第11話 さくらちゃん

 俺と和田果子は、親友だった。


 どうやってそうなったのかは分からないが、小学校3年生の時から5年生の時まで

は、同じクラスだった。


 放課後には必ず、公園に集まる。当時の監視役の多恵子さんが少し遠くで見ている

ことなんて気にならないくらい楽しかった。遠くに向かってゴムボールを投げ、一緒

に走り回って、はしゃぎ回る記憶が多かった。教室では本を読んでいて大人しそうな

彼女は、学校の外に出ると、何かに解放されたように楽しそうだった。


 『果子ちゃん。早く来なさい』


 夕方まで遊んでいると、公園に彼女の母親が来て、彼女を家に引き連れた。


 『離して! まださくらちゃんと遊び足りないの!』


 強引に手を引く強気な母に負けじと、強気に反論する彼女に俺は驚いた。気の強そ

うな親に、縮こまったり泣いたりするものかと思っていたが、相手の目を見て堂々と

反抗してみせる姿は意外で、新鮮だった。次の日には忘れたようにケロッとしてい

て、母親に怒られた一因でもある服の汚れなど気にせず、また服を土で汚した。


 そんな、家族には強気で内弁慶な彼女は、上級生の男子に対して物申したこともあ

る。公園で上級生たちが野球をしていた時だ。勢いよくバットに飛ばされたボールが

こちらまで飛んできた。俺たちではなく、土に激突した。俺の記憶の映像ではそうだ

った。何にも当たっていない。


 『謝ってください。さくらちゃんが足を痛めてます』


 しかし彼女は、噛みついた。怒りではなく怯えに震えながら、懸命に主張を突きつ


けた。


 『痛そうに見えねえよ! お前に分かんのかよ?』


 目つきの悪い、きっと教室の中でも立場の強そうな上級生は、幼児をあやすように

笑う。子供は残酷で、たったの2~3歳の差で体格はかなり違う。さすがにまずいん

じゃないか、と小声で助言する俺の声なんてまるで聞いていなかった。多分、さくら

ちゃんの声も聞こえなかっただろう。


 『分かるもん。さくらちゃんは親友だもん』


 そう言いながら果子ちゃんは、さくらちゃんが立っていただろう位置を見下ろす。

下級生で背が低いのだろうか、かなり下だった。


 『親友?』と首をかしげて数秒後、上級生たちはぎゃははと盛大に笑いだした。親

友、という言い回しが思春期真っただ中の彼らには気味悪く思えたのだろう。


 『親友だもん。親友なんだから』


 果子ちゃんは、泣き出しそうになった。


 『お、泣くぞ泣くぞ』


 『泣かないもん』


 言葉に反比例して頬を滑り落ちる大粒の涙。


 その時だって、俺は何もできなかった。


 『何の騒ぎだよ』


 別の声が少し遠くから聞こえて、現れたのは兵藤だった。


 『勝治じゃねえか』


 『あ、啓介(けいすけ)くん。3日ぶり』


 互いに知り合いだと気付き、やんちゃそうな人間同士で軽い挨拶を交わし、兵藤は

本題に迫った。


 『で、啓介くん。なんかあったん?』


 『ああ、この女子が。俺らがこいつにボールを当てたから謝れってうるせえんだ

よ。別に何の怪我も痛みも無いだろうに、しつこくてよ。おまけに親友だとか言い張

ってよ。しまいには泣いてんだぜ!』


 ぎゃははは、ともう一度笑い、『笑えるだろ?』と兵藤に共感を促す。


 同じタイプでなおかつ気心の知れた彼らは意気投合するだろう。果子ちゃんの方を

振り向き、上級生たちと同じような笑みを浮かべて笑う兵藤の顔を想像すると、ぞっ

とした。


 しかし、そうはならなかった。


 兵藤が、上級生に殴りかかった。


 『いってえな! なにしやがんだ!』


 『どこも面白いとこなんてねえんだよ! この間抜けが! 和田と、その和田の親

友にすぐに謝れ!』


 『んだと! こっちは漫画とかゲームとか貸してやってんのに!』


 『別に貸してくれなんて頼んでねえよ! そっちが俺に媚びるために持ち寄ってき

ただけだろうが!』


 それからは、掴み合う、殴る、蹴るの単純な喧嘩になった。心臓がバクバクする。

俺も参戦したい。したいのに、動けなかった。果子ちゃんを見てやらないと、などと

卑怯な正論を頭に浮かべて、何もしなかった。上級生たちもみんながみんな喧嘩に参

加していない。10人中3人だけが喧嘩に参加しているだけだ。平和主義が多数派じ

ゃないか。あらゆる言い訳が頭を駆け巡る。


 兵藤は強かった。顔を数発殴られても、腹を何度蹴られても怯まず、自分より背の

高い上級生3人を相手に、勝ってしまった。


 『んだよ! 年下のくせに! お前なんかもう友達じゃねえよ! 漫画もゲームも

返せよ! 泥棒! クズ!』


 そんな大人げない捨て台詞を、けいすけくんとやらが吐き捨てると、上級生の集団

は公園から消えていった。


 『あんたらよりマシだ。ああ、身体中いってえ…』


 『お、おい、兵藤』


 『ビビりは引っ込んでろ』と心配する俺を手で退かし、次は嬉しくて涙を流す果子

ちゃんの方へ歩く。


 『お前の方は大丈夫そうだな。その親友は、病院にでも連れて行けよ』


 『うん。ありがとう。兵頭くん。ありがと…』


 泣き崩れる彼女の頭に軽く手を置き、『俺も全身いてえからもう帰るわ』と言い、

兵藤は去っていった。





 それからは、平穏に日々が進んでいった。彼女のために何もできなかったビビりの

俺は彼女に見限られることなく友達を続けられた。


 「ねえねえアラちゃん、私、兵藤くんのことが好きになっちゃった。どうしよう」


 「ええ…、そうなんだ」


彼女が兵頭のことを好きになってしまったのが少し気に食わなかったが、野球ができ

ないくらいの小さな空き地で、俺たちは楽しく遊んだ。


 楽しい日々が続いた。






 そんなある日、さくらちゃんの話になり、俺は覚えてないと正直に言った。


 あの日の彼女が見せた表情の変化を、今でも覚えている。


 『なんでそんなこと言うの!? 冗談でも許せないよ!』


 公園で掴まれて、何度も頬を張られた。クラスの男子も、下級生たちも見ている中

で、何度も何度も、パチンと脳を揺さぶられた。左耳からキーンと音が鳴り続けた。


 『さくらちゃんは、私たちの大事な友達なのに、なんで忘れたなんて言うの?』


 覚えていないことだけを、しっかりと覚えている。


 『さくらちゃん』という人物を思い出せないせいで、俺は友達を絶望させ、友達の

関係を断ち切られ、赤の他人となった。『埋没忘却』を恨んだ。


 そしてこの日、思わぬ鉢合わせで、俺たちは同じ高校だったことを初めて知った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る