第3話 峰一縷は踏み込んだ

 聞く耳を持たずにグラウンドに突入した峰は、次は兵藤勝治を呼び出した。兵藤も、峰一縷と言う人間の異常さを理解していたのだろう。顧問と他の部員に断りを入れてから峰と一緒に場所を変える。俺は、付かず離れずの場所から様子をうかがっていた。


 「殴りに来たのか? あいにくだが、なんにも埋めてないぜ? てか、こんなとこ

ろまで押しかけてくるな。練習の邪魔だ」


 兵藤の眼の色から激怒を感じ取れる。どれだけ無神経なやつでも分かるくらい怒り

を露わにしている。それなのに、峰一縷と来たら。


 「大丈夫、あんまり時間は取らせないから。…まあ、それもアンタ次第だけど

ね!」


 勇敢なのか、単純に馬鹿なのか、峰は怯まない。そして本題を切り出した。


 「土屋新太君があなたに何かしたの?」


 「はあ?」


 「だって、何の理由もきっかけもなくちょっかい掛けるって、普通に考えておかし

いと思うんだ。普通なら、自分が何かをされたから復讐するとか、誰かにやらされて

るとか、…あ、兵藤君は後者じゃないか。周りのバカたちを従えてるチンピラのリー

ダー格だもんね」


 「お前に普通の感覚が分かるんだな」


 「今そこ関係ないから。質問に答えて」


 「お前も脱線してんだろうが、俺をチンピラだとか勝手に決めつけて」


 「だってそう見えるもん…、まあいいや。で、どうなの? 土屋君があなたに何か

したの?」


 兵藤の顔つきが変わった。さっきまでは相手を睨んで威圧したり、侮辱するように

嘲ていたが、次は全く異なる、本質的に違うと感じられる顔だった。


 真実が聞ける。きっかけの分からない不確定に終止符を打てる。考えなしに突っ込

んだ峰の行動から生まれた千載一遇の好機。


 そう思っていたのに。


 「言わねえ」


 あっさりと黙秘された。


 「土屋! いるんだろ!」


 続けて発した声が俺を呼んでいる。そう理解するのに数秒かかった。


 「ビビってねえで早く出てこいよ! 時間がねえんだ。出なかったらまた埋める

ぞ」


 「つ、土屋君は、きょ、今日は帰ってるから! 多分、コンセプトカフェのバイト

があるとかないとか、…と、とにかく帰ってるから!」


 下手くそな嘘と、怒りに震える沈黙に耐えかねた俺は、姿を現した。


 「あ、ええと、お疲れ」


 歯切れの悪い声が我ながらに情けない。


 「お疲れじゃねえよ。なんだこの女は。朝から迷惑なんだよ」


 「ごめん」


 ドクドクと鼓動が忙しい、爆発的に加速する心拍数が、反論の意思を削ぎ落した。

根本的に悪いのは俺じゃないのに、謝ってしまう。それだけの威圧感があった。


 「俺、何もしてないよな?」


 兵藤は声を大にして、さらに追い込む。


 「埋めたらそれを忘れる、なんて下らない、子供でもつかないような馬鹿げた嘘を

話して、何がしたいんだ? お前」


 「ごめん」


 悔しかった。謝ることしかできなかった自分を、許してしまう自分が一番憎かっ

た。


 「謝るくらいなら始めから関わってくるな。俺を妬ましいからって、こんな異常な

女を送り込んで、自分は手を下さないで姑息に笑って。そうだ、お前は姑息なんだ

よ、昔から。弱い人間だ」


 自分の罪を棚に上げて、俺を姑息だと嘲笑う兵藤。誰のせいで苦しんでると思って

いるのか。


 「ほら、どうした? 文句があるなら何か言ってみろよ。言わないってことは、文

句がないってことだろ? 悪いのはお前だって認めてるから反論しないんだろ?」


悔しい。言ってやりたい。


なのに、なぜ言えないのか。悔しさを表に出して逆らえないのか。


怖いからだ。


『埋没忘却』を利用されるからじゃない。単純に、暴力を振るわれるのが怖かった。


情けない、本当に情けない理由だった。どんなに憎んでも、恨んでも、怒りに震えて

も、自分より強いと見なした人間にはぶつけられない。


『埋没忘却』を知られて、次は何を埋められるか。それを最も恐れるふりをした。異

能であることの弊害に責任を転嫁して、弱い自分から逃げていた。


この瞬間、本当の弱さに向き合った。


で?


 向き合ってどうなるんだ?


 締まる首をさらに締め上げて、俺は何を考えている。


 誤魔化して、回避して、何が悪い。分かりきった緩やかな苦しみの中で生きて何が

悪い? 不確定で強大な危険から避けて何が悪い。






『分からないことより、分かってもらえないことの方が苦しいよ』






 茶髪の天然パーマが、大きく動いた。


 と、思ったら、真っ白で綺麗な手がグーの形をして、兵藤の顔面を弾き飛ばした。


 「ってえ…」


 想像だにもしない情景を目の前に、全身全霊がたじろいだ。兵藤が地べたに倒れ込

んでいた。ラフプレーを喰らった選手のように患部の頬に手を当てて呻く。


「てめえ、俺はまだ何も土屋にしてねえだろうが。姑息なやつの連れも姑息ってこと

かよ」


 「姑息? さっきからなにをとぼけたこと言ってんの!? このサッカーゴリ

ラ!」


 峰一縷が怒鳴った。


 「土屋君は優しいんだよ! あなたみたいに人を傷つけることばっか考えてる小物

じゃないの! 手を下すまでもないの! だから代わりに私が執行したんだよ! こ

の大罪人が!」


 峰一縷は、激怒していた。あまりの怒りで肩が震えている。


 「んだとてめえ…」


 口を切って血が出ている。傷口もそうだが、スポーツ万能で気の強い兵藤がこんな

に沈んでいるのを見たのは初めてだった。


 「な、ななn、なによ!? 一発は一発ってこと!? いいわよ、ほら、ぶん殴り

なさい! あんたみたいな鬼畜は女を殴るのも厭わないんでしょうねぇ!? 将来D

Vとかしそうだもん、この哀れな肉食獣め!」


 反撃を想定した峰一縷は、態度が一変し、じっと自分を目を向ける兵藤に対し、野

の上で哀れに震える草食動物のように怯え切っていた。


 「うぐっ、ひ、ひぃぃぃ」


 近づく兵藤。縮み上がる峰。


 「やめろ」と震えあがった声を必死で絞り出すだけで、何もできない姑息な俺。


 「痛いっ! …え?」


 「ほら、一発は一発だからな。もう俺に関わるなよ、ザコども。…俺も極力構って

やんねえから」


 一発をデコピンだけで済ませた兵藤勝治は、あっけなくグラウンドに戻っていっ

た。


 「げ、言質は取ってやったわ。収穫あり」


 恐怖がピークに達していたのか、張り詰めた緊張の糸を弛緩すると、峰一縷はその

まま地面へへたり込んだ。


 「ありがとな」


 その後の帰り道にしてようやく礼を言うことができた。迷惑な部分もあったけど、

結果的に、多少なりとも兵藤のやり方を本人に直接否定することができた。俺が自分

の力で超えなきゃいけない山場なのに、と思う気持ちもあるにはあったが、この日の

あの時点では自分一人の力ではどうにもできないことは分かりきっているので、その

辺の他意は頭の中から排除することにした。『埋没忘却』さえ発動しなければ一生覚

えているのだろうけど。


 「ううん。私は大したことなんてしてないよ。でも、そう言ってくれるなら、どう

いたしまして、だよね」


 気付いた。そして驚いた。峰一縷はこういう時は的確に空気を読み、ふざけないで

まともに受け答えが出来る子なんだな、と。噂では、真面目な会話もできない、雑談

にもならない雑な話ばかりをする異常な女、などと囁かれていたのに。結局は、俺も

その噂に流された一人でもあったわけか。周囲の評判から相手の人格と能力を分析す

る自分の癖で、彼女の本質を掴めなかったのは深く反省だ。


 女神のような優美な笑顔に釘付けになってしまったせいか、『監視役』の声になか

なか気付けなかった。


 「そろそろ帰るよ、新太」


 黒髪の美少年が、俺に帰りを促した。


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