殺害予告
貘餌さら
殺害予告
殺害予告状が、僕の机の上にあった。
『お前を殺してやる』
斜めに線が走った感情迸る筆跡で、確かにそう書いてある。
***
僕は高校二年生になって三ヶ月の須田直宏。
僕が通う高校は田舎にあるからか、クラスはたったの一つしかない。だからクラスメイトのほとんどは、去年と同じだ。ほとんど、と称したのは留年して学年が上がらなかったり、違う高校に編入して行ったりと多少の出入りがあるからだ。ちなみに小学校も中学校も、同じメンツが卒業アルバムに載っている。
よく、刺激のない閉鎖された環境で育つと大人になるのが遅いのではないかと言われることがある。例えば中高一貫校の方がいじめが多いとか。確かにそれは一理あると思う。変化のない日々に辟易して、自ら争いごとという刺激を求めてしまう気持ちが働くのだろう。
だが、僕が暮らしている地域性もあるのだろうか。小学校でも中学校でも、まったくいじめは存在しなかった。高校生ともなると休みの日には生活圏から出て遊んだりもするし、都会育ちの友達もできた。周囲の話を聞く限り、僕の暮らしている地域はおおらかな人が多く、互いに過干渉になることもない、非常に恵まれた環境ということが分かった。
だから、こんな大事件が起こってしまっては、クラス中、いや学校中が阿鼻叫喚になるのである。
「おはよう」
僕が登校して、いつも通りみんなに朝の挨拶をすると、不思議なことに返事がなかった。何かサプライズでも仕掛けているのだろうか、という僕の能天気な想像は、深刻な面持ちをした親友のトモによって打ち消されたのであった。
僕の家は、みんなの家より高校から少し遠い。朝はギリギリまで眠っていたい派の僕は、いつも朝礼直前に学校に到着する。つまりは、僕以外のクラスメイトが、僕より先に学校にいる。
クラスメイトの全員が、自席に向かう僕を心配気に見守る中、トモがいっそう暗い顔をして僕の机の前で僕を待ち構えていた。
「ナオ、お前これ……」
トモが指差した先を目線で追うと、そこにはショッキングな光景が広がっていた。僕がそれを見た途端に、教室内の空気は一気に張り詰めた。
『お前を殺してやる』
感情と勢いに任せた八文字が、ルーズリーフに殴り書いてある。僕はそれを見て真っ青になった。
「殺害予告状、っていうんだよな。こういうの」
「うん……」
呆然とする僕に恐る恐る声をかけたトモは、努めて冷静にいようと言葉を発する。僕はその言葉を改めて耳にすると、さらに体から血の気が引くのを感じた。
安寧の高校生活を突如ぶち壊した、イレギュラー。そんな事件にクラスメイトたちは困惑を見せている。
「直宏くん……」
僕の隣の席の花苗ちゃんが、僕の機嫌を窺うように見上げてくる。僕はなんだか居た堪れなくなって、彼女と視線を合わせないようにした。
「このクラスでナオのことを恨んだりしてるやつなんか、いないよな」
「そりゃそうでしょ。直宏くん、人から嫌われるようなことなんてしないし……」
トモの声に同調するように、みんなが声をあげる。まるでお通夜のようだ、と他人事みたいに僕は彼らの言葉を聞く。
親友思いのトモの次の言葉によって、犯人探しは始まった。
「面と向かって文句も言えねえで、何が殺してやるだよ!許せねえ……」
「そうだよ!こんなことした人、誰?名乗りでなさいよ!」
「ありえない!」
「そうだ!今まで仲良くやってきたのに、こんな仕打ちはねえだろ!」
「いや、部外者の可能性もあるんじゃない?」
皆の正義の叫びと推理の大合唱が始まった。確かに僕は、
普段ならありえないくらい、教室が怒りに満ちた空間に変わって、騒ぎを聞きつけた担任が朝礼から少し遅れて入ってくる。
「お前たち、一体どうしたって言うんだ」
「先生!」
「直宏くんが!」
僕に、クラスメイトと担任の視線が一身に向けられた。口をもごもごさせるだけで何もできない僕に代わって、やはりトモが事件を代弁した。
「ナオの机の上に、殺害予告状が置いてあったんです」
「なんだって?」
「ナオはついさっき来たばかりで、まだ本人も混乱してると思うんですけど……」
担任の中村先生がずんずんと僕の机のそばに近寄って、ルーズリーフでできた殺害予告状を眺める。ぐっと眉根を寄せてしかめ面をした先生は、今度は僕をそっと椅子に座らせ、自らもかがみ込んだ。
「須田、お前誰かに嫌がらせとか、受けてたのか?」
「いえ、そんなことは……」
この穏やかな高校でこんな事件が起こったのは、きっと先生の教師人生でも初めてだったのだろう。言葉を選びながら、だが先生も混乱しているのだろう。クラスメイトの見守る中、僕に尋問を始める。僕は嫌がらせをされていたのかという問いにノーを突き返したが、それはあまり信用されなかったらしい。今日の放課後に個別で呼び出しをされることになった。
先生が回収していったルーズリーフが先生のバインダーの中に収められるまで、僕はじっとそれを見ていた。
「あの、直宏くん。その、大丈夫……?」
「う、うん。大丈夫」
隣の花苗ちゃんが小声で僕に尋ねた。僕は曖昧に笑って誤魔化しながら、花苗ちゃんの顔をちらりと盗み見る。その顔には、自責の念が表れているような気がした。僕は大変申し訳ない気持ちになって、花苗ちゃんに小声で謝った。
「ごめん、花苗ちゃんのせいじゃないから」
「でも……」
「本当に。花苗ちゃんは関係ないことだから」
花苗ちゃんがそれ以上追求しないよう、僕は真剣に首を振った。花苗ちゃんが僕の告白を断ったことと、僕があまりの羞恥に耐えられず自らを殺してやりたいと思ったことは、まったくの無関係なのだ。
僕が昨日告白を断られたショックで書き殴った羞恥のあらわれを回収しそこねたのは、百パーセント僕の落ち度なのだから。
これからきっと、僕が白状するまで犯人探しは続くだろう。ここまで大事になってしまって、僕は果たして自首できるだろうか。
この学校の校訓が、再び頭を過ぎった。
殺害予告 貘餌さら @sara_bakuji
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