、自分がどれだけ傷つくかが気になるな。立ち上がれないくらい、

学校に行けなくなったり、ご飯が喉を通らないような辛い思いならば、それだけ僕は

陽菜乃さんのことを好きだったんだなって、思うだけさ」


 チャイムが鳴った。近くで鳴っているその音は、遥か遠くの場所から聞こえてくる

ようだった。


 「死に物狂いで手に入れたい幸せがある。それだけで僕は満足かもしれないな。ま

あ、偽りでもまやかしでも、彼女を信じていないと行動できないのかもな、僕という

人間は」


 照れくさそうに頭を掻き、「ではまたな! 未来の弟くん!」と言い放ち、先輩は

教室に戻った。


 と思いきや、踵を返して戻って来た。


 「そういえば、峰くんに誘われたんだが。彼女がやってるサークル? の合宿とか

なんとか。新太君にも伝えておいて、と頼まれたんだが」


 「え?」


 相変わらずあいつは急だな。やれやれ、と思いながら「いつですか? 来月くら

い?」と尋ねる。


 「なんか、明日から時の丘駅に朝の5時集合だって言ってたぞ」


 相変わらずあいつは急だな!






  ~そして、今に至る~


 「わあ…、わあ…! みんな、海だよ!」


 やはりというべきか、真っ先にはしゃぐ峰一縷。高揚に笑う横顔。


 「海だ…!」


 そしてやはりというべきか、峰に同調する大門耕平。


 バスが旅館に到着する。


 誰がどう見ても高級で大きな旅館。壁も床も新築のように艶があり、受付の近くに

は高そうな陶器が飾られている。部屋は畳のいい匂いがして、ベランダには露天風呂

がある。


 …しかし現実は、理想とは程遠く、俺たちが一夜を過ごす旅館は、床も壁も、年季

の入ったと言えば聞こえはいいが、少しぼろっちい普通の旅館。部屋風呂なんてな

い。でも、文句は言えない。普段から泊ってきた旅館やホテルは超一流のところばか

りで、どうしてもギャップを感じてしまうが、内面ではワクワクしている。こういう

庶民的なところに泊まるのは初めてだからだ。


 「じゃ、昼まで自由行動ってことで!」


 学校非公認団体、ミステリーハンターサークルの部長、峰一縷は部長らしくパン

っ、と手を叩き、一時解散を告げた。


 男子部屋の鍵ももらったので、俺は部屋でくつろぐことにした。見知らぬ土地で外

をうろついていると何が起こるか分からないので、俺は身体を休めることにした。持

ってきた文庫本をゆっくり読む。旅先での楽しみはいつもこれだ。


 「てことで私は海辺までお散歩するもんね!」


 峰一縷は、荷物を持って自分の部屋に走り出す。


 「共に行くぞ! 同志よ!」


 大門先輩も飛び出すように男子部屋へ急ぐ。


 「新太君も行くだろう?」


 「いや、俺は部屋で読書するんで大丈夫です」


 がし、と腕を強く掴まれる。


 「…なんすか?」


 「行こう。楽しいぞ」


 「嫌って言ったら」


 「君の晩御飯で一番おいしそうなおかずを横から奪い取る」


 眼光は、こちらをじっと見たまま視線を離さない。


 「じゃあ、行きます」


 本当にやりそうだったので、根負けし、部屋に戻った。荷物を置いた途端、「待っ

ているぞ、弟よ」と、大門先輩は子供のように駆けだした。


 「お前は休んでいいからな」


 俺について来ようと準備する輔に釘をさす。こんなところまで来て俺の監視をする

必要はない。


 「僕の意思だから気にしないで。僕だって外に出たいよ。せっかくの旅行なんだか

ら、新太みたいに引きこもってたらもったいない」


 「その揶揄は余計だな。じゃ、外で待ってるからな」


 「うん、すぐ行く」


 そう言って、ドアを閉めた。「輔も来るから待ってて」と陽気な3人に言うと、彼

らは喜んでいた。


 「たっすーが来るとは、意外だねぇ」


 早速ヘンテコなあだ名をつける柳先輩。


 「間宮さんと仲良くなりたかったな。い、いや! 外堀から固めて確実に結婚しよ

うとか、そういう意味じゃないからね! そこまで頭回んないから、私!」


 訳の分からない弁解を挟む峰一縷。


 「僕はぜひとも友好関係を築きたいぞ! ひっ、陽菜乃さんの関係者と仲良くなれ

る千載一遇のチャンス! 結ばれるのは俺だ!」


 「ぶれないねぇ、こーへーちゃんは」


 柳先輩が愉快そうに笑う。


 「まあ、希和もあの子のこと知っておきたいからねぇ」


 「やっぱり希和さんも新太君目当てじゃん!」


 「『も』って峰ちゃん、どういう意味かなぁ~? うぅ~ん?」


 「い、いや、新太君は顔がちょっとだけよくて坊ちゃんだから、寄ってくる女はい

っぱいいるんじゃないかって」


 「あんまりうれしくねえ」


 「まあ、安心してよ、いちるん。私、マジで年下興味ないから」


 「またそれかよ」


 「ごめんごめん、でも新太っちのことは後輩として好きだよ。機械みたいに仕事早

いし」


 「それ褒めてます?」


 「褒めてる褒めてるぅ。べた褒めだよん」


 全然褒められてる気はしないが。


 冗談ばかり言う先輩に呆れながら目を逸らすと、入り口から輔がやってきた。普段

は、年中ずっと長袖に長ズボンを着用する輔だが、完全に羽目を外してくれたのか、

半袖に短パンを履いている。すねや腕に毛が生えていないことから、プロの意識のよ

うなものがうかがえる。土屋家の人間のために些細な身なりも徹底するのが間宮だと

多恵子さんに叩きこまれているらしい。確かに、あの婆さんも小ぎれいだ。


 「お待たせ、新太。みんなも、お待たせしました」


 目を閉じて、ゆっくりと頭を下げる。端麗な容姿と、男子の中では、耳までかかり

そうな長さの黒髪。右目の泣きぼくろもまた、様になっていた。


 「うっそ、たっすー、めちゃイケメンやん。年下嫌いっていったの取り消すね。新

太っちがタイプじゃないってことで」


 なんでまた俺にストレスをばらまくかな。


 「じゃあ、みんなで浜辺まで散歩しましょうか!」


 先頭を歩く峰一縷の掛け声で、7月末の田舎道を歩き始めた。



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