第13話 言いたいことは

 「今日は災難だったね」


 風呂上がりに厨房から取り出した冷たいミルクコーヒーを飲んでいると、監視役の

間宮輔が声を掛けてきた。


 「一部始終を見てたろ? 全部俺が悪かったよ。今日のことも過去のことも。俺は

不器用なやつだ」


 風呂上がりの落ち着いた状態で、同年代で長い付き合いの輔にはいろいろと吐露で

きる。


 「自覚あったんだ」


 俳優のように中性的な顔立ちでクスッと笑う相棒。


 「おい、否定しろよ」


 「慰めてほしいの?」


 「多恵子さんにチクるぞ」


 「分かった分かった。ジョークで和ませたかっただけだよ。ごめんね」


 あの婆さんの名前を使うと、すんなりと引っ込んでくれるので冗談が過ぎた時に用

いる。祖母と孫の関係ながら殺伐としている。


 「本題なんだけど」


 たわいのない会話が本題だと思っていたが、輔は俺に話しかけた意図を切り出し

た。


 「怒らないでね」


 親の叱責を警戒する幼子のように俺を見ると、窓に映る門扉に視線を移した。


 「なんだよ、早く言えよ。…って」


 すぐに直感した。


 その直感は当たっていた。


 俺の親父から荒っぽいところをそのまま抜き取ったような爽やかな男が、隣にいる

艶やかな黒髪の女に笑いかける。


 男の目と、窓に映った俺の目が合う。


 俺の親父―土屋太寿の弟である土屋悠寿は、笑って手を振った。


 姉はどんな顔をしていたか分からない。目を合わせていないから。






 「多恵子さん。今日はビールでお願いします」


 「はい。今日も診療お疲れさまでした。悠寿様」


 彼の柔和な一声で間宮多恵子は立ち上がり、小気味よく瓶ビールとコップを取り出

した。


 「多恵子さん。俺もビールな!」


 「はいはい。把握しておりますよ。太寿様」


 飲んだくれ親父の砕けた口調にも調子を崩さず、母親、あるいは常連客を器用に相

手にするベテラン店員のように、余裕をもって笑った。彼女は土屋太寿と土屋悠寿を

認めていることがよく分かる。俺たち姉弟を見る時と明らかに目の色が違う。


俺は自分で入れてきたお茶をすする。


 「なんだよ新太! 一縷ちゃん連れてきてねえのかよ」


 「ぶふっ!?」


 お茶を吹き出した。


 「いきなりなんだよクソ親父!? なんで峰の話になる!?」


 「お前ら、良い感じだったからよぉ。もしやフラれたのか? 悠寿みたいに不器用

なところがあるからなあ」


 「別に、そんなんじゃねえよ」


 「なになに? 新太の彼女? ああ、元カノ?」


 「悠寿君まで! そんなんじゃねえって」


 夕方の峰の顔を思い出す。あの涙ぐんだ剣幕が頭から離れない。


 「嘘だな。右手」


 慌てて自分の挙動を意識すると、やはり、首の後ろを右手で触っていた。俺が嘘を

吐くときの癖を、このズボラな親父にまで知られていたとは。


 「まあ、この場で詰めるなんて野暮なこたぁしねえよ。先代当主は気遣いも達者な

んでね」


 この間は客人の峰に失礼な問いばっかりしてたくせに。


 「兄さんは半年だけだっただろ? 当主やってたの」


 「っるっせえな。お医者さんなら人様の心の方もケアしろよな」


 「じゃあ、その過多な飲酒から止めてもらうよ? 昔から本当に飲みすぎだよ。心

配だ」


 「うっせ。お前に心配されるタマじゃねえよ、俺は」


 自由奔放に羽を伸ばす兄と、卒なく丁寧に諭す弟。


 「そうだよね。昔から兄さんは何かと器用に振舞ってたから、その辺は羨ましい

よ」


 「頭カッチカチのがり勉くんとは出来が違うんだよ。ま、勉強ができるのはちょっ

とだけ羨ましかったけど。で、どうなんだよ、最近の仕事は」


 「診察だけだったかな。処置とかオペはなかった」


 「ふうん」


 当たり障りのない兄弟の会話をぼんやりと見ていると、やはり意識してしまう。自

分たちはどうなんだと、彼らを比較対象にしてしまい、つい姉の方を見てしまう。


 目が合った。


 「新太」


 目が合うと、声を掛けられた。


 「な、なんだよ。生徒会長様」


 姉は艶やかな髪を摘まみ、はあ、とため息を吐く。あんたが俺にため息を吐く筋合

いはないだろ。


 「今は姉って肩書だけよ、当主様。その生徒会長様が勝手なことをしたから、聞い

てくれない?」


 立ち上がると、部屋を出てから30メートルほど歩いてから廊下に腰かける。月に

一度、庭師が手入れする綺麗な庭に月明りが差し込む。開いた窓から、涼しい5月の

夜風が香る。


 「じゃあ、あらためて」


 姉が口火を切った。


 「単刀直入に言うわね。私、清川君に直談判した」


 「…」


 人間は、本当に驚いたり恐怖を感じると大きな声が出ないんだなと実感した。「は

あ?」と数秒後にようやく声を絞り出せた。


 「和田果子って女の子、新太の幼馴染でしょ? 彼女が新太に襲われそうになった

から咄嗟にバケツの水をかけた。そして悲鳴を上げて委員長の清川君がやってきた。

事情を聞いた清川君はその場にいた新太に事の真偽を問うた。そして新太は認めた」


 「それで、あんたは余計なお節介をしてくれたわけだ。馬鹿馬鹿しい」


 こんなに憤りを感じるのに、相手の顔を直視できないのが悔しい。夜の庭園が皮肉

に美しく輝くことすら憎らしい。


 「…言いたいことあるなら、言えばいいじゃん」


 「今更あんたに伝えることなんてねえよ」


 「違う、私じゃなくて、和田さんに。あと、一縷ちゃんにも」


 「見てたのか?」


 「いや、聞いただけだよ」


 「ああ、輔か」


 あれだけ姉にいろいろ教えるなと日ごろから言っているのに。「新太と陽菜乃ちゃ

んはお互いにたった一人の姉弟だから」と譲らない。柔軟そうに見える美少年の中身

は、意外と頑固だ。


 そしてこの姉は、峰の話になるとどこか楽しそうで、なんか癪だ。


 「いくら腹が立ったからって、バケツの水をぶっかけるのは凄いわ。あの子は新太

の事、信頼してるのね」


 「はあ?」と今度は純粋な疑問から出た。「だって」と楽しそうな声音で説明した。


 「水をぶっかけても、新太とはまた仲直りできる。その気持ちが少しでもあるか

ら、実行に移せた。新太は器が大きいから、峰ちゃんもそこを信頼して、自分の素直

な気持ちをぶつけられるんじゃないのかな? まあ、あんな大量の水を他人にぶっか

けるのはどうかしてるけど」


 かかか、と学校では見せない笑い方で笑う姉。笑いすぎて失った酸素をすーっと取

り戻し、落ち着くまで30秒くらいかかった。


 「だからね、新太。私が言いたいのは」と切り出し、そっと肩に手を置いた。


 「あなたももう少し、人のことを信じてみればいいんじゃないの?」


 視界の隅で、姉が立ち上がった。


 「言えばいいのよ、言いたいことは」


 姉の顔を見た。月光に照らされる白い肌が優しく微笑み、黒い髪は夜風になびい

た。



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