第14話 真っ青

 翌朝。


 峰とすれ違う。「あ」という声だけ聞こえた気がする。都合のいい空耳かもしれな

い。


 委員には戻らない。姉からあんなことを言われたばかりだが、人を信じるなんてそ

んなに簡単なことじゃない。それも出会ったばかりの人間なんて、信じるとか信じな

いとかの関係になれすらしない。信頼関係とか険悪ムードとかは付き合いの長い人間

同士で生じるものだ。あいつだって、弟の俺と同じで不確定が嫌いなくせに、不確定

に依存するような助言を無責任に言ってくる。それがまた苛つく。


 生徒会にも戻らない。生徒会員として美化委員の仕事を任されたのに、一人の女子

を襲った容疑をかけられた俺を、先輩たちは許してくれないだろう。


 大門先輩にはいつか謝らないとな。あの人は、ひたむき、真っすぐ、がむしゃら

で、どうしても視野が狭くなるのだろう。でもそれは、俺には足りない部分だ。ひた

むきで真っすぐ、おまけにがむしゃら。裏を返せば、行動力があって、努力家で、純

粋であるがゆえに人から信頼を集めやすいということだ。俺なんかが偉そうに非難し

ていい人ではなかった。


 峰もそうだ。あいつは奇妙な行動や言動をとることがあるけど、思いやりがあっ

て、決して意地の悪い態度を取らない。姉貴は俺に言った。あいつが俺のことを信頼

していると。俺はどうだろう。あいつのことを信じているだろうか。不確定に怯えて

ばかりで、あいつの言葉や行動を否定していないと言い切れるだろうか。


 チャイムが鳴る。


 1限は小テストか。


 トイレに行き、用を足す。少しだけ窓を見て立ち止まる。教室に戻る。そして小テ

ストを終えて授業を受ける。教師の教えを淡々と聞く作業をあと5つほど繰り返し

て、今日の大半が終わる。行事とかもあるけど、大体はそれをあと900回ほど繰り

返して高校生活が終わる。受験勉強もあるから3年生の後半は授業をしないのか。で

も同じ。勉強をすることに変わりはない。大学でも、そうやって淡々と勉強をこな

す。バイトはしなくてもあの大きな家にはお金がある。卒業した後は5年ほど政界で

社会経験をして、土屋家の当主として正式にあの家に居座る。余生は政治家や経営者

の戦略や謀略に協力し、土屋家を維持する。


 淡々としている。だからこそ、いい。出来る限りの不確定を避け、フラットに生き

るのが俺だ。


 …それでいい。それでいいのに。


 4月の日差しに照らされたガラスのような双眸。桜吹雪のように揺らめく髪。


 峰一縷が、俺の記憶に居続ける。あいつが俺のためにしたことを考えると、居ても

たってもいられなくなる。


 「行かなきゃ」


 夕陽を背に向けて、歩き出した帰路。


 踵を返す。夕陽を見据える。そして、歩く。


 もう授業は終わった。ホームルームも掃除も終わった。チャイムもなった。他の生

徒たちも散り散りになった。


 しかし、俺は校舎に戻って来た。


 戻らないといけない。


 これは義務だ。義務に突き動かされるように戻って来た


 「おい、峰」


 「土屋君…」


 しんと静まり返った教室。


大門先輩も他の委員も見当たらない、2人きりの空き教室。窓から撫でる初夏の風。

ゆらゆらと波打つカーテン。


峰の顔は、真っ青だった。自分のしたことを深く反省していることがよく分かる顔だ

った。


一方の俺は…。


「お前…」


「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんな

さい!!! お許しください!! 何でもします! 何でもしますからぁぁ!!」


俺は怒っていた。峰がいくら悲鳴を上げて謝罪をしようが、この怒りは鎮まらなかっ

た。


「俺がなにに対して怒っているか、分かってるから先回りして謝ってる。ってこと

は、犯人はやっぱりお前か」


5月の薫風を弾き返すくらいの大きなため息を吐き、カバンから赤い『0』が記され

た用紙を突きつける。


「どこに埋めたんだよ、ノートと教科書」


高校生活で初めての0点。中学までは兵藤が俺に0点を取らせていたが、今回はより

にもよって峰一縷。『埋没忘却』の力を峰に利用されたのは結構ショックだった。


「お前のせいで再試になっちまったじゃねえか。早く掘り返してこい。だいたい、な

んだってこんなことするんだよ? 大門先輩にはちゃんと謝って来るから、2度と俺

の異能を使って報復なんて真似はやめろよな。お前の大嫌いな兵藤と同レベルだぞ」


「ごめん、これには訳があって…」


「本当なの?」


声が、割り込んできた。


「その0点、本当に土屋君が取ったの?」


和田果子が、ベランダから姿を現した。






 「過去分詞形? なんだそれ? Haveの後になんで動詞みたいなのついてんだ? 

なんでだ?」


 「ほらね! 中三の教科書も埋めたから、完了形も忘れてる! この私よりもバカ

になってるよ!」


 不正を働いたくせにキャッキャと跳びはねて勝ち誇る峰一縷。愉快に揺れるその天

然パーマをすべて引きちぎってやりたい。


 「うそ…、信じられない…」


 言葉とは正反対の態度を取る和田さん。


 「そんなの、あるわけないじゃん…あるわけ…」


 徐々に顔を崩すと、その顔を手で覆い、足を崩して座り込んだ。


 「だって、そんな事、一言も言ってくれなかったじゃん」


 こちらを向かずとも強い視線のようなものを感じ取れた。


 「言えなかったんだと思う」


この期に及んでも何も言えない俺の代わりに、峰は言った。


「私はまだ…、出会ったばかりで、2人の関係と比べるとかなり浅いものなんだけ

ど、これだけは言える。土屋君は、和田さんとはずっと友達でいたかった、…んだと

思う」


「峰」


 決意が固まった。「うん」と俺の顔を見て口を紡ぐ峰。


 「怖かったんだ。他人にはない異能があることを信じてくれなくて、痛い奴だと思

われて、避けられるのが怖かった。『さくらちゃん』のことをどうしても思い出せな

くて、『埋没忘却』なんて力を信じてくれないからって。彼女のことを覚えているふ

りをするのも、和田さんの気持ちを裏切りみたいになるのが嫌で、正直に覚えてない

って打ち明けて。他の誰でもない俺のせいだから。俺さえちゃんと覚えていれば、忘

れないような工夫をすれば、たとえ忘れても気の利く対応ができていれば、君を傷つ

けることもなかったかも…」


 「違うよ!!」


 目を真っ赤にして、大粒の涙を垂らして、こちらを見上げた。


 「私のせいだよ。私が、小さい女だったから。頭が悪かったから。アラちゃんのこ

と、傷つけちゃんたんだよ」


 だんだん小さくなる声に伴い、背中を丸くして徐々に視線は下に向いて行った。


 「私が…、私が…」



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