ピンクの象を消す

 健太は塾の自習室で、机に向かっていた。窓の外には、どこまでも続くビルの壁が見える。冷たい蛍光灯の光が、彼の表情を無機質に照らし出していた。期末テストが近づくにつれ、彼の心には不安が芽生え、日に日に大きくなっていた。


 そんな健太に、講師の優子が話しかけてきた。


「健太くん、どうしたの? 元気がないみたいだけど」


 健太は顔を上げ、優子を見た。


「実は、期末テストのことで不安になっているんです。勉強しているんですけど、なかなか自信が持てなくて…」


 優子は健太の隣に座り、優しい目で彼を見つめた。


「そうなんだ。でも、健太くんの不安は、自分自身が作り出しているものなのかもしれないね」


 健太は眉をひそめた。


「どういうことですか?」


「ちょっと変わった話かもしれないけど、聞いてくれる?」


 優子は微笑み、健太の目を見つめた。


「これから30秒間、絶対にピンクの象のことを考えないようにしてみて」


 健太は戸惑いながらも、目を閉じた。しかし、優子の言葉が頭から離れない。ピンクの象、ピンクの象…。鮮やかなピンク色の象が、彼の脳裏に浮かんでしまう。


「どうだった?」


 優子の問いかけに、健太は小さくため息をついた。


「ダメでした。ピンクの象のことばかり考えてしまいます」


 優子は頷き、続けた。


「それが、思考の不思議なところなのよ。考えないようにすればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる。でも、もしそのピンクの象を黒い箱の中に閉じ込めることができたら?」


 健太は優子の言葉に、少し興味を持った。


「それで、不安も消えるんでしょうか?」


「そうね。ピンクの象を箱に入れてしまえば、もう見えなくなる。不安も同じよ。不安という感情を、頭の中の箱にしまってしまえばいいの」


 健太は目を閉じ、頭の中でピンクの象を想像した。そして、その象を黒い箱の中に押し込めた。しかし、どこかモヤモヤとした感覚が拭えない。


「でも先生、箱の中に閉じ込めたピンクの象は、本当に消えたんでしょうか?」


 優子は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。


「ふふ。そうね。実は、箱の中に閉じ込めても、象は消えはしないの。むしろ、箱の中で暴れ回っているかもしれない」


 健太は困惑した表情で優子を見た。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


「正直に言うと、不安から完全に逃れることはできないの。でも、大事なのは、その不安と向き合うことなのよ」


 優子は健太の肩に手を置いた。


「不安を感じること自体は、悪いことじゃない。それは、健太くんが成長しようとしている証なの」


 健太は優子の言葉の意味を、少しずつ理解し始めていた。


「不安から逃げ続けるのではなく、不安と向き合って乗り越えていく。そういうことですか?」


「そういうことよ」


 優子は満足そうに頷いた。


「不安は、まるでピンクの象のように大きくて目立つ存在だけど、その象と仲良くなることもできるの。象が暴れまわって辛いときは、一時的に象を箱に閉じ込めてもいい。でも、ずっと閉じ込めておくのではなく、健太くん自身が象の調教師になる練習をするの。そうすれば、いつかその象は健太くんの良き友になってくれるはずよ」


 テスト当日、健太は机に向かった。不安がよぎることもあったが、彼はそれを受け入れることにした。不安と友達になることで、彼はテストに集中することができたのだ。


 テストが終わった後、健太は優子のもとを訪れた。


「先生、不安と向き合うことの大切さが、少しわかった気がします。でも、まだ完全には象を飼い慣らせられていません」


 優子は微笑み、健太の頭を軽く撫でた。


「それでいいのよ。象を完全に飼い慣らすには、時間がかかる。でも、健太くんは確実に一歩を踏み出したわ。これからも、不安というピンクの象と向き合い続けることで、健太くんはきっと強くなれる」


 健太は優子の言葉に、心の底から納得していた。彼は不安から逃げることをやめ、不安と向き合う勇気を持つことにした。


 その日から、健太は変わり始めた。不安を感じても、それを受け入れ、乗り越えようとする。彼の中のピンクの象は、少しずつ彼の味方になっていった。


 健太の変化は、周りの人にも伝わっていった。友達は、「最近、健太って、頼もしくなったよね」と口にするようになった。


 健太自身も、自分の中の変化を感じていた。不安は彼にとって、もはや敵ではなく、成長のための友となったのだ。


 優子の教えは、健太の人生を大きく変えるかもしれない。不安と向き合う勇気を持つことで、彼は新しい自分を見つけたのだ。


 健太はこれからも、優子の導きに感謝しながら、自分の中のピンクの象を乗りこなしていくだろう──。

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