上手なコミュニケーションとは

 東京・銀座の一角に、高級キャバクラ「ローズ」がある。ネオンに照らされた店内では、美しいホステスたちが華やかな笑顔で客をもてなしている。その中でも特に輝きを放っているのが、ナンバーワンホステスの舞だ。


 舞の美貌に魅了された男性客は、彼女の卓越したコミュニケーション能力に心を奪われずにはいられない。まるで相手の心を見透かすかのように、舞は巧みに会話を紡ぎ、客を虜にしていく。その秘訣は、長年の経験と鋭い人間観察から培われた洞察力だ。


 新人ホステスの理沙は、舞のようにお客様に好かれたいと願っていた。彼女は、誰もが幸せになれる魔法の言葉があると信じ、全力で愛想を振りまいた。しかし、彼女の過剰な態度は、時に空回りし、客を不快にさせてしまうこともあった。


 ある夜、理沙は気難しいお客様に一生懸命接客していた。しかし、お客様は理沙の必死な態度を不快に感じ、辛辣な言葉で理沙を責め立て続けた。


「お前、本当に客商売に向いてないんじゃないか?」


 お客様の言葉は、まるで鋭利な刃物のように理沙の心を深く傷つけた。理沙は傷ついた心を必死に隠しながら、笑顔を作ろうとした。しかし、その笑顔は、どこか歪んで見えた。


 落ち込む理沙を見かねた舞が、そっと彼女に寄り添った。


「理沙ちゃん、どうしたの?」


 舞の優しい声に、理沙は込み上げてくる涙を堪えきれなくなった。


「舞さん…私、お客様に嫌われてしまったみたいで…。私のコミュニケーションが下手で、お客様は私を辛くさせるようなことしか言ってくれなくなったんです…」


「いじめられたのね。それは辛い経験だわ」


「でも、どうしてこんなことになったのかわからないんです。一生懸命頑張ったのに…」


 舞は、理沙の頬を伝う涙を優しく拭うと、微笑んで言った。


「理沙ちゃん、コミュニケーションが上手いって、誰とでも仲良くするってことではないのよ」


 理沙は、舞の言葉に驚きを隠せなかった。


「えっ…? でも、お客様を喜ばせるのが私たちの仕事じゃないですか?」


「その通りね。でも、全てのお客様を同じように扱う必要はないわ。変わった話をするけど、聞いてくれる?」


 舞は、ゆっくりと語り始めた。まるで、大切な真理を説くかのように。


「例えば、子供って好きな子をわざといじめたりするでしょ? あれは、『こうしたら嫌がるだろうな』という予測が当たるのが面白いからなのよ。相手のリアクションを見るのが楽しくて、いじめがエスカレートしていったりするの。すべてのいじめがそうじゃないけどね」


 理沙は、舞の言葉に衝撃を受けた。確かに、自分も子供の頃、好きな男の子に意地悪をしたことがあった。そう、相手の予想通りの反応を見るのが面白かったのだ。


「人ってね、無意識のうちに、相手のリアクションを予測して予測が楽にあたるような行動を選んでいるのよ」


「いじめる方が、喜ばせるよりも簡単だから、いじめてるってことですか…? そして、いじめられっ子はいじめさせるように振る舞っている…?」


 理沙は、舞の話に引き込まれていった。相手や自分の感情や行動が、人間の癖によって形作られていることを実感しつつあったのだ。


「でも、それじゃあ、私はどうすればいいんでしょうか?」


 理沙は、少し不安そうに尋ねた。舞は、理沙の手を取ると、力強く言った。


「ネガティブなことにはあまり反応を示さず、嬉しいことには笑顔で大きく反応すればいいのよ。そうすることで、お客様は、あなたを喜ばせた方が良い反応が得られるとわかっていくはずよ」


 理沙は、舞の言葉に目を見張った。


「なるほど…。こちらの反応で、お客様の行動を上手に導いていくんですね」


 舞は、うなずきながら続けた。


「そう。自分を大切にしながら、相手の気持ちも汲み取るの。それが、良いコミュニケーションの秘訣じゃないかしら。私たちキャバ嬢やスナックのママの中には、そういったコミュニケーションが上手な人がたくさんいるわよね」


 理沙は、舞の言葉の意味を噛みしめるように、ゆっくりと頷いた。


「舞さん、ありがとうございます。これからは、舞さんをお手本に、コミュニケーションの達人を目指して頑張ります!」


 理沙の瞳に、新たな決意の火が灯った。


 舞の教えを胸に、理沙は再びフロアに戻った。気難しいお客様のテーブルに近づくと、理沙は深呼吸をした。そして、優しい笑顔を浮かべながら、お客様に語りかけた。


「お客様、先ほどは失礼いたしました。私のサービスが行き届かず、大変申し訳ございませんでした」


 お客様は、理沙の予想に反して、申し訳なさそうに手を振った。


「いや、私の方こそ、イライラを君にぶつけてしまって悪かった。君は一生懸命働いてくれていたのに、私が気難しく当たってしまったね。お詫びに一杯奢らせてくれないかな?」


「本当によろしいんですか!? ありがとうございます!!」


 理沙は、心の中で舞に感謝した。ネガティブな反応に惑わされず、誠実に対応することの大切さを教えてくれたのだ。


 それからというもの、理沙は舞の教えを実践し続けた。時には失敗することもあったが、理沙は決して諦めなかった。そして、いつしか理沙の周りには、彼女を慕うお客様が集まるようになっていた。


 理沙の変化は、「ローズ」の他のホステスたちにも影響を与えた。舞の哲学は、彼女たちの間で共有され、「ローズ」はより一層、お客様に愛される店へと成長していったのだ。


 相手をただ喜ばせるのではなく、相手の反応を想像し、それに合わせて自分の言動を調整する。それがお互いが楽しくなるようなコミュニケーションには大事なのだと、理沙は理解できたような気がした──。

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