救援のけん玉

 春風が運動場を駆け抜ける。太郎と誠はそこで初めて話した。転校生の誠は、クラスでなじめずにいた。心を閉ざし、一人で過ごす日々が続いていた。一方の太郎は、そんな誠の孤独な様子が気になって仕方がなかった。何とか打ち解けたい、友達になりたい。そんな思いを胸に、太郎は精一杯の笑顔で誠に歩み寄った。


「ねえ、一緒にけん玉をやってみない?」


 そう声をかけたとき、二人の目に飛び込んできたのは、けん玉を練習する高学年の姿だった。そのしなやかな動き、完璧なコントロール。まるでけん玉が体の一部になったかのように、自在に操っている。その姿に、二人は思わず見とれてしまった。


「すごいな…僕もあんなふうに、できるようになりたい…」


 誠がつぶやくと、太郎は柔らかな笑顔で言った。


「じゃあ一緒に練習しようよ。二人で頑張れば、必ず上手くなれるから」


 その言葉に、誠の表情が一瞬で輝いた。心の扉が、ゆっくりと開いていくのを感じる。


 それからの二人は、けん玉に熱中した。放課後になれば、二人揃って運動場に駆けつける。木々が茜色に染まるまで、黙々と練習に打ち込んだ。技を決めるたびに歓声を上げ、喜びを分かち合う。失敗しても、めげずにまた挑戦する。そうやって二人の絆は、けん玉とともに強くなっていった。


「ねえ太郎。僕、一緒にけん玉できるのが…本当に嬉しいんだ」


 ある日の練習の終わりに、誠がそう言った。その言葉を聞いた太郎は、思わず目頭が熱くなる。


「俺もだよ。誠と一緒にけん玉ができて、楽しくて仕方ない」


 そう返しながら、太郎は誠の肩をそっと叩いた。まだ、しっかり固まったかはわからない、二人の友情を、そっと確かめるように。


 そしてついに、その練習は実を結ぶ。


「やったぁ! 初めてトンボができたよ!」


 誠が大きな歓声を上げると、太郎も負けじと雄たけびを上げた。


「俺もできたよ、誠! 最高だぜー!」


 二人は思わず抱き合い、喜びを分かち合った。


 成功の喜びを味わうたび、二人はある感覚を共有するようになっていた。


「太郎、けん玉をやってると…けん玉が自分の手の一部になったみたいな感じがするんだ」


「わかるよ。まるでけん玉と一体化したような…不思議な感覚だよね」


 二人は、その特別な感覚を胸に、けん玉の練習に没頭した。


 そんな中、太郎に転機が訪れる。ある日、建設現場で働く父の職場見学に行く機会があったのだ。そこで目にしたのは、信じられないほど巨大なショベルカーの数々だった。


「お父さん…これ、全部動かせるの? すごすぎる…」


 目を輝かせる太郎に、父は優しく微笑んだ。


「ああ。だが太郎、機械を動かすコツは、けん玉と同じなんだ」


「えっ…? けん玉と同じ…?」


「友達と同じとも言えるな。相手の気持ちになること。そして、相手と一体化すること。機械のリズムを感じ、心を通わせる。それが、機械を自在に操る秘訣なんだよ」


 父の言葉は、太郎の心に深く刻み込まれた。けん玉で培ったことが、ショベルカーの操縦にも通じると知った瞬間だった。


 あれから十数年。太郎と誠は建設会社に就職し、念願のショベルカーのオペレーターとなった。二人は、けん玉で得た感覚を胸に、日々の業務に励んだ。


 そんなある日、会社近くの現場で土砂崩れが発生する。


「誠が危ない!」


 太郎は我を忘れてショベルカーに飛び乗った。


「誠を、助けなきゃ…!」


 現場に向かうため必死に土砂をかき分けるが、作業は難航した。


 土砂の中に分け入り、誠のもとへ向かうこと数分。だが、その数分が太郎にはあまりにも長く感じられた。


 ショベルカーを全力で走らせながら、太郎の頭の中では、走馬灯のように過去の記憶がよみがえっていた。


 誠と出会った日、二人で練習に励んだけん玉、父の職場見学、そして建設会社への就職。二人で歩んできた道のりが、次々と脳裏をかすめる。


「誠を助けるんだ…!」


 太郎は必死に自分に言い聞かせた。


 ようやく誠のショベルカーが視界に飛び込んできた時、太郎は愕然とした。土砂に飲み込まれ、誠のショベルカーは横転していたのだ。


「誠! 返事をしろ!」


 太郎は必死で叫んだが、返答はない。誠は埋まった操縦席の中で、意識を失っているのだろう。


「くそっ…!」


 太郎は歯を食いしばり、ショベルカーのアームを操作し始めた。横転した誠のショベルカーを起こさなければ。そのためには、土砂を取り除き、安定した地面を作る必要がある。


 太郎の操るアームが、神業とも思えるスピードで動き始めた。土砂を掻き分け、がれきを取り除く。まるで、自分の手足を操るかのように滑らかで、正確無比だ。


「もう少しだ…あと少しで…!」


 その時、不意に大きな衝撃が太郎のショベルカーを襲った。斜面から転がり落ちてきた巨岩が、ショベルカーの下部を直撃したのだ。


「なんだ!?」


 太郎が顔を上げた時、愕然とした。巨岩の衝撃で、ショベルカーの履帯キャタピラが外れてしまったのだ。


「まずい…動けない…!」


 焦る太郎の脳裏に、ふと父の言葉がよみがえる。


「そうだ、けん玉の時と同じように…機械と一体化するんだ…!」


 太郎は目を閉じ、深呼吸する。手に伝わるショベルカーの振動。まるで、自分の鼓動のように感じられた。


「頼む…俺の想いに、答えてくれ…!」


 太郎はアームを伸ばし、外れた履帯キャタピラをつかみ上げた。まるで自分の手を動かすように、器用に操作する。


「お願いだ…嵌まってくれ…!」


 太郎の祈りは、ついに届く。カチッと嵌合音が響いたのだ。


「やった…!」


 太郎は再びショベルカーを動かした。土砂を必死でかきわける。


「誠…もう少しだから…!」


 そのとき、ショベルカーのドアが開き、そこから伸びる手が見えた。


「誠!」


 太郎は息を呑んだ。誠は生きていたのだ。意識を取り戻したのだ。


 太郎はアームを伸ばし、慎重に土砂をかき分けていく。誠の周りの土砂を丁寧に取り除いていく。


「誠、しっかりつかまるんだ!」


 太郎がそう叫ぶと、誠は必死にショベルカーのアームにしがみついた。ゆっくりと、アームが誠を土砂から引き上げていく。


 無事、誠をショベルカーの中に収めることができた。


「太郎…君が来てくれたんだね…」


 誠は虚ろな目で、かすかに微笑んだ。


「ああ…もう大丈夫だ。絶対に、助けてみせる…」


 そう言って、太郎は誠の手を強く握りしめた。


 救急車の音が近づいてくる。誠は、まだ意識が朦朧としているようだった。


「誠、しっかりしろ!」


 太郎の必死の呼びかけに、誠はかすかに目を開けた。


「太郎…ありがとう…」


 そう呟いて、誠は再び目を閉じた。


 誠は病院に搬送され、集中治療室で手当てを受けることになった。太郎は、病院の待合室で一晩中過ごした。


 翌朝、誠の容体が安定したという知らせを受けた太郎は、ほっと胸をなで下ろした。


「誠…良かった…」


 数日後、誠の病室を訪れた太郎は、ベッドに座る誠の姿を見て、思わず目頭が熱くなった。


「太郎…君が来てくれたんだね…」


 誠は、まだ弱々しい声で言った。


「ああ、もう大丈夫だ。必ず良くなる」


 そう言って、太郎は誠の手を取った。


「太郎、あの時は…本当にありがとう…」


 誠の目には、涙が浮かんでいた。


 太郎は、ポケットから小さなけん玉を取り出した。


「この間は、これのおかげで、誠を助けられたのかもしれない。ショベルカーと一体化している感覚があった」


「太郎…」


 誠も、自分のけん玉を取り出した。二人は、けん玉を握りしめたまま、しばらく無言で佇んだ。


「あの日、俺たちが交わした約束…」


 太郎が呟くと、誠は小さくうなずいた。


「一緒に上手くなろうね…だね」


「ああ。あの頃は、まさかけん玉が、こんなに大きな意味を持つとは思ってもみなかったな」


 太郎は初めてあった日と同じような、誠を安心させる笑顔を見せていた。


 誠の退院の日、太郎は病室を訪れた。


「誠、退院おめでとう!」


 太郎が明るく声をかけると、誠は微笑んだ。


「ありがとう、太郎」


 看護師が車椅子を持ってくる。太郎は、そっと誠を車椅子に移動させた。


「少し庭に出ようか」


 太郎が提案すると、誠は嬉しそうにうなずいた。


 二人は病院の庭に出た。誠は、車椅子を自分で操作していた。


「この車椅子、まるで自分の足みたいだ」


 誠が言った。


「けん玉の時と同じだね。道具と一体になる感覚」


 太郎が言うと、誠は納得したように頷いた。


「そういえば、けん玉を持ってきたんだ」


 太郎がポケットから二つのけん玉を取り出した。


「ほら、誠」


 誠は、けん玉を受け取ると、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、太郎」


 二人は、並んでけん玉を操り始めた。


「やっぱり、けん玉は最高だね」


 誠が言った。


「ああ、そうだね」


 太郎も同意した。


 誠は、けん玉を高く放り投げた。車椅子に座ったまま、見事にけん玉を受け止める。


「すごいね、誠!」


 太郎が感嘆の声を上げた。


「車椅子に乗っていても、けん玉はできるんだ」


 誠が誇らしげに言った。


「リハビリを頑張って、また一緒に立ってけん玉ができるようになろうな」


 太郎が言うと、誠は力強くうなずいた。


「もちろん。今は車椅子が僕の足だけど、いつかは自分の足で立てるように頑張るよ」


「俺も全力で応援するよ。一緒にリハビリがんばろう」


 太郎が言うと、誠は嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、太郎。君が傍にいてくれるから、頑張れるんだ」


 二人は、けん玉を片手に、夕日を眺めた。けん玉を通して育まれた友情。それは、どんな困難があっても、二人を支え続ける。


「また一緒に、けん玉が、そして重機の運転ができる日を目指して…」


「リハビリを、がんばろう」


 二人は、固く握手を交わした。新たな明日へ向かう二人の姿が、夕焼けの中で輝いて見えた──。

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