第4話 土屋家

 俺の『監視役』である間宮輔(まみや たすく)の話をする前に、俺の家についての説明から始めよう。俺の家、土屋家は、平安時代より現代に続く家系。『埋没忘却』の異能を秘めた

家系で、この異能を持って生まれたものは今までに俺を含め4名となる。


異能の『所持者』は、昔の時代に遡るほど国から重宝されていた。なぜなら、重要な

文書を埋めてしまえば内容を把握した『所持者』は完全に忘却するからだ。その力を

持って、例えば、2代目の『所持者』は幕府の密偵として敵方の情報を盗み取り、3

代目の『所持者』は、某藩主の情報を政府に漏洩し、国の安寧に貢献した。


『埋没忘却』は、潜入捜査において重宝される。知り得た重要な情報を依頼人に伝え

た後、埋めてしまえば完全に忘れてしまえる。得た情報を乱用されないということ

は、依頼人からの完全な信頼を得ることを意味する。


伝えた後に忘れる。これを条件に、土屋家は国から莫大な金銭援助を受け、異能を持

たない代においても救済者の血として今までの働きを感謝、あるいはこれからの『所

持者』への期待を込められ、土屋家の大きな屋敷は未だに存続している。


「うわあ、お屋敷だ!」


 きっと普通の家庭で生まれ育った庶民である峰一縷も、わっと声に出して驚いてし

まうほどの豪邸。源氏物語に出てくるような、1階建ての和装の屋敷に俺は住んでい

る。面積だけでいえば一般的な学校の体育館に匹敵する。


 そして、俺の隣にいるのが監視役であり使用人でもある間宮輔。女みたいな顔をし

たこの少年は、俺と同い年だが高校には通っていない。土屋家の配下としてこの家、

主に『所持者』の世話を生業として来た間宮家もまた、この大きな屋敷に住んでい

る。『所持者』に対しては外出先でも監視の義務があるため、中学校までの義務教育

を終えると本格的に俺への監視を職務とした。


 「新太、お客様を客間にご案内してもいいかな?」


 透き通る中性的な声で、返答を促す監視役。


 「ああ、俺の恩人だ。丁重に扱えよ」


 『所持者』である俺の言葉に、「了解」と答え、峰を客間へといざなった。



       △△△



 「当主様のお帰りだぁ! かっかっか」


 宴会場のように畳の広がるリビングに入ると、見ているだけでも酒臭そうな壮年が

俺の帰りを喜んだ。


 「また昼間っから飲んでんだろ。いい加減、外で働けよバカ親父」


 袖なしのランニングシャツに時代錯誤のダメージジーンズ。無精ひげをのびのびと

生やした無職の親父に、毎度のごとく檄を飛ばすも、まるで効きやしない。


 「お堅い事言うなよ、かわいい息子よ。正しさばっかりに囚われてっと足元すくわ

れっぞ。正しく生きるよりも楽しく生きる、だ」


 「それは正しく生きてきた人間に言ってほしいもんだ。悠寿(ゆうじゅ)くんみたいな」


 悠寿くんとは俺の叔父のことだ。少し固い部分があるが、堅実重視で俺の理想の人

間像だ。柔軟で自由過ぎる父親の土屋太寿(たいじゅ)の弟。


 「悠寿は関係ねだろ、バカ息子」


 今度はバカ息子か。


 「あいつあ、ちとお利口さんが過ぎんだよ。自由に羽を伸ばさなきゃなぁ、悠

寿!」


 「いねえよ。飲んだくれの錯乱ジジイじゃねえかこいつ」


 悠寿くんは実家を離れて暮らしている。基本的に土屋家の人間はこの家にいること

を義務付けられているが、金銭援助をすることを約束に実家を離れることが認められ

ている。開業医の彼は余裕でその条件を満たしている。


 うちの親父も、県庁の仕事を辞めていなければ、もっと高い地位で高い額の給料を

手にし、こんな家を離れることができたのに、本当にもったいない。


 すっかり蒸発してしまった父親の声と姿を襖で断ち切り、峰のもとへ向かう。


 輔はちゃんと約束を守れているだろうか。丁重に扱えとあいつには言ったものの、

あの人がなにをするか分からない。でも、後のことを考えるならば、峰のことを紹介

しておきたかった。だから俺は峰を家に通したし、輔も俺の目的を汲み取り、峰の招

待に賛成した。


 客間を開け、背中がハンガーのフックように折れ曲がった老婆を目にした瞬間、身

体を緊張感が満たした。


 「あら、お帰りなさいませ、坊ちゃん」


 年齢80はとうに超えた嗄れ声。間宮輔の祖母、間宮多恵子が深い皺を寄せて笑っ

ていた。



        △△△



 「多恵子さん、峰に何もしてないだろうな」


 「何を心配なさるのですか坊ちゃん? まだご挨拶をしたばかりですよ」


 柔和な声音の中に憎悪のようなものが含まれているが、多恵子さんの発言は本当ら

しい。「まだあったばかりだよ」と峰は朗らかな表情を作っていた。


 「この人は、土屋君の付き人、みたいな人ってことでいいんでしょ?」


 こちらの懸念も知らないで、大福を貪り食う峰は呑気に尋ねた。


 「ああ、そうだよ。正確には元付き人。小さいころまでは身の回りのお世話をして

くれた人だ。輔の祖母の多恵子さん」


 「へえ、間宮さんのおばあさんなんだ」


 それは初耳だったのか。余計な口を滑らせただろうかと多恵子さんを見るが、笑顔

のまま「そうですよ」とだけ答えた。


 「とにかく、晩御飯の支度が出来たみたいだから、峰を食卓へ通す。俺のために行

動してくれた大事なお客様だ。丁重に扱ってくれ」


 「ほお、大事な、お客様とは。どういったご関係か気になりますが、私のような老

害が余計な詮索をするものではありませんな。では、峰一縷様、あちらへ。…輔」


 「はい、多恵子さん」


 実の祖母に敬語で返事をし、儀礼的に峰一縷を食卓へと案内した。


 一つ気が利かなかった点は、峰の了解を得ぬままに俺の家へ引き入れ、晩御飯をあ

りがた迷惑で振舞っているということ。結果的に、家に帰りたそうな顔をしていなく

てよかった。不確定要素の回避に貢献してくれた峰への感謝を今のうちにしておきた

かった。そして何より…。


 「坊ちゃん」


 「なんですか?」


 この後何を言われるかを分かってはいたが、敢えて分からないふりをした。そんな

事をしても無駄なのに。


 「あの子も参加させるつもりですかな?」


 「…何か問題でも?」


 「いえ、参加するだけ無駄だとは思いますが、せいぜい足搔いてみるといい。この

間宮多恵子、先々代の当主様の意向に従い、あのような愚かで意地汚い娘を、土屋家

現当主様にして『所持者』である貴方様の嫁には必ずさせませぬぞ」


 普段は軽薄に笑う厄介ババアだが、土屋家の存続にかかわることになると人柄を挿

げ替えたように表情が変わる。そのギャップがまた不気味だ。


 「妨害も厭わないって言うのか」


 俺もまた、なりたくなかった当主としての立場を利用し、自分の何倍も生きてきた

老婆を睨んだ。


 「ふふ。察しが良いことで。『所持者』の脳は文明をも凌駕すると言われるだけあ

る。ただ、一方で精神は未発達の幼子。起こりもしていない不和に逃げ惑う臆病者。

それ故に太寿様にも悠寿様にもなれない小物。…あまり調子に乗らないことだな」


 「何が言いたい?」


「儂のような枯れたババアでも、餓鬼への報復は容易いということだ。例えば、あの

娘の心を完全に破壊し廃人にしてしまう、などね」


 「そんなことは、俺がさせない」


 「太寿様ならば、やってみろ、と言う場面ですが。やはりあなたは、その異能の器

たり得ない。起こってしまった結果を想像して怯える小物よ」


 己の健在を示すように背筋を伸ばし、俺と同じ身長の老婆は皺を寄せて邪悪な笑み

を作った。


 「今までの発言はババアの戯言で済まして下さい。親愛なる現当主様」


 最後まで嫌味を吐き捨てて、客間を後にした。


 取り残されたまま、一人で怯えていた。


 思い出すだけで、息が苦しくなる。


 ダメだ。


 抑えろ。


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