第12話 何でもいいや

 「果子ちゃ…、和田さん」


 「話しかけないで。あなたと話すことなんて何一つないんだから」


 小柄の彼女は、ハッキリと言い放ち、降りた畳まれた新聞紙を片手に、他の委員た

ちとベランダの窓ふきを始めた。


 「新太君、ここは人手が足りてそうだな。僕たちは他を掃除するとしよう」


 退出する大門先輩。


 「ああ、そうですね。行こう、峰」


 「あっ、うん!」


 2人が今の空気を感じ取ってくれたことは、不幸中の幸いというべきか。とにか

く、俺たちは和田果子のいる教室を後にした。


 職員室の掃除をしていた。


 「バケツの水を換えてくるよ」


 「あ、大門先輩、私が行きますよ」


 「そうか、頼もうか」


 さっきの再会の件から、明らかに空気がおかしくなった。さっきはカメムシが一匹

現れただけではしゃぎ回っていたのに、今では大人しく掃除に集中している。無味乾

燥とした空気となった。


 俺のせいだ。俺が過去にあんな過ちを犯してしまったばかりに、ここでそのツケが

回っている。他人に迷惑をかけてしまった。俺は、この2人とも友達になれない。俺

なんかが望んじゃいけなかったんだ。和田さんのあの顔を見て、自分がどれだけの悪

人かを再確認させられた。


 『本当に忘れちゃったの!? 私たち、すっごく仲良しだったのに。最低』


 あの時の、軽蔑と憎悪に満ちた顔を思い出すだけで、心臓が震える。目を背けたく

なる。


 さくらちゃん。


 俺たちの友達だと言っていた。どんな人物かも覚えていない。


 どうやって埋められたのだろうか。埋められたということは、殺人だろうか。いや

でも、そんな事件が数年前にあるのならすぐに思い出すはずだ。兵藤が証拠となる新

聞記事を捨てて、その事件のことは俺だけが覚えていない、という可能性…、ではな

い。俺は新聞とテレビの両方を目にするから、そんな大事な事件を新聞だけで伝えな

い。いくら兵藤でも家に忍び込んでテレビを埋めるなんてことはできないだろう。あ

いつがさくらちゃんを埋めて殺した、という馬鹿げた可能性も無いだろう。まったく

無いとは言い切れないが、あまりにもありえない可能性なので、無視しておく。兵藤

は、和田さんには危害を加えない。これは断定できる。


 じゃあ、どうして? さくらちゃんという人物は外国籍の人間で、親の都合で転校

してきた? 事故か病気かで亡くなって、火葬ではなくて埋葬をしたとか? 日本に

も遺体を火葬した後に遺骨を埋葬する自然葬という供養方法もある。…この可能性こ

そ説得力がある。


 でも、だとしたら、俺は彼女のことを思い出すことはないだろう。彼女の家に行っ

て遺骨を掘り起こしてください、なんて言えるわけがない。それ以前に、和田さんに

埋められて記憶を失ったから彼女を掘り起こすために彼女の住所を教えてくれ、なん

て言っても「バカにしてるの?」と叱咤されるのがオチだ。


 「土屋君」


 峰がバケツを持って応接室を出て行くと、大門先輩が口を開いた。


 「君のせいじゃない」


 声の内容を遅れて理解し、驚いた。


 どうしてこの人は、そんな勝手なことが言えるのだろうか。


 「事情は分からないけど、君のことは分かる。君はきっと、良い人間だ」


 「なんでそんなことが分かるんですか?」


 我慢できなかった。


 この人は、俺のことだって何も分かっていない。


 「だって先輩、俺と出会ってから1日も、半日すら経ってないですよね? そんな

人が、他人を良い奴だとか悪い奴だとか、判別できるわけがないじゃないですか?」


 大きくなりそうな声を抑えて、俺は心のうちを伝えた。


 「いや、僕には分かるんだ」


 この後に続く言葉が大体わかった。


 「君は、ひっ、陽菜乃さんの弟だからな! 将来の兄がこの言葉を約束しよう」


 ほら、やっぱり。


 鼻で笑ってしまった。


 「気持ち悪いんだよ」


 「え」


 言わずにはいられなかった。


 「あなたはもっと、身の程を知った方がいいですよ。顔もジャガイモみたいにゴツ

くてキモいし、性格だって常識人とは程遠くて理解不能だし。そんな学校の底辺みた

いなやつが、俺の姉みたいな女から振り向いてもらえるわけがないんですよ」


 言ってしまうと、止まらなくなった。


 分かったようなことを言って、俺のことも、異能のことも大して知らないくせに、

偉そうに持論を突きつけて、何様なんだよ。


 「他人のことを偉そうに評価する前に、まずは自分が立派な人間になれるように努

力すべきじゃないんですか? だから生徒会にも選ばれないんですよ。あんたの努力

はただのポーズだよ。あの人頑張ってて偉いな~、って言われたいだけなんですよ。

承認欲求と実際の頑張りが釣り合ってないくせに、何者かになったつもりで偉ぶって

んじゃねえよ。何が将来の兄だ。土屋陽菜乃以前に、俺が認めないからな、あんたの

事なんて」


 直後、大量の水が、洪水のように俺の頭に降り注いだ。


 空っぽのバケツを手にし、峰一縷が立っていた。


 「謝って、今すぐ」


 身体は怒りに震え、顔は激怒に満ちていた。思わず目を逸らしてしまった。


 「うるせえ」


 お前だって、大して俺のことなんて分かんねえくせに。


 放課後の静かな廊下。オレンジ色の夕陽が窓に差し込む。


 「大丈夫?」


 階段から上がってきた和田果子が、ずぶ濡れの俺を見てクスクスと笑った。バツが

悪くて顔を逸らす。


 「話すことなんて無かったんじゃないのか?」


 「今できた」


 彼女は、意地悪く笑った。


 「さくらちゃんのことをあんな風に扱った罰を思いついたから、今のうちに実行し

ようと思ってね。ずぶ濡れのなかで悪いんだけど、きちんと罰を受けて」


 すると彼女は、持っていた椅子を、閉じた窓に向かって思い切り投げた。バリン、

と大きな音を立てて、窓が割れ、ガラスの破片が外と廊下に飛散した。


 「…は?」


 彼女の奇行に、放心状態から一気に意識を覚醒させられた。


 「委員長!! 清川委員長!!」


 目を丸くして惨状を目にしていると、彼女は大きな声で清川正を呼んだ。


 呼び声に応えるようにして現れた清川正は、目を大きく開けた。


 「助けてください! 私、土屋君に襲われそうになったんです。だから咄嗟に、水

をかけて抵抗したんですけど、椅子を振り回して脅されて、何とかここまで戻ってき

て…」


 大きな声を出す和田さんを見て、あらためて思い知る。彼女は本気で『さくらちゃん』のことを親友として想っていたことを。


 「…本当かい? 土屋君」


 さっきまでふざけ調子の話し方だった清川正は、真顔で俺に問い詰めた。


 ああ、めんどくせえな。


 他人というやつに改めてうんざりした。


 俺以外、全員消えてしまえばいいのに。みんな、何も知らないで、てめえの見解だ

けで勝手な言葉を掛けて、勝手に噂して、助けた気分になって、勝ち誇った気分にな

って。


 「はい、俺がやりました」


 もう、何でもいいや。


 「君、明日から来なくていいよ。生徒会にも今回の件は報告させてもらう」


 委員長は、ため息を吐いた。



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