催眠にかかれなくても焦らない
高校3年生の美咲は、勉強と部活に励む真面目な女子高生だった。彼女は将来、一流大学に進学することを夢見ていた。しかし、最近になって慢性的な腰痛に悩まされるようになった。痛みのせいで集中力が低下し、勉強に身が入らなくなってしまったのだ。
美咲は、医師から処方された痛み止めを服用していたが、根本的な解決にはならなかった。徐々に勉強に遅れをとるようになり、美咲の不安は日に日に大きくなっていった。
そんな時、担任の先生から、催眠カウンセラーの神崎雛を紹介された。先生曰く、神崎は心と体の問題に精通しており、多くのクライアントを助けてきたという。美咲は半信半疑ながらも『神崎雛のカウンセリングルーム』を訪れることにした。
初めて神崎と会った美咲は、その穏やかで優しい雰囲気に少し緊張がほぐれるのを感じた。神崎は美咲の話に耳を傾け、慢性的な痛みの原因が心理的なものである可能性を示唆した。そして、催眠療法を通して、美咲の内面と向き合ってみることを提案したのだ。
「催眠療法といっても、何かすごく特別なことをするわけじゃないですから。安心してくださいね」
美咲は不安を感じつつも、神崎の提案を受け入れた。リラックスできる環境の中で、美咲は神崎の導きに従い、ゆっくりと目を閉じた。
「深呼吸をして、体の力を抜いていきましょう。あなたの意識は、だんだんと心の深いところへ沈んでいき、体の力がもっともっと抜けていきます。痛みは徐々に遠のいていき、心地よい安らぎに包まれていきます」
しかし、美咲はなかなか催眠状態に入れなかった。完璧主義な性格が災いし、「きちんと催眠にかからなければ」という焦りが頭をよぎる。
目を閉じていても、頭の中は勉強のことや痛みのことで一杯だ。身体に力が入り、逆に緊張が高まってしまう。
「腰が痛いままですね…。うまくいかないみたいです…」
美咲は不安げに呟いた。
「私、催眠にかかれないのかもしれません」
神崎は美咲の反応を見て、にっこりとほほ笑んだ。
「大丈夫ですよ、美咲さん。例えば、痛みが薄らいでいったとしても、わずかな違和感から『催眠にかかっていない』と思い込んでしまう方もたくさんいるんです。でも、それは催眠の過程では自然なことなんですよ」
美咲は神崎先生の言葉を聞いて、少し安心した。完璧にかからなくても大丈夫なのだと分かったからだ。
「ゲームと同じです。いきなりはちゃんとプレーできなくて当たり前。少しずつ上達していきましょう。では、もう一度、目を閉じて」
「はい」
「痛みがゼロにならなくてもいいですから。自然に任せて、ありのままの自分を受け入れてくださいね」
美咲は深呼吸をしながら、再び目を閉じた。今度は完璧を求めず、自分の感覚をそのまま受け止めることに専念した。すると徐々に、美咲の意識は深いところへと沈んでいった。
これが催眠状態なのだろうか。美咲は自分の内面に意識を向けることができた。痛みはまだそこにあったが、以前ほどは気にならなくなっていた。すると、痛みの奥に、小さな女の子の姿が見えてきた。その子は、不安そうに丸くなっている。
「どうしたの?」
美咲は優しく尋ねた。女の子は顔を上げ、震える声で言った。
「みーちゃん、みんなに期待されているの。でも痛みがあるせいで勉強がはかどらなくて…」
美咲は、その子の言葉に自分自身を重ねた。完璧でなければという強迫観念の苦しみは、人一倍わかる気がしたのだ。
「大丈夫だよ」
美咲は優しく微笑んだ。
「完璧じゃなくたっていいんだよ。痛みがあっても、ゆっくり前に進めばいい。自分のペースで、一歩ずつ進んでいこうよ」
女の子は、美咲に抱きしめられ、安心したように微笑んだ。すると、不思議なことに、美咲自身の痛みも和らいでいくような感じがした。
美咲は、ゆっくりと目を開けた。神崎が優しい笑顔で彼女を見守っていた。
「催眠療法では、痛みが完全に消えなくても、その痛みと向き合うことが大切なんです」神崎は説明した。「美咲さんは、自分の内なる子供と対話することで、痛みに隠された感情に気づくことができたようですね。大きな一歩だと思いますよ」
美咲は頷いた。完璧を求める気持ちを手放し、ありのままの自分を受け入れること。それが、本当の意味で前に進むために必要なことなのかもしれない。
「気負わず取り組んだら、ちゃんとかかれて良かったです」
美咲は、神崎との催眠療法を通して、自分自身と向き合う勇気を得た。完璧主義から解放され、自分のペースで歩める一歩を、美咲は踏み出そうとしていたのだ。
美咲は『神崎雛のカウンセリングルーム』を後にし、夕暮れ時の街を歩いていた。頭の中では、催眠療法の体験が鮮明に蘇っていた。自分の中の女の子との対話、痛みと向き合う勇気、そして自分らしく生きることの大切さ。かつては重荷だった腰の痛みが、明らかに和らいでいるのを感じた。自分を受け入れることで、美咲の心と体のバランスが整い始めていたのだ。
翌日、美咲は学校で担任の先生に声をかけられた。
「美咲さん、顔色がとてもよくなったように感じるのだけど、何かいいことがあったの?」
先生は優しく微笑みながら尋ねた。
美咲は嬉しそうに微笑み返した。
「実は、神崎先生の催眠療法を受けてみたんです。自分の内面と向き合うことで、心も体も軽くなりました。腰の痛みも、ほとんど気にならなくなったんです」
「そうだったんだ。催眠が効いたんだね」
「催眠が効いたというか、焦らなければ自分で痛みをコントロールできることがわかったみたいな感じなんです」
「なるほどね。美咲さんは、自分と向き合う勇気を持てたんだね」
美咲は先生の言葉に頷いた。自分と向き合い、自分のペースを大切にすること。それが、美咲なりの答えだった。
それから数ヶ月、美咲は大学入試を目前に控えていた。以前の美咲なら、プレッシャーに押しつぶされそうになっていたかもしれない。でも今の美咲は、試験に臨む準備ができていた。
「自分らしく、自分のベストを尽くすだけ」
美咲は自分に言い聞かせた。これから先、どんな未来が待っているのかはわからない。でも、美咲は自分と向き合い、自分のペースで前へ進む勇気を持っている。それが、美咲が催眠療法で得た大切な学びだった。痛みから解放された体に感謝しながら、美咲は希望に満ちた未来へと歩み始めた──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます