第10話 眼鏡をかけた女子

 植木鉢に花が咲いているのを見ると、安心の記憶が蘇る。小学校の頃、朝顔を植え

た時、自分たちは何をやっているのだろうか、思い出せなくなる。周りの会話から情

報を拾うも、朝顔の話はしてくれなくて、若い女の先生も明るい女子たちのグループ

と話しているから、聞きにくい。兵藤はすぐに馬鹿にしてくるから嫌だし。


 どうしたものかと半ば途方に暮れ、床を凝視していると、綺麗な花の写真が視界に

割り込んだ。


 「もしかして、心配してる? 大丈夫だよ、ちゃんと水をあげれば育つよ」


 か細く優しい声の主と目を合わせる。赤いフレームの眼鏡の奥の眼は、温厚で優し

い印象だった。


 「この花、なんて名前だっけ? 何の種を植えたんだっけ?」


 この人なら大丈夫だ。俺は安心しきった。心の拠り所を見つけた気がした。だから

気兼ねなく質問を投げかけられた。


 「朝顔だよ」


 満開した花のように、パッと笑顔を作った。


 あの子とは、友達だった。


 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!! カメムシ!! 無理無理無理無理無理!!!」


 綺麗な記憶の回想を汚らしい叫び声が切り裂いた。


 「大丈夫だ峰くん!! これを君の試練だと思い、乗り越えるんだ!」


 窓に張り付いた緑色の生き物1匹に何を大げさに繰り広げているんだこの馬鹿ども

は。


 「む、無理です!」


 「無理ではない! 己に打ち勝つことこそ美徳なり! そう、克己心だ!」


 このままでは作業が前に進まないので、俺は箒を手にし、カメムシを窓の外に追い

やった。その際、箒が獲物に直撃すると、羽を扇風機のそれのように素早く動かし、

峰を再び発狂させた。


 その後も、虫を見つけては縮こまる峰と、克服しろと根性論一点張りの大門先輩を

横目に、俺はそそくさと作業を終わらせていく。


 「新太君は要領がいいな」


 教室を3つ清掃した後、廊下を歩いていると大門先輩が口を開いた。


 「いや、別に普通ですよ」


 謙遜しておいた方がいいなと判断したが、逆に嫌味になるだろうか。選択してしま

ってから悩んでしまう。


 「土屋君が完璧すぎてつまんないよぉ」


 埃まみれの頭で峰が自分の不得意を嘆く。


 「つまんないってなんだよ。俺だって1人じゃ時間かかってるし、ここまで効率よ

くできてるのは2人が一緒にいてくれてるからだろ」


 「なんという素敵な言葉だ。生きてきた道が並の者たちとは違うのだろうか。さす

がだ! 弟よ!」


 「誰が弟だ」


 おかしな人間が2人いて、(自分で言ってしまうが)まともな人間が1人いる状

況。奇特が多数派になると、こうも非常識的な会話が生まれるんだな。


 しかし、不快ではなかった。普段の俺なら、不確定要素だと警戒しているところだ

が、不思議とそうはならなかった。


 むしろ、心地がいいとさえ思ってしまう。


 友達、になれるだろうか。


 不安だった。


 小学校の時の朝顔の少女や、夢に出てくる声だけのあの子みたいに、友達になりそ

こなうなんて、ないよな。暗い疑念が俺の内側に渦巻く。


 俺には友達が少ない。親友だと思っている光だって、俺のことなんかなんとも思っ

ていないだろう。勉強が出来てピアノも弾けて3か国語も話せる秀才のあいつは、数

多くの知人の1人くらいとしか思っていない。


 「俺たちは親友だもんな」なんて言ってしまったあの日。困ったように目を逸らし

て「そうだね」と淀んだ声で返事をされた。心に大穴を開けられた気分だった。で

も、俺には何かと親切にしてくれる。やっぱり、俺の異能を何かに利用しようとして

いるのだろうか。兵藤みたいな短絡的な悪戯ではなく、複雑な何かがあるのかもしれ

ない。


 怖い。


友達という関係すらも簡単に築けない自分が恥ずかしい。


 「もう我々は親友みたいなものだな」


 大門先輩が、堂々と言った。その声で、俺は我に返った。


 親友は言いすぎだ。簡単にそんなことを言って、ものの数日間で、こいつとは合わ

ないなって思ったら、自分の放った発言が恥ずかしくなるだけだ。相手から明確に違

うと態度に示されることが怖くないのか、この人は。


 「親友ですか? いいですね! 親友!」


 峰が嬉々とした表情で笑った。


 気楽なやつらだ。でも今は、それが心地いい。


 …。


 俺みたいなやつが、呑気に考えている資格なんてなかったんだ。


 次の教室へと入る。


 「「あ」」


 眼鏡をかけた女子と、声が揃った。


 目にした瞬間思い出す。


 ピンク色のランドセルを背負った大人しい女の子が、顔をぐちゃぐちゃにして泣き

わめきながら、こちらを睨みつけている記憶。


 「ああ、久しぶり」


 そう言い切る前に、彼女は俺から目を逸らした。


 当然だ。


 和田果子(わだ かこ)。


 俺が傷つけた人間たちの1人。



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